溝口 和洋(みぞぐち かずひろ、1962年5月4日 - )は、日本のやり投選手。和歌山県西牟婁郡白浜町出身。高校からやり投を始め、三年時のインターハイでは59m68で6位、国体では60m72で2位となっている。1981年に京都産業大学に進学。4年時のロサンゼルスオリンピックでは74m82で予選20位。1985年にゴールドウインに入社。1986年のソウルアジア大会では76m60で優勝、金メダルを獲得。1987年8月30日の世界陸上ローマ大会では80m24で6位入賞。1988年のソウルオリンピックでは77m46で予選19位。1989年5月27日のサンノゼ国際グランプリでは87m60の日本新記録をマーク。当初87m68の世界記録と発表されたが、計測員がビニール製のメジャーで再計測し87m60と発表された。7月14日のロンドン国際グランプリでは85m02で優勝、6投全ての試技で80mを超えた。IAAFグランプリファイナルでは83m06を投げて2位となった。1990年の北京アジア大会では75m84で3位になり、銅メダルを獲得。1998年に36歳で現役引退。その後はパチプロとして生活しながら、中京大学でハンマー投の室伏広治ややり投の三宅貴子をボランティアで指導した。指導をきっかけに知り合った三宅と結婚し、2007年から故郷の白浜町で農業を営んでいる。1989年の関西学生秋季大会では十種競技にオープン参加、7200点を記録している。「練習はウエイトがすべてで、あとはプラスα」「外国人選手との違いはパワーにある。だったらウエイトすればいい」という考え方から現役当時は一日平均四時間以上のウエイトトレーニングを行い、「ウエイトの溝口」と呼ばれていた。ピラミッド形式でベンチプレス総重量100トンと懸垂500回を一日でこなしたことがあり、このときの練習は正午から始めて夜九時までかかったという。ウエイトトレーニングだけで12時間かけたことがあるという。溝口の練習量について、中京大学時代に指導を受けていた室伏広治は「溝口さんは練習の鬼だった。自分も厳しい練習をこなしているほうだと思っていたが、溝口さんは、誇張でもなんでもなく、私の10倍以上の練習内容をこなしていた。」と語っている。
出典:wikipedia
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