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象印クイズ ヒントでピント

『象印クイズ ヒントでピント』(ぞうじるしクイズ ヒントでピント)は、テレビ朝日系列局ほかで放送されていたテレビ朝日制作のクイズ番組である。全708回。テレビ朝日系列局では1979年3月4日から1994年9月25日まで、毎週日曜 19:30 - 20:00 (日本標準時)に放送。司会はフリーアナウンサーで元文化放送アナウンサーの土居まさる。オープニングクイズ後のCM明けに、キャッチフレーズとして「あなたの直感と連想能力に挑戦する象印クイズヒントでピント(、迎えて第○○○回です)」と言うのが恒例となっていた(番組末期の頃からは「あなたの」を言わなくなった)。この番組は、当時としては最新のコンピュータを使用した出題形式を採用。一般常識問題よりも難問・珍問・奇問を中心とする映像クイズを出題していた。問題内容もキャッチフレーズの通り、映像によって直感力を問われるものや、いわゆる『連想ゲーム』のような問題が殆どであった。解答者はタレントというよりはいわゆる文化人と呼ばれるタイプをメイン(特にキャプテン)に揃え、知的イメージを押し出していた。前番組から引き続きスポンサーは象印マホービンの一社提供(キャッチコピーは「暮らしの夢をあたためる」→「サーモテクノで暮らしをつくる」→「多彩な生活快感を提案します」)であり、司会者席と各解答者席には象印の社章が描かれていた。1986年3月までは象のロゴマークであったが、同年4月からは象印のCIが導入され、司会者席のものは「ZOJIRUSHI」、解答者席のものは「ZO」に変更された。エンディングでは視聴者プレゼントクイズを行い、「今日のオープニングクイズの顔は誰だったでしょう」と「今日の対戦は何対いくつで(男性軍・女性軍の)どちらが勝ったでしょう」を原則週替わりで出題していた。プレゼントは象印製品のほか、番組末期には海外旅行もあった。テーマ曲を担当したのは、『世界まるごとHOWマッチ』(毎日放送)のオープニングテーマと『クイズ面白ゼミナール』(NHK)のオープニングテーマも手掛けた前田憲男である。なお、『クイズ面白ゼミナール』は1982年から裏番組となっていた。1985年9月25日には、『水曜スペシャル』で『輝け!オールスター・秋の人気番組爆笑!クイズでヒントゲームでピント!!』という本番組をベースとする番組対抗のスペシャル番組が放送された。これに参加したのは『ビートたけしのスポーツ大将』(第1期)『特捜最前線』『愛川欽也の探検レストラン』『私鉄沿線97分署』『暴れん坊将軍II』やアニメチーム(『ドラえもん』ほか)などである。なお、本番組も『オールスター番組対抗ボウリング大会』(1979年秋 - 1987年春)や『輝け!オールスター秋の番組対抗ウルトラ料理大賞』(1983年・1984年秋)などの番組対抗のスペシャル番組に参加しており、『ウルトラ料理大賞』では「16分割弁当」という弁当を作成した。本番組は裏番組のNHKの『クイズ面白ゼミナール』やフジテレビの『世界名作劇場』と視聴率で争っていた。男性軍(緑の席)・女性軍(赤の席)に分かれて各5名、うち1名はゲスト(5枠席に着席する)の対抗戦。当時最新のコンピュータ技術を生かした映像クイズは、大きく6つ(末期には5つ)のパートに分かれていた。特記の無いものは全員参加の早押しクイズ。全18問(末期には全14問)出題。問題は、おおまかに「分割問題」と「テクニカル問題」の2種類の問題が出題される。「分割問題」は、2枚・4枚・8枚・16枚のヒント(語句・絵・写真)が記されたパネルを番号パネルで隠し、時間の経過に従い番号パネルがランダムに外されていくことでヒントを表示させる形態の映像クイズ。「テクニカル問題」は、モザイク処理を施した映像を流し、時間の経過と共にモザイクが解除されていくことで、元画像を当てる映像クイズである。このモザイク処理は、この番組のために当時のNECが発明したものである。パート3の動画問題は、ドット状にぼかされる・細かく刻まれた動画が時間の経過と共に戻される、パート4の静止画問題は、画面中心からドットでバラバラになった映像が渦巻状に出され、全部出した後に元の映像に戻される形式となる。正解時の得点は、第1ヒント及びテクニカル問題の冒頭でで正解した際は満点を獲得。以後、ヒントが増えるたびに、テクニカル問題は時間経過とともに1点ずつ減点され、得点になる。番組開始から行われたクイズ長らく行われていた(1980年10月 - 1992年9月)、前期・中期・後期までは以下の通り。