『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』(クイズせかいはショー・バイ・ショーバイ)は、1988年10月12日から1996年9月25日まで、日本テレビ系列で放送されていたトークショーとクイズ番組を交えたバラエティ番組である。毎週水曜日の20:00 - 20:54 (JST) に放送された。後に番組タイトルが1994年10月19日の放送から『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』(しんそうかいてんショー・バイ・ショーバイ)、1995年10月18日の放送から『新装開店!SHOW by ショーバイ2』(しんそうかいてんショー・バイ・ショーバイ ツー)と改められた。通称は『SHOW by ショーバイ!!』または『ショーバイ!!』。本番組のテーマは「商売」である。現代の世界と日本におけるさまざまでユニークな職業や商売を現地取材によるレポート、その中の物事に関することをスタジオの司会者と解答者によるトークとクイズ形式で紹介した。世界の情報紹介にクイズのゲーム性を加味し、番組の要素とした。番組タイトルの意味は、初代司会者の逸見政孝によれば「世界は商売によるショー(SHOW)である」といい、この番組の製作姿勢を表すものである。本番組では番組自体を店とみなし、司会の逸見が「店長」(逸見没後の1994年3月16日の放送からは福澤朗、福澤の愛称は「若旦那」)、渡辺正行が「大番頭」、賭け点を「ショーバイマネー」、トップ賞を「売上No.1」と呼称する。得点は「売上金」と見立てて「萬」(=万円)という単位が使われた。逸見政孝の短期入院(1993年2月24日)、およびガンによる降板から福澤朗の2代目店長就任まで(1993年9月22日 - 1994年3月9日)の期間に「店長代理」として司会を務めたタレント(福澤は当時日本テレビアナウンサー)である。これとは別に、1989年12月20日放送分では、大番頭役の渡辺が当時の2枠レギュラー解答者であった野沢直子と第1問・第2問の間だけ役割を入れ替わったことがある。ほか逸見は番組が開始された1988年3月末にフジテレビを退職し、フリーとなった後では最初の他局でのレギュラー番組だったが、この番組でキャラクターが開花し、番組と共に一躍人気者となった。またレギュラー解答者の山城が、第1回放送から逸見の敵役を演じ、あらゆる場面で彼らの掛け合いが行われた。この掛け合いが後に行われる特番において、逸見と山城をキャプテンとする「逸見チーム」VS「山城チーム」へのチーム対決へと発展した。番組では週ごとにテーマが設定され、日本および日本以外の2-3か国からそのテーマの商売に関するクイズが出題された。番組開始当初から1989年10月ごろまでは「世界の○○」(○○にはその週ごとの職業が入る。第1回放送のテーマは「世界のタクシードライバー」)というようなテーマであったが、その後は「○○の商売」という形になった。視聴率は放送開始当初こそやや苦戦していたが、番組開始から2年が経過した1990年の冬には視聴率20%を割る回のほうが少なくなるまでに上昇。1991年から1992年ごろには常に高視聴率をキープした。逸見自身は「15%の視聴率を狙いたい」と語っていたが、1991年には年間平均視聴率が21.2%に達し、バラエティ・音楽番組部門の平均視聴率ベスト10で第1位となった。最高視聴率は同年の4月24日に記録した26.9%である(この回は、山瀬まみが野沢直子に代わる新レギュラー解答者となった最初の回でもある)。1992年12月30日の特番『クイズ年末はSHOW by ショーバイ!!』において、「逸見チーム」が負けた場合には、司会(店長)を山城に譲る事を、同特番直前のレギュラー放送のエンディングにて逸見が発言した。このため、店長交代の可能性もあったが、同特番では「逸見チーム」の勝利となった事で逸見は店長の座を守った。1993年9月8日の放送を最後に逸見がガンの闘病生活に入ったため番組を降板。逸見の番組復帰を想定し、同年9月22日から12月22日までの間、この時点では正式な2代目店長を立てず、毎回異なる司会者が店長代理を務め、特番でも逸見が不在ながらも「逸見チーム」のまま継続した。また、店長代理時代の番組宣伝CMは、CM最後にその週の店長代理を務める者が「今週は私が店長代理です。さぁみんなで考えようー!」というフレーズを渡辺とともに述べて締めていた。しかし同年12月25日、復帰が願われていた逸見が死去。その4日後の12月29日に放送された『クイズ年末はSHOW by ショーバイ!!』の冒頭では渡辺と山城が追悼コメントを述べ、番組のラストでは「逸見さんへ これからもSHOW by ショーバイを続けて行きます。天国で見守っていて下さい SHOW by ショーバイ 出演者、スタッフ一同」というテロップが挿入された。年が明けて1994年1月5日、逸見政孝追悼番組と題して放送した『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!