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春日大娘皇女

春日大娘皇女(かすがのおおいらつめのひめみこ、生没年不詳)は、記紀に伝えられている皇族。『古事記』に春日大郎女、『日本書紀』に春日大娘皇女。雄略天皇皇女、仁賢天皇皇后。母の名は『日本書紀』にのみ和珥氏系統の春日臣深目の娘・童女君とある。『日本書紀』では、仁賢天皇元年2月2日(488年2月29日)に立后し仁賢天皇皇后となった。高橋大娘皇女(たかはしのおおいらつめのひめみこ)・朝嬬皇女(あさづまのひめみこ)・手白香皇女(たしらかのひめみこ、後に継体天皇皇后、欽明天皇母)・樟氷皇女(くすひのひめみこ)・橘皇女(たちばなのひめみこ、後に宣化天皇皇后・石姫皇女母)・小泊瀬稚鷦鷯尊(おはつせのわかさざきのみこと)、武烈天皇)・真稚皇女(まわかのひめみこ)を生んだとされる。『古事記』では高木郎女(たかぎのいらつめ)、財郎女(たからのいらつめ)、久須毘郎女(くすびのいらつめ)、手白髪郎女(たしらがのいらつめ)、小長谷若雀命(おはつせわかさざきのみこと)、真若王(まわかおう)とある。『日本書紀』によると、雄略天皇は采女の童女君がたった一夜で身ごもったために、生まれた春日大娘皇女が自分の娘であるかどうかを疑い、養育されなかった。あるとき物部目大連が庭を歩くある少女の姿を見て、天皇の姿によく似ていると述べた。天皇はそれで、彼女の母が一夜で身ごもったのは異常であるため、自分の娘であるか疑っていると答えた。物部目大連は天皇に一夜のうちに何度童女君を召したかを尋ねた。天皇は7度召したと答えた。物部目大連は天皇を諌めて、身ごもりやすい人は褌が体に触れただけで身ごもりますと述べた。そこで天皇は少女を認知し皇女とし、母の童女君を妃とした。一方『古事記』にはこの出自の記述が見られず、雄略天皇の段にも母・娘ともに名を欠いており、仁賢天皇の段にやっと皇后として名が挙げられるにとどまる。なお、娘で宣化天皇皇后となった橘仲皇女も『古事記』には宣化天皇は橘中比売命を娶ったとだけ書かれている。したがって日本書紀の記述によってのみ、後に継体天皇の皇后となった手白香皇女の皇后の系統が雄略天皇からの直系であるとの証左を与えることになる。皇后の出自が書かれていない例は春日大娘皇女と橘仲皇女以外には見られない。書紀の記述により、春日和珥童女君に始まる和珥氏・春日氏の皇后の系統が第30代の敏達天皇まで続くことになる。

出典:wikipedia

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