解答権が1人1回の問題は、ネームプレートの左右に付いているランプが点灯、不正解でランプが消灯して解答権が無くなった事を表す。正解でランプが点滅、同時に全解答者のランプが消灯する。また、解答権が1人1回の問題以外でも、正解でランプが点滅する。さらに1対1の問題では、対戦する解答者にランプが点灯、不正解でもランプは消灯しない。正解でランプが点滅、相手のランプが消灯する。2・4・8・16分割問題の正解は、画面にレギュラー陣のイラストと共に出される。主に同じ席枠の男女レギュラーが描かれ、2 - 3枚の絵を順番に出してアニメの様に動かす場合もあった。ゲスト対決がある場合、唯一ゲストの絵も出される。初期にはオープニングクイズ(1979年3月 - 1980年9月)は無かった。テクニカルクイズ(パート3・パート4の両方)は20点満点でパート3は全2問あった。オープニングクイズ(1980年10月以降)導入時にテクニカルクイズ(パート3・パート4の両方)の満点が10点に引き下げられ、パート3が全1問になった。また、80点による海外旅行がなかなか出なかったため、1980年10月からオープニングクイズでボーナスクイズの権利獲得が加えられた(放送開始から1980年9月までは何の特典もなかった)。この頃からエンディング時の視聴者クイズが始められ、当初は海外旅行(ハワイ)が出なかった時に限って視聴者にハワイ旅行のプレゼントだったが、後に週替わりの象印製品のプレゼントとなる。末期の1992年10月にルールが改正。これによって「2分割クイズ」が無くなり、パート1の「4分割クイズ」が全5問(各枠男女1対1の対抗戦で、ラッキークイズが無くなった以外は通常と同じ)、パート2の「8分割クイズ(テーマ問題で、テーマに関連する事柄の単語や画像がヒントとして出される)」が全2問、パート3の「テクニカル(動画当て・物当てクイズが各1問)」が全2問(2問とも共通問題となり、キャプテン横のプリンターが無くなった)。パート4の「16分割クイズ」が全4問という形態に変わった。また、解答権について、パート1とパート2は無制限、オープニングクイズとパート3は1人1回、パート4は各チームお手つき2回までだった。得点は基本的に正解した時点での残りのパネル枚数+1点を正解チームに加算、0点(タイムオーバー)で問題終了というルール。全問題終了時点で得点の多いチームの勝ちだが、60点以上を獲得した場合は「象印賞」として、その日のクイズに関連した賞品が贈られる。80点以上で海外旅行(ハワイ・オーストラリア・スペイン・地中海・カナディアンロッキー・カリブ海・イタリア)獲得となり、ゲスト解答者も含めて5人全員に送られた。末期(1992年10月以降)は各解答者の海外旅行は無くなり、60点以上の「象印賞」獲得の際、一般視聴者に海外旅行をプレゼントにした。稀にではあるが、両軍とも同点で引き分けの回もあった。番組内で土居は「パーフェクトの得点は100点満点」と言っているが、実際の最高得点は100点を超えており、初期(1979年3月 - 1980年9月)は140点満点、前期・中期・後期(1980年10月 - 1992年9月)は100点満点+4分割ラッキー点+16分割ボーナス点(実質124点満点)、末期(1992年10月 - 1994年9月)は120点満点+16分割ボーナス点(実質136点満点)であった。また、番組内の最高得点・最低得点の記録は不明である。なかなか出ない海外旅行だったが、番組開始から4年1か月後の第200回(1983年4月3日放送)で初の海外旅行獲得が出た。レギュラー陣と視聴者がペアになっての特集だったこの回、男性軍が16分割の最終問題でボーナスクイズを賭け、キャプテンの小林亜星が第3ヒントで見事正解して80点ジャストになったことでハワイ旅行を達成(サブタイトルは「出た!出た!ハワイ旅行!!」。ヒントは「首」などでウイニングアンサーは「打つ」)。番組開始後8年目の1987年12月6日放送には女性軍もスペイン旅行を獲得しており、その際は女性軍5人全員が大号泣した(サブタイトルは「苦節8年女性軍スペイン旅行に大号泣」)。ゲスト(男女両軍2人とも)には、スポンサーの象印から、象印製品が参加賞として贈られる。また、1年間の通算勝利数が多かったチームには解答者全員に賞品が贈られ、毎回オープニングクイズ後に土居が「男性軍、○勝、女性軍、○勝」と、その時点までの成績を発表していた。(なお、終了時点の通算成績も不明である。)