逸見さんに捧げる逸見さんスペシャル』を経て、その後の3月9日放送分まで店長代理でつないだ。1994年3月16日放送の『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!新装開店スペシャル』から2代目店長に福澤朗が正式に就任して逸見の後を受け継いだ。また、この回からセットなどがリニューアルされ、既存クイズのルール変更や新形式のクイズが増えた。1994年10月19日放送分からは、番組名を『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』から『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』に改め(ミリオンスロットに表示されている番組タイトルは『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』のままだった)、大幅なリニューアルを行うこととなる。これにより、番組開始当初から行っていたクイズの主題となる「今週のテーマ」ならびに「取材国」の発表などが廃止され、ミリオンスロットを使用しないクイズが増えた。1995年1月18日放送分からは「看板娘」こと久本雅美が司会者に加入、司会陣は3人となる。このころから番組の本来のテーマであったはずの「世界の商売」からかけ離れたクイズやゲームが増えはじめ、視聴率も次第に下降するようになった。福澤が正式に司会者に就任してから約1年半の間は、毎週必ずどこかしらのルールが変更されるようになった。1995年10月18日放送分からは、番組名を『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』から『新装開店!SHOW by ショーバイ2』へと再リニューアルした。番組開始当初からあったミリオンスロットが廃止され、体を使って解答権を得る一般常識クイズが登場。山城や馬場が勇退するなど、番組本来のコンセプトが次第に失われていった。1996年9月25日放送分をもって8年間にわたる『SHOW by ショーバイ!!』シリーズの歴史に山城の一言を付け加えた形で幕を閉じた。渡辺は番組終了まで逸見や福澤朗(当時日本テレビアナウンサー)、久本雅美とコンビを組みすべての放送に出演した。なお、番組タイトルロゴの上下部分のキャラクター(「ミリオンスロット」の5萬と50萬の出目)は、番組終了後も1999年秋の『スーパークイズスペシャル』まで使われていた。2001年12月29日に放送された『スーパースペシャル2001・20世紀のクイズ名場面そして今夜だけ大復活・マジカル頭脳パワー!!21世紀芸能界No.1頭脳決定戦スペシャル』内で、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』をはじめとする日本テレビのクイズ番組の名場面が放送された。番組終了後から2011年まで「総集編」という形での特集は上記の1件のみあるものの、再制作は一度も行われていなかった。2012年1月1日放送の『嵐にしやがれ 新春2時間半スペシャル』コーナー内にて、1夜限りの復活をすることとなった。ただしこの時の復活版は「何を作っているのでしょうか?」、「世界のアナウンサー早押しクイズ」のみが再現された。お手つきを表す「×」や「1回休み」札は廃止され、この番組の売りであったミリオンスロットもなく、セットの回答席も初代をアレンジしたもので回答者も10人(5×2段)となっていた。このときは準レギュラー解答者だった蛭子、川合、峰も出演していた。解答者席にテレビモニターの「ミリオンスロット」と呼ばれるスロットマシンを設置。問題ごとに解答者がスロットの回転をストップボタンを押して止め「ショーバイマネー」(得点)を決定、正解で表示されたショーバイマネーを得点分として獲得できる(ただし筆記クイズでは不正解だが正解に近い解答の場合は出したショーバイマネーの半額、または1萬などが与えられたことがあった)。そのため、この番組の大きな特徴として「同じ問題に正解しても獲得するショーバイマネーが異なる」という点が挙げられる。スロットは筆記クイズの場合はシンキングタイム後に行われ、早押しクイズの場合はクイズの出題直前に行われた。このミリオンスロットのシステムは、タイトーが制作した。またスロットは下から上に向かって回転する。最終問題の「ラストクイズ」は、正解者のみが司会者席のミリオンスロットを使用して「ラストスロット」に挑戦する形式。ラストスロットには、解答者席にある出目の他に「100萬」や後に「破産」の出目が加わっている。そのため、たとえそれまで1問も正解していなくてもラストクイズのみの正解でゴールドプレート獲得のチャンスが存在したため、このラストスロットでさまざまなドラマが生まれ、また山城新伍をはじめとする解答者が一喜一憂した。