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御家流 (茶道)

御家流(おいえりゅう)は、江戸時代初期に美濃加納藩主・安藤信友が興した茶道の流派。譜代大名の安藤対馬守家(幕末期は磐城平藩主家)で伝承され、安藤家御家流とも言う。細川三斎の門人一尾伊織が興した一尾流の流れを汲み、織部流を合わせたものである。留流として安藤家中以外へは秘されてきたが、1970年より一般へ教授されるようになった。米川流の香道、伊勢流の礼法と合わせ伝えられている。安藤対馬守家の初代・安藤重信は、江戸幕府2代将軍徳川秀忠の老中として近侍し、織部流を習いとしていた。4代目の安藤信友は、和歌、連歌、発句、茶道、香道、能楽など数々の文芸を嗜み、特に茶道については一尾伊織の門人の米津田賢に入門して奥伝を受けている。これに際して家臣の塚田宗佐、三尾周助の2名が伝授を受けた。以後、織部流と一尾流とを合わせて伝えてきた。安藤対馬守家は6代安藤信成が美濃加納藩から磐城平藩に転封され、ここで幕末を迎えている。明治維新の際の当主は12代安藤信勇(のぶたけ)であったが、幼少であったため隠居の10代安藤信正が藩政を指揮していた。信正は佐幕の姿勢を示し、奥羽越列藩同盟に加わったことから、磐城平城が落城した上一旦城地を没収され、信正は謹慎を余儀なくさせられた。安藤家は明治2年(1869年)8月に旧地磐城平への復帰が認められている。この混乱の中で、代々茶道役を務めていた三尾宗吉、三尾順助によって伝書や道具の類が伝えられ、綾信の実母百合子に伝えられて現在に至っている。現在は、安藤家の分家から15代安藤信昭の養子となった安藤綾信が、茶道・香道における安藤家御家流の家元(茶道16世宗家・香道11世家元)を務め、活動している。なお、「安藤家第16代当主」として霞会館(旧華族会館)の会員となっているのは、信昭の次男・安藤信和である。

出典:wikipedia

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