源五郎丸 洋(げんごろうまる ひろし、1964年1月15日 - )は、佐賀県出身の元プロ野球選手(投手)。大分県立日田林工高等学校出身。1981年のドラフトで阪神タイガースは電電九州の右田一彦投手を1位指名するが、抽選で右田は横浜大洋ホエールズに獲得され、外れ1位として指名された。美しいフォームで入団当初は「村山2世」と呼ばれ、将来を嘱望された。1982年のキャンプ打ち上げ後の紅白戦で実戦登板し、ランディ・バース、掛布雅之を抑える好投を見せるが、翌日の練習中に右大腿二頭筋断裂で全治2カ月の重傷をおう。結局、一軍に一度も上がることなく1986年に現役引退した。成長期に体に負担がかかるフォームであったことが原因だったともいわれているが、阪神OBの評論家・江本孟紀は「体もできあがっていないのに、有料紅白戦の客寄せパンダに使って、あたらしい逸材を壊してしまった」と当時の阪神首脳陣を批判した。球速は速かったらしく、掛布がある番組で「怪我さえなければ間違いなく活躍していた選手だった」と発言している。引退後、妻の実家のあった滋賀県で「源五郎丸スポーツ&薬局」を開店した。入団後は「源五郎丸」の名字にも注目が集まり、GENGOROUMARUと12文字にも及ぶローマ字がユニフォームに正しく収まるかで議論が起こり、収まらない場合は最悪背番号を囲んで丸く書くか、上下2段にすることも考えられたらしい(実際は問題なく収まった)。堤内健のTSUTSUMIUCHI、中野渡進のNAKANOWATARIと並び、NPBの選手の中でもっとも長いユニフォームの英名であったが、2007年にロッテに入団した下敷領悠太のSHIMOSHIKIRYOが13文字で最長となった。
出典:wikipedia
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