また、正解者が2人以上いる場合はそれまで獲得していたショーバイマネーの低い順にスロットを回したため、例えばトップが90萬で「あと10萬を出せばゴールドプレート獲得」という局面になっても、横取り40萬(後述)を出してゴールドプレート獲得を阻止し、逆転で売上NO.1となるケースもあった。売り上げ合計が100萬に達したパネラーが出なかった場合、合計金額が多かった解答者は「売上No.1」となり、ナゲット金貨(1988年10月 - 1989年3月)やパンダ金貨(1989年4月 - 1990年8月)やゴールドバー(1990年9月 - 最終回)などの商品が授与された。さらに、クイズの途中でも売上が100萬に到達した時点で番組特製・時価100万円相当の純金製「ゴールドプレート」(三菱金属→三菱マテリアル)が贈られ、ゴールドプレートの獲得を番組の目的としていた。また、1994年1月19日放送分からは、売上80萬以上獲得で協賛航空会社であるJALの「ひとっ旅クーポン」が副賞として贈呈されるようになった。解答者は、番組開始当初は5人制であったが、1992年7月8日放送分で6人制に増設された。得点(売上)単位は「萬」で、ミリオンスロットの出目は当初、「5萬」「10萬」「20萬」「30萬」「50萬」の5種類。司会者席のミリオンスロットには、これらに加えて「100萬」が存在した(番組開始当初は通常のミリオンスロットにも「100萬」が存在したが、すぐに削除された)。後に以下の出目が追加された。2代目司会者に福澤が就任した1994年3月16日の放送から「ミリオンスロット」が「スーパーミリオンスロット」にバージョンアップし、解答者席のミリオンスロットにも「100萬」が出るようになった。また、新ルールとして「ショーバイマネーマイナス制」が導入され、横取り40萬で正解した場合、40萬以上持っていない解答者からも40萬分を横取りできるようになった(横取りされた解答者は不足分がマイナスで表示される)。また横取り40萬で正解した場合、逸見店長時代には不可能だった売上100萬以上達成者からの横取りも可能になり、それに伴いゴールドプレート獲得の条件も最終的にショーバイマネーが100萬以上でないと獲得出来ないルールに変更された。新セットになってからはシンキングタイム時、スーパーミリオンスロット回転時に得点ボードの電光掲示板、電卓を模したバックのランプ、ミリオンスロット縁のランプが点滅するようになった(のちにシンキングタイム時は電卓ボタンを模したランプのみ点滅)。スーパーミリオンスロットには新たに以下の出目が追加された。1994年4月20日放送分を最後にラストスロットで破産を出した場合の破産分配制度が廃止された。また、副賞のひとっ旅クーポンの獲得条件が売上80萬から10萬アップして売上90萬になったが、1994年7月20日放送分を最後に事実上廃止された。1994年10月19日放送分から番組タイトルが『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』から『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』になり、解答者は2人1組のペア×5枠の10人制となった(厳密には1994年9月14日放送の『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!200回記念スペシャル』からペア制になった)。ペアの組み合わせは、当初は「席決めカルタ」で決められていたが、1995年3月1日放送分からはあらかじめ決められた組み合わせとなった。改名と同時に、商売以外の話題やエピソードから出題されるクイズや、ミリオンスロットを使用しないクイズが増え、売上100萬到達の賞品であるゴールドプレートも廃止された。賞品はラストクイズである「スーパージャックポットクイズ」にピタリ正解した場合のみ、それまでの売上と同額の純金、ならびにクイズで使用された器に入っている硬貨を獲得できるというものになった。これにより、それまでの売上が2位以下の解答者でもスーパージャックポットクイズにピタリ正解すれば優勝者扱いとなり、本来の売上No.1の解答者は負けとされるので、スーパージャックポットクイズがラストスロットにかわる番組の山場となった(司会者席にあるミリオンスロットは福澤が行う「ひとりだけでスーパーミリオンスロット」や後に司会に加わる久本雅美が行う「マチャミリオンスロット」で使用される以外ほとんど使用されなくなった)。1995年1月18日放送分からは久本雅美がレギュラー解答者から司会に加わり、福澤朗・渡辺正行を含めて司会陣は3人となった。1995年2月1日放送分から、筆記問題が廃止されて早押しクイズが中心となり、時間短縮のために横取り40萬制度も事実上廃止された。このあともミリオンスロットに横取り40萬の出目は存在し、止まって正解した場合は横取り行為を行っていたが、放送ではカットされていた。