フアン・デ・ディオス・エンカーナシオン(Juan De Dios Encarnación, 1976年3月8日 - )は、ドミニカ共和国・サンフアン州ラスマタス・デ・ファルファン出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。ホアン・エンカルナシオンと表記されることもある。にデトロイト・タイガースへ入団。に母国のサマーリーグでプロ生活を始めた。にアメリカ合衆国へ渡り、ルーキー級ブリストル・タイガースとA級フェイエットビル・ジェネラルズでプレイしたが、当初は生活環境に馴染めず伸び悩んだ。は、A級フェイエットビルでプレーした。は、A+級レイクランド・タイガースでプレーした。は、AA級ジャクソンビル・サンズで打率.323・26本塁打・90打点を記録し、サザン・リーグのオールスターに選出され3本塁打を含む4打数4安打・6打点を記録した。9月のロースター拡張に伴いメジャー昇格を果たし、9月2日にメジャーデビュー。9月14日に全治2か月の左手骨折の重傷を負い、シーズンを終えた。12月11日にドミトリー・ヤングとのトレードでルイス・ピネダと共にシンシナティ・レッズへ移籍した。7月11日にライアン・デンプスターとのトレードでウィルトン・ゲレーロ、ライアン・スネアと共にフロリダ・マーリンズへ移籍した。2002年は両チームで自己最高のシーズン24本塁打を記録した。にフロリダ・マーリンズがワールドチャンピオンになった時の胴上げメンバーの1人となった。2003年12月13日にマイナーリーガーと1対1のトレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。7月30日にブラッド・ペニーを含む計3人とのトレードで ポール・ロデューカ、ギレルモ・モタと共に古巣マーリンズへ移籍した。12月27日にラリー・ウォーカーの後釜としてセントルイス・カージナルスと3年総額1,500万ドルの契約で移籍した。開幕前の3月に第1回WBCのドミニカ共和国代表に選出された。シーズンでは3年ぶりにワールドチャンピオンの一員となった。8月31日の試合時に、ネクストバッターズサークルで前打者アーロン・マイルズのファールライナーが顔に当たり、大ケガ(左目の骨折、打撲)をした。これが致命傷となり、当初は現役続行を目指していたが引退した。引退後は故郷のドミニカに戻り、慈善事業に参加している。
出典:wikipedia
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