横西 奏恵(よこにし かなえ、1974年7月6日 - )は、日本の元ボートレーサーである。登録番号3774。76期生。徳島支部所属。師匠は濱村芳宏。身長156cm。血液型A型。石川県白山市(旧松任市)出身。生後まもなく徳島県に移り住んだ。一時期埼玉県川口市に在住し、戸田競艇場でレースを見たことが選手を志すきっかけになった。ニックネームは「かなちゃん」「横ちん」。2010年12月1日にボートレーサーの山崎智也と結婚。これにより本名は山崎 奏恵となったが登録名は旧姓のままで変更されていない。埼玉県立川口青陵高等学校出身。3度目の受験で本栖研修所に合格。1994年3月、76期訓練生として本栖研修所へ入所。同期には原田幸哉・瓜生正義・魚谷智之など。1995年4月19日、第76期本栖研修所修了記念競走で優勝。女子選手としては史上4人目の本栖チャンプとなる。1995年5月20日、鳴門競艇場で初出走2着。同日2走目で初勝利を飾る。1999年3月5日、尼崎競艇場にて開催された第12回女子王座決定戦競走(当時GII)優勝戦で悲願のデビュー初優勝。フライング2本持ちと絶体絶命の重荷を背負いながらも、大外からコンマ.10の全速まくりを決めてインに陣取っていた鵜飼菜穂子、海野ゆかり、高橋淳美らの強豪を一気に沈めて栄光を掴み取った。2006年3月5日、浜名湖競艇場にて開催された第19回JAL女子王座決定戦競走 (GI)優勝戦で7年ぶり2度目の優勝。この年の総理大臣杯競走の出場権を得る。2006年3月16日 - 3月21日、平和島競艇場にて開催された第41回総理大臣杯競走(SG)に初出場。女子選手としては寺田千恵以来となる史上2人目のSG優勝戦進出(6着)を果たす。2006年12月19日 - 12月24日、住之江競艇場にて開催された第21回賞金王シリーズ戦競走(SG)に初出場。2007年7月29日、丸亀競艇場にて開催された女子リーグ第5戦で完全優勝を達成した。2007年8月4日、三国競艇場にて開催された女子リーグ第6戦2日目最終12競走で1着を取り、16連勝を達成。女子選手の連勝記録を更新する。翌8月5日(3日目)、第7競走でも勝利し、17連勝まで記録を伸ばすも、後半第11競走は3着だった。2008年3月9日、津競艇場にて開催された第21回JAL女子王座決定戦競走(GI)優勝戦で2年ぶり3度目の優勝を飾る。3度目の女子王座優勝は鵜飼菜穂子と並び、歴代最多タイとなった。2009年後期(7月1日~12月31日)適用勝率で、女子レーサー史上初の8点レーサーとなる勝率8.05(2連対70.30%・3連対80.20%)をマークしている。2010年は、第23回JAL女子王座決定戦競走(GI)準優勝戦でフライングを切ってしまい、GI競走3か月除外(当時の罰則)に加えて出走回数不足でB1に降級。その後、女子リーグで3回優勝したが、児島競艇の女子リーグ戦でフライングを切ってしまい、2011年の第24回女子王座決定戦競走(GI)の出場ができなくなってしまった。2011年の笹川賞で夫の山崎智也と共にドリーム戦に出場(SGドリーム戦で史上初の夫婦対決となった)。女性選手がSG競走でドリーム戦に出場し1着という史上初の快挙を達成した。さらに5年ぶりとなるSG優勝戦進出し、2コースからコンマ.09の好スタートを決め女性レーサー・史上初のSG競走制覇の期待が掛かるものの6着に終わった。2012年12月19日付で引退したことが発表された。最後のレースは、3日前の12月16日に大村競艇場で行われた第1回賞金女王決定戦6日目(最終日)第10競走の順位決定戦で4着だった。そして横西の引退日から4日後の12月24日に夫の山崎智也がBOAT RACE住之江で行われた第27回賞金王決定戦のファイナルを制し開始前の12位からの大逆転での初の賞金王を決めて見せた。翌日の新聞には『妻・奏恵の夢をかなえた!』と見出しが躍り写真には夫・山崎智也と妻・横西奏恵の感激のハグが映った。 GI 第19回JAL女子王座決定戦競走(2006年) GI 第21回JAL女子王座決定戦競走(2008年) GII 第12回JAL女子王座決定戦競走(1999年) 2006年・平和島・第41回総理大臣杯・優出6着 2011年・尼崎・第38回笹川賞・優出6着 平成18年優秀女子選手 平成20年優秀女子選手【横西奏恵選手の主な成績】二人姉妹の次女である。父親が転勤族で引っ越しの多い家庭だった。勉強よりも体を動かすのが大好きな子供だった。それをわかっていた父親に「女でもできる競艇選手になったら」と言われ、「選手」という言葉が気持ちよく響いたのを覚えている。高校3年の進路選択時、競艇好きの担任、父親に勧められたのをきっかけに競艇選手を志す。担任に連れられて戸田競艇場を見学、そこで「競艇選手になりたい」と強く思うようになった。当時の担任曰く、「競艇選手養成が厳しいのは知っていた」、「横西はバスケットボールをやっていて運動能力があるし、へこたれない根性のある生徒だと思っていた」とのこと。この恩師とは今でも連絡を取り合っている。本栖研修所の卒業時、父親が徳島に戻っていたので徳島支部を選ぶ。趣味は釣り。ポイントにある筏に船で乗り付け、カツオの一本釣りなどをする。大のパチスロ好きとしても有名で、香川素子、細川裕子らとともに「パチスロ部」を結成するほど。合言葉は「設定(特に吉宗)は6がいい・着順は1がいい」。ちなみに、パチスロ部のジャンパーには「恐怖の回転ドラム・やられたお札は数知れず」と縫い取られている。ゴキブリが大嫌いで、高いところとジェットコースターが苦手である。
出典:wikipedia
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