また、ショーバイマネーのインフレ化も起こり、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』時代の通常放送では考えられなかった売上300萬や500萬などが当たり前になり、ときには1000萬が出たこともあった。通常放送で獲得したショーバイマネーの最高額は、番組タイトルが『新装開店!SHOW by ショーバイ2』となった1995年12月6日放送分で清水圭が獲得した2740萬である。当時はショーバイマネーを表示する電光掲示板が3桁だったため、番組内では999萬であった。このことを受けて、翌1996年1月10日放送分より電光掲示板が4桁表示になった。ちなみに最低得点は1996年3月13日放送分のジミー大西が記録した-700萬。1995年10月18日放送分より、番組タイトルが『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』から『新装開店!SHOW by ショーバイ2』となってからは、解答者8人制の個人戦となり、番組開始当初からの名物であったミリオンスロットが廃止された。改名当初はさまざまなタイプのクイズを出題したが、2択クイズである「ギャンブルタイム」が登場するとそれをメインとした内容となった。「ギャンブルタイム」では、お色気路線の問題や出演者のゲーム対決の勝敗を予想する問題など、変り種の問題も数多く出題された。そして、1996年4月10日放送分からは体を使ったゲームが登場するなど、当初の番組趣旨である「商売」からはかけ離れた内容となったが、商売を題材にしたクイズは一応出題されていた。本節では『スーパークイズスペシャル』内で実施されていたもの以外を取り上げる。春・秋の番組改編期と年末年始の年3回(1990年のみ4回)、2時間枠(1989年正月は1時間30分、1990年正月は2時間30分)の特番が放送された。番組タイトルは放送の時期が反映され、それぞれ『クイズ正月はSHOW by ショーバイ!!』、『クイズ春満開SHOW by ショーバイ!!』、『クイズ秋本番SHOW by ショーバイ!!』、『クイズ年末はSHOW by ショーバイ!!』(特番開始当初から1990年までは、春の場合「4月は」(1989年春)または「春休みは」(1990年春)となっていた。また、秋も同様に「10月は」(1989年・1990年秋)となっていた)などと題された。司会者の逸見政孝とレギュラー解答者の山城新伍をキャプテンとして「逸見チーム」と「山城チーム」に分かれてクイズを行う対抗戦形式。番組開始当初からの「クイズ番組初司会、人のよい逸見政孝」と「逸見にちょっかいを出してからかう解答者代表・山城新伍」という対決構図から発展したものであり、年間最高視聴率ランキングに毎年登場するほどの人気特番となった。逸見が癌のために闘病生活を余儀なくされ、番組を降板して出演しなかった1993年の秋と年末の特番についてもキャプテンと司会は渡辺正行が務めたが(この際、大番頭代理は明石家さんまが務めたが、チームのメンバーおよび渡辺からはさんまがキャプテンとして扱われていた)、チーム名は「逸見チーム」のままであった。なお、逸見死去後の1994年春の特番からは、2代目司会者に福澤朗が就任したことから「福澤チーム」となった。1994年年末以降は紅白対抗戦、あるいは山城チームVS上岡チームという対決構図となった。放送時間は基本的に春と秋には2時間(19:00 - 20:54)、年末には2時間半(18:30 - 20:54)だった。両チームの解答者数は5人(1989年正月 - 1990年秋)→6人(1990年年末 - 1992年春)→7人(1992年秋 - 1994年秋)と変遷。なお、1994年年末以降は両チームの解答者数が毎回変更された。1992年年末の特番では、逸見チームが負けた場合、逸見が山城新伍と司会の座を交代するというタイトルマッチさながらの対決もあった。結果は逸見チームが勝利し、逸見は司会の座を守った。相手チームに出題する筆記問題や両チーム対抗の早押し問題があった。問題が終わったら両チームそれぞれ、正解者の中から代表1名が司会者席のミリオンスロットに挑戦。出た金額×(そのコーナー内での)チームの正解者数の金額がチームに加算された。早押し問題は2回お手つきをした解答者のみが失格になったが、逸見降板後の1993年秋の特番からは1回休みになった。「新装開店!」になってからの早押しクイズはコーナー分の問題終了の正解数×出た金額から1問正解する毎に100萬(50萬)が加算され、1995年秋の書き問題(「いくらでやるの?」以外)でも同様に正解数×100萬が加算された。「個人戦早押しクイズ」。両チームより1人ずつ登場して1対1の早押しクイズを行い、お手つきなどのペナルティはない。基本的に6 - 7問出題され、3問目および6・7問目が終了した時点で両チームのうちの1人がミリオンスロットに挑戦し、出た金額×チームの正解者数(1995年春は正解した問題数)の金額がチームに加算された。このコーナーでは数々の珍解答や名場面が生まれた。最後は逸見と山城のキャプテン戦。