男性レギュラー解答者の欠席については例として1980年代では4枠の沖田浩之の欠席時は野村義男(1984年5月27日放送分)が、1990年代に入ると、キャプテンの浅井慎平の欠席時には2代目の山籐章二(1992年4月12日放送分)が、2枠の高田純次の欠席時は「ジュンジの代わりはジュンジが」とタレントの稲川淳二、ジェームス三木(1991年2月24日放送分)らが、3枠の山下規介の欠席時は、元レギュラー解答者の羽賀研二、同じく元レギュラー解答者のおりも政夫、また当時プロ野球選手の高橋慶彦、高橋と同じプロ野球選手の田尾安志らが、4枠の薬丸裕英の欠席時は元シブがき隊のメンバーだった布川敏和、同じく元シブがき隊のメンバーだった本木雅弘、更に、同じジャニーズ事務所の少年隊からは、東山紀之、植草克秀、錦織一清らが、それぞれ代役を務めた事があった。土居は各解答者が誤答をした場合、名詞の場合には「○○じゃないー」、動詞の場合には「○○しないー」という表現がたびたび見られた。また、解答者が惜しい不正解だった時には、土居はよく言葉の語尾を上げながら応えていた()。ゲスト解答者には必ず参加賞として象印の賞品がプレゼントされていて、たとえ一問も答えなくてもお土産が貰えた。特に番組初期(1979年3月 - 1980年9月)には個人戦が無かった為、この傾向が顕著であった。番組前期(1980年10月)からは個人戦を導入し、ゲスト解答者同士の対決の場が設けられたため、終始無言という事態は解消された。SMAPの木村拓哉も第630回(1992年10月25日放送)でゲストで出場した事がある。その時には16分割の問題で2問連続正解している(答えは学校とヒッチコック)。なお、この回の女性ゲストはのちにレギュラーとなった兵藤ゆきである。 男性キャプテンの浅井慎平と2枠(当初3枠)レギュラーの高田純次は、どちらかが正解した際には二人でよく握手を交わしていた。またかつて、2枠レギュラーに宮尾すすむが座っていた時も、宮尾の前でキャプテンの浅井と3枠の高田が、お互い手を差し伸べて握手するというシーンもあった。高田は4分割問題等で、相手が誤答した後で解答に自信が有る時には、ボタンを連打するのがクセであった。ただしそうやって解答権を得ても誤答することがあり、背後のランプは誤答を示す「赤」がいくつも並ぶ事が多かった。また、同じ2枠の小林千登勢(おっかさん)、前期の4枠のマッハ文朱、前期・中期2枠の宮尾すすむ、後期4枠の薬丸裕英も誤答を示す「赤」がいくつも並ぶ事が多かった。パート4のテクニカル問題で、女性軍への出題がなされる前、男性軍のメンバーは紙に印刷された正解を見ながらまったくデタラメの答えを言うのもお約束だった(特に宮尾と高田が多かった)。パート2の4分割のラッキークイズは、ごくまれにゲスト同士の対戦でいきなりラッキークイズとなったこともあった。ゲストの参加賞商品は、男性軍と女性軍でそれぞれ男性向けと女性向けの象印製品が用意され、勝利した方がやや豪華な賞品であった。しかし、ごく稀に引き分けとなったケースがあり、その際には男女ともに同じ商品が寄贈された。1990年1月から出題中のBGM、ラッキークイズおよび正解時のチャイム、時間切れ・誤答時のブザー、問題解説の時の赤枠表示やテロップ、さらに分割画像の拡大・縮小などの効果音や画像などが変更されている。また画面の得点表示のフォントがやや丸くなり、正解イラストはコントラストが以前より鮮明になった他、効果音も追加された。番組末期の「象印賞」到達時の勝利の場合は、それまでは通常の勝利チームのBGMから違うBGMに変わり、それにチーム全員のイラストの上に「象印賞獲得!」と表記した画面に切り替え、スタジオの映像に変わる。黒澤久雄は4分割で、1枚目が開く前に(つまりノーヒントで)正解した事がある。そのときの答えは「みつばち」。各問題前に土居が口頭でヒントをひとつ言う為、ノーヒント正解も不可能ではなかった。番組終了時は、司会者席の後ろのモニターに「次回もお楽しみに!」と映し出されており、この番組の放送の途中から司会の土居と4人ずつの男女レギュラー解答者のイラストも一緒に出されるようになった。この番組は魔法瓶メーカーの象印が一社提供の為、同業他社であり象印のライバル企業でもあるタイガー魔法瓶への配慮として、この番組では名前に絡むトラそのもの、およびそれに関する問題(例・干支)は出題する事が絶対禁句で、象印・タイガー魔法瓶とともに在阪の関係である阪神タイガースに関する問題さえ作れなかったという。過去の問題で、「プロ野球選手のニックネーム」という16分割問題が出題されているが、阪神の選手(当時)は出てきていないが阪神以外(当時)の11球団全ての選手(当時)は出てきている。