そのため、このコーナーのみ司会進行は福留功男(1990年正月・春)や立川志の輔(1990年秋 - 1993年秋、1994年春・秋)、また後に2代目店長となる福澤朗(1993年年末)がゲスト出演して担当した。「世界のアナウンサー早押しクイズ」。これは『スーパークイズスペシャル』でも後半戦最初の問題で行われるほどの超人気クイズだった。詳しくは後述する。1993年春までの特番の予告CMでは逸見と山城が様々なキャラクターに扮した。また、引き立て役として司会の渡辺正行をはじめ、他の解答者も出演した。その週の取材国からのVTRが流れ、その週のテーマに関する問題を出題。解答者の答えを逸見が1枠から順(後に渡辺が指名した順)に見ていき、解答の理由を聞いていった。当時のクイズ番組のオーソドックスな形式であったが、このときの逸見と解答者のやり取りが人気を呼んだ。1994年7月27日放送分をもって終了。1988年12月14日放送分から登場。当時、番組のナレーターを務めていた立川志の輔が日本国内を取材して出題するクイズ。「志の輔のクイズを探せ!」と入れ替わる形で1989年12月13日放送分をもって終了。1989年12月20日放送分から登場した「志の輔のショーバイ裏のウラのうら」の続編。立川志の輔が取材をしてクイズになるネタを探すという設定。また、クイズについて山城が採点し自身が正解した場合と不正解の場合で点数が違い不正解のときは0点がほとんどだった(視聴者プレゼントの応募で必要なキーワードとなる)。早押しクイズの台頭にともない「オープニング早押しクイズ」と入れ替わる形で1992年2月12日放送分をもって終了。志の輔がクイズを出題するときの決め台詞は「今週もナーイス・クイズ!」。1989年3月まであったクイズでのちに4つの中に1つ当てる問題、逸見はこれを「ウソつきクイズ」と呼んでいた。それがそのあとの「ウソつき4択」に変更された。「ホンモノいくつ!?クイズ」が終了するまで、ラストクイズでは正解者のみが司会者のいるラストスロットに挑戦する権利を与えられた。掛け声は「ラスト、スロット!」「いっつみいのウソつき4択」という正式名称がついたのは、1989年4月12日放送の『クイズ4月はSHOW by ショーバイ!!』から。世界の4つの商売のうち1つだけ実在しないニセモノを当てる、または1つだけ実在するホンモノを当てるクイズ。「ホンモノいくつ!?クイズ」と入れ替わる形で、通常放送では1993年9月29日放送分で、番組対抗特番では同年3月31日放送の『春は人気番組でSHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシクどんなMONだい?!』で、特番では同年10月13日放送の『クイズ秋本番SHOW by ショーバイ!!』で終了。その後、1994年10月5日放送の『秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシク特ホウ王国!』で1度だけ復活した。逸見降板後の1993年10月6日放送の『秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシクどんなMONだい?!』(スーパークイズスペシャル)から登場した「いっつみいのウソつき4択」の改訂版。翌週の10月13日に放送された『クイズ秋本番SHOW by ショーバイ!!』で番組に初登場し、その翌週の10月20日放送分からは「いっつみいのウソつき4択」と入れ替わってラストクイズとなった。世界の4つの商売のうち、実在するホンモノの商売は一体いくつあるのか、その数を当てるというクイズ。途中から紹介した4項目のうち、ホンモノなら○・ウソなら×と記述の部分が加わる。数は正解だが○×の詳細は誤っていた場合はラストスロットを1回だけ叩くことができ、数だけでなく○×の詳細も正解ならばラストスロットを2回叩くことができる。ホンモノの数が0、または4つ全ての場合もあり、その場合の正解者は必然的に2回叩く事になる。2回目のラストスロットの掛け声は、「ダブル・スロット!」「スーパージャックポットクイズ」がラストクイズとして復活し、それと入れ替わる形で1994年7月6日放送分をもって終了。1994年3月16日放送の『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!新装開店スペシャル』(福澤が2代目司会者として就任した最初の放送)から登場。一旦休止後、同年7月13日放送分からラストクイズとして復活。最終回までラストクイズとして登場した。「スーパージャックポットマシーン」という金額を計算しながら硬貨を放出する機械を使い、週によって様々な器の中に、同じく週によって金額の違う硬貨(10円、100円、500円等)を目一杯入れ、その中にいくら入っているかを当てるクイズ。ヒントとして、序盤は放出される金額の合計がデジタルで表示されるが、途中で各桁のシャッターが下りてデジタルが隠され(最初のみ右から左へ横にスライドするシャッターで隠した)、更にヒントとして、問題となる3つの桁を残してシャッターが開けられて金額が表示される。硬貨の放出は福澤がレバーを引いて放出、レバーを戻して放出が止まり、器から溢れて外に落ちると、器の中に戻す。正解発表は福澤が各桁のボタンを押し、シャッターを上げて数字を発表する(最初のみシャッターを左から右に開けて、大きい位の数字から発表した)。正解発表の際、福澤が「オープン ザ・まーん(万)!」などと絶叫しながら発表するのが名物であった。なお、1996年9月25日に放送された最終回スペシャルの翌日に放送された1996年秋の『スーパークイズスペシャル』では「スーパージャックポットクイズ」と同じ要領で体重の合計を当てる「体重ピタリ当てましょう」というクイズが出題された。1990年1月3日放送の『クイズ正月はSHOW by ショーバイ!!』から登場。通常放送では1990年4月25日放送分から登場し、一躍番組の看板クイズとなった。いわゆる「ものづくり」を行う工業系の会社の工場で取材された、ある製品の製造工程をVTRにまとめ、その製品が何であるかを当てる。扱われた製品は「耳かき」「野球ボール」などから「東京ドーム」「スペースシャトル」まで実に多岐にわたった。また、1991年12月25日放送の『クイズ年末はSHOW by ショーバイ!!』では当時発売されていた番組のボードゲーム(ミリオンスロットの台)の作業工程がクイズの答えになっていた(この問題は逸見が正解し後半10秒押さないハンデをつけた対戦相手の山城に対し「とにかく何が何でも勝てばいい」と言い返した)。1990年10月10日放送の特番にて山城新伍がVTR開始とほぼ同時に押してヘルスメーターと回答、正解音が鳴ったが逸見政孝が待ったをかけた。出題直前に回答ボタンのチェックをした際にジャイアント馬場が強く叩き過ぎて自分の机を壊し、他の出演者の目がそちらに向かった隙に山城は店長席にある答えを見ており、逸見はそれを目撃していたことから発覚。この時の様子がカメラに収められており(逸見が自身の言葉通り目撃していたこともこの映像で確認できる)、それが証拠となって不正行為と認定され正解を取り消された。クイズの問題内容は他に、VTRに登場する人の職業を当てる「何の職業でしょうか?」、ある学校の授業風景を紹介し、いったい何を教えているかを当てる「何を教える学校でしょうか?」、見慣れない道具の使い方を当てる「これは一体何でしょうか?」(後に「謎の道具クイズスペシャル」として独立)、製造工程の中で重要なポイントのときには数秒間一時停止をする「チェックポイント早押しクイズ」など、様々なバリエーションがあった。1994年10月5日放送の『秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシク特ホウ王国!!』で一旦終了し、番組名が『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』になってからは出題されなかったが、再び番組名が変わり『新装開店!SHOW by ショーバイ2』となった1996年4月24日の放送から「新・何を作っているのでしょうか?」というタイトルで復活した。なお、8年間に同種類の問題数は実に442問にも上った(これは1年間に55問も出題したという計算)。1992年2月19日放送分から登場。通常の早押しクイズは問題開始前にミリオンスロットを回してショーバイマネーを決定するが、この問題はVTRが流れている間スロットが回転し続け、早押しボタンを押すと同時にスロットも停止し、その解答時だけのショーバイマネーが決定された。不正解だとスロットは再び回転を始める。お手つき・誤答は2回まで。掛け声は「オープニング、スロット!」、この一言で5人全てのミリオンスロットが一斉に回転を始め、その状態のままVTRスタートとなる。1992年7月8日放送分から登場した「オープニング早押しクイズ」の続編(V.S.O.P.は「バーサスオープニング」の略)。6人の解答者を赤チーム・青チームに分けておこなう団体戦要素も兼ねたクイズ。出題前のミリオンスロットを回してショーバイマネーを決定する際に、得点板に併設されている赤・青のランプが連動して点滅し、スロット停止と同時にランプも止まってチーム分けが行われた。正解すると、正解した解答者のショーバイマネーが正解者だけでなくチームメイト全員に入る。つまり、なにも解答しなくても運だけで最高50萬まで獲得できることになる。チームは各パネラーのスロット停止のタイミングで決まるため、必ずしも赤チームと青チームが3対3になるとは限らず、2対4、稀に1対5となるケースもあった。掛け声は「V.S.O.P.スロット!」(クイズ登場当初は、先述の「オープニング早押しクイズ」と同様、「オープニング、スロット!」と掛け声をしていた)。1994年3月16日放送の「新装開店スペシャル」からオープニングは普通の早押しクイズに戻り、同年4月13日放送分から「チェックポイント早押しクイズ」となった。