しかし、この番組の一社提供である象印で名前に絡むゾウそのもの、およびそれに関する問題は出題することが可能だった。新聞のテレビ番組表には、勝負の結果を表す可能性がある書き方をしており(特に16分割問題)、主な例として、「宮尾(高田・薬丸・おっかさん)・16分割大ヒット」、「男性軍・自信満々の大逆転」、「男性軍・敗色濃厚からの大逆転」、「亜星(山藤)本日卒業・16分割総ナメ」、「来たぞ・来たぞ・マッハ」、「たかが1点・されど1点」、「惜しい・女性軍あと1点に涙」、「女性軍・海外旅行獲得に全員大号泣」等が挙げられているこのような半ばネタバレとも取れるタイトルの書き方は、『アップダウンクイズ』(毎日放送、1975年3月末まではテレビ朝日系列の前身のNET系列で放送)や『パネルクイズ アタック25』(朝日放送)でも散見されている。長らく安定した人気と視聴率を得ていたが、1986年4月の象印のロゴ変更と1987年頃から一部のクロスネット局や他系列局といった遅れネット局が当番組を打ち切る等、人気に陰りが見え始める。打ち切りの背景には、遅れネット局へのスポンサードネットの段階的終了が要因としてある。そのため、遅れネット局でも継続した局ではこの時期に象印一社提供からローカルスポンサーに変更となった局もあった。さらに、番組末期は視聴率で裏番組(特に1986年10月から1992年3月まで放送されていたTBSの『テレビ探偵団』や番組終了半年前に放送開始した日本テレビの『投稿!特ホウ王国』)に苦戦するようになった。また、日本プロ野球でシーズン中(3月頃から10月頃)の読売ジャイアンツ戦やオールスターゲームといったナイトゲーム中継(日本テレビ・TBS・フジテレビ)にも苦戦していた。そして1994年9月25日をもって15年7か月の歴史に幕を閉じた。なお、15年7か月の番組放送期間は、34年9か月続いた象印1社提供枠の中では最も長かった。後番組は、当番組の司会者の土居と同じくフリーアナウンサーで元文化放送アナウンサーの梶原しげると当番組の番組末期の女性レギュラー解答者の3枠であった兵藤が司会の『象印ニュースクイズ パンドラタイムス』。後枠も引き続いて象印提供のクイズ番組だったが、半年で打ち切られ、象印一社提供枠は幕を閉じた。なお、その後は2時間枠となったそれ以降も複数社提供の中に象印は入っていたものの後に撤退している。当番組に隣接する2番組(先行の番組だった『旅くらべ決定版』と後続の番組だった『世界とんでも!?ヒストリー』)も当番組と同じ日に終了した。番組終了後、司会者である土居まさるをはじめ、歴代レギュラー解答者である沖田浩之・笹沢左保・小林千登勢・中島梓・宮尾すすむなどの多くの出演者が死去してしまったため、復刻版を行うことは1度もなかったが、2009年2月8日放送の50時間テレビ『あのシーンをもう一度!伝説の高視聴率超大ヒット人気番組ぜ〜んぶ見せます!スペシャル(第2部)』で番組の一部(テクニカルクイズ1問と16分割クイズ1問)が紹介された。番組のフォーマットがパロディ化された例は少ないが、1986年9月29日改編において本番組のセットや演出を流用した『ANNニュースレーダー』の番組宣伝が作られた(出演者は本番組の司会やレギュラー解答者ではない)。2011年には、同じくテレビ朝日系列で放送されていた『海賊戦隊ゴーカイジャー』の第26話「シュシュッとTHE SPECIAL」にて、敵怪人のサタラクラJr.が司会の『ボキ印クイズ ヒントでピピッと!!』というパロディ番組が放送された。また、これも同じくテレビ朝日系列であり、2015年9月9日放送の『ナニコレ珍百景2時間スペシャル』において『クイズ 珍トで珍ト』というパロディ企画が行われた(埼玉県鳩山町からの「何の食材の実かわかりますか?」という投稿で、正解はコンニャクの実だった)。2015年5月13日放送分の『くりぃむVS林修!クイズサバイバー2015春』で、クイズの1つとして16分割問題が21年ぶりに復活した。早押し音、正解・不正解のSEはクイズサバイバーのSEを使用しているが、出題のSEは当時のSEを再現している。また、2015年10月7日放送分の『くりぃむVS林修!クイズサバイバー2015秋』においても行われた。さらに、2015年12月31日放送分の『くりぃむVS林修!年越し早押し7時間!!クイズサバイバー2015』においても行われた。遅れネット局に対する象印のスポンサードネット打ち切りによる番組打ち切りが多くみられた。

出典:wikipedia

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