1992年7月15日放送分から登場。1993年10月20日放送分をもって終了。VTR出題中、解答席前の早押しランプが一定のテンポで規則的かつランダムに1個ずつ点灯し続け、ランプが自分の席の前に来たときに早押しボタンを押し、ランプを止めて解答権を得る。不正解後の出題再開時は、早押しランプの点灯パターンが変わる。VTRが進むにつれて早押しランプの点灯のテンポが速くなり、残り時間が少なくなると更にテンポが速くなる。問題出題時は画面が横に2分割され、上半分の3分の2は出題VTR、残りの下半分は早押しランプが点灯する解答席とボタンを連打する解答者が映された。早押しボタンを押そうと腕を上げた時にランプが点灯、押す時にランプが消灯していて解答権が得られないなど、タイミング良く早押しボタンを押さないとランプは止まらず、いつ解答権を得られるか分からないので、解答者はボタンを連打することになる。初回の放送では出演者の手が腫れたり、山城新伍の腕時計が壊れるなどのハプニングが発生したため、翌7月22日放送分からは手が痛くならないようにと、高田純次が妻のお手製のミトンの手袋を解答者に差し入れし、手袋をはめてボタンを押した。このミトンの手袋は番組が買い取り、クイズ開始時にアシスタントが解答者に配る様になった。逸見降板後の1993年10月13日放送の『クイズ秋本番SHOW by ショーバイ!!』で初登場し、通常放送では10月20日の放送から登場した。このタイトルは、日本テレビ開局40周年のキャッチコピーでもある。複数の人が写った写真の中にいる有名人の当時の姿を探すVTR早押し。「何番・誰」を正確に答えられれば正解。時間が経つにつれて誤った選択肢が減っていく。お手つきは特番では1回休みで、通常放送でも10月20日の放送のみ1人3回お手つきで失格だったが、翌週の10月27日の放送からは1回休みと改訂になった。得点は『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』時代はミリオンスロットで出たショーバイマネー、『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』時代前期がこれまでのショーバイマネーが2倍、『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』時代後期、『新装開店!SHOW by ショーバイ2』時代が100萬獲得と変わっていった。VTRへ移る掛け声は、開始当初「誰が写っているのでしょうか?」だったが、『新装開店-』以降は「みんなの中に、誰がいる?」に変更された。1994年11月9日放送分から登場。1995年1月25日放送分までは、徐々にヒントが現れるVTRを使って早押しを実施する方式。当初、1人3回お手つきで失格だったが、200萬統一後はお手つきをすると1回休みとなる。登場当初から同年12月14日放送分までは200萬から下がっていく方式(早く正解するほど高得点)だったが、同年12月28日放送の『新装開店!SHOW by ショーバイ!!紅白対抗年末大繁盛スペシャル』から翌1995年1月25日放送分までは20萬から300萬まで上昇していく方式(遅く正解するほど高得点)だった。同年2月1日放送分から6月7日放送分までは正解すると200萬に統一された。1990年10月10日放送の『クイズ10月はSHOW by ショーバイ!!』から登場した期末期首特番のみで行われたクイズ。世界のアナウンサーが、慣れない日本語で何と言っているのかを当てる。「頭金5万でマンション購入」「すまんこっちゃ、どうしたこっちゃ」「大ケガだ 赤チン ポチに塗らなくちゃ」など、明らかに下ネタを狙った出題や「ビールと栗金団」(ビル・クリントン)「土左衛門」(ドラえもん)のように別の語彙に聞こえるひっかけ問題もあった。1994年10月12日放送の『クイズ秋本番SHOW by ショーバイ!!』で終了。ゲスト司会者(立川志の輔、福留功男、2代目司会者に就任する前の福澤朗など)の進行で、1対1(場合によっては2対2)で早押しクイズ対決(お手つきなどのペナルティは無し)。基本的に6-7問出題され、3問目および6・7問目が終了した時点で両チームのうちの1人がミリオンスロットに挑戦し、出た金額×チームの正解者数の金額がチームに加算された。団体戦の場合、お手つきした人は、解答権を失い、起立することになる。最終戦は決まって逸見(福澤)対山城のキャプテン対決(ゲスト司会者がいない場合は、その問題のみ渡辺・山瀬が司会を担当)。1992年12月30日放送の『クイズ年末はSHOW by ショーバイ!!』のみ登場。出題した商売が本当にあるか否か、「本当」・「ウソ」の札を挙げて答える。1994年3月30日放送の『春は人気番組で!!SHOWbyショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシク』から登場した早押しクイズ。壊したもの、溶かしたもの、爆破したものを逆再生し、その物体は何であるかを当てる。1994年10月5日放送の『秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシク特ホウ王国!』で終了。1993年4月7日放送の『クイズ春満開SHOW by ショーバイ!!』から登場(初登場時のタイトルは「値段クイズ」であった)。通常放送では、1993年7月14日放送分から登場した。世界のある国における様々な商品の値段や費用などを指定されたとおりに当てるクイズ。1993年12月29日放送の『クイズ年末はSHOW by ショーバイ!!』で初登場し、通常放送では翌1994年5月25日放送分から登場。3つの商品を作ってどれが1番早く売れるのかを予想する。1994年7月6日放送分から登場した「実験クイズ」の改訂版。「いっつみいのウソつき4択」の3択バージョンや実験クイズなどを出題する3択クイズ。このクイズに正解すると、同年9月14日の放送までは解答席のミリオンスロットの出目、9月28日以降は福澤や久本が代表で司会者席のスロットを止めて、出た金額を獲得となる。1995年2月1日放送分をもって終了。1994年9月28日放送分から登場。6人が提示され、それを一人ずつ指定。年齢の高い順にショーバイマネーが割り当てられており、指定した人はショーバイマネーを獲得。年齢が一番高いと100萬、若いと破産となる。1995年2月8日放送分から登場。VTRで紹介する6人の中からニューハーフを当てるクイズ。当初は「世界年齢順クイズ」と同様に各ペアに1人指名。「ニューハーフ」を選べば50萬、「女性」を選んでしまうとマイナス50萬。その後、同年3月1日の放送分から各ペア3人ずつ選ぶ。得点は上記と同じだが、(ニューハーフを当てた人数ー女性を選んだ人数)×50萬=得点の割合だった。同年10月18日放送分から女性を選んだ場合のマイナスが廃止。ニューハーフを当てた人数×50萬が加算した。1994年12月の「年末大繁盛スペシャル」のみ登場。VTRで紹介する6人の中から女性を当てるクイズ。各チーム4人を指名し、「世界年齢順クイズ」と同様に1人指名。「女性」を選べば100萬、但し「ニューハーフ」を選んでしまうとマイナス100萬。得点の低いチームから指名し、どちらか4人出た時点で打ち切りとなる。1995年11月8日放送分から登場。1996年1月31日放送分で終了。前述の「ニューハーフは誰だ!?クイズ」と同様に、6人の中から男性3人を当てるクイズ。パネラーは3人ずつ選ぶ。男性を当てた人数×50萬が加算した。1995年春・秋の対抗戦のみ実施。VTRで紹介する6人を紹介。1番から順に解答。正解すれば50萬、間違うとマイナス50萬。1994年12月28日放送の『新装開店!SHOW by ショーバイ!!紅白対抗年末大繁盛スペシャル』から登場。通常放送では1995年2月8日放送分から登場した。VTRに登場した海外の複数の女性の中から、本物のヌードモデルは誰かを当てるというクイズ。最終回は過去放送回のVTRからニセモノのヌードモデルを探すという逆のパターンがあった(つまり正解以外はすべて本物のヌードモデル)。1995年11月8日放送分から登場。様々な形式の2択クイズに答えていく。これまでに登場したクイズ(ウソつき4択、実験クイズなど)を2択クイズ化したものや、パネラーや司会者の中から2人が選ばれてゲーム対決を行い、どちらが勝利するか予想する問題があった。当初は、1問正解で10萬、以降正解する度に、20萬、40萬…と倍増していき(間違えたら0萬に戻る)、コーナー終了時点の金額が加算されるというルールであったが、後にコーナーの初めは、正解で10萬獲得、不正解でマイナス10萬。そしてコーナーが進むに連れて増減額が上がっていき、終盤では正解200萬、不正解マイナス200萬まで上がった(末期は全問、正解100萬、不正解マイナス100萬で固定)。1994年9月28日放送分から開始された、チーム&解答席決めのオープニングクイズ。回転する台にちりばめられた札の中から、天の声が読み上げる問題の答えが書いてある札をカルタ取りの要領でいち早く取る。1996年3月21日放送の『春は超人気番組大集合!!マジカル頭脳まる見え特ホウ王国ショーバイ笑ってヨロシクバラ珍ウリナリもヒッパレ!!』で初登場。同年4月10日からは通常放送でも開始された。4人による対戦形式。天の声が問題を読み上げた後、分かった人は早押しテーブルまで走って、ボタンを押して解答権を得てから答える。正解なら1ポイント獲得。ポイントを獲得するたびにテーブルとの距離が離され、走らされる距離が伸びる。4ポイント先取した人が優勝で、100萬獲得。1996年4月10日放送分から登場。4人による対戦形式。天の声が問題を読み上げた後、分かった人は腰を20回振って解答権を得る。腰には「フリフリベルト」と呼ばれるものが装着されており、そのベルトによって腰振りの回数がカウントされる仕組み。正解なら1ポイント獲得。不正解の場合、2番目に20回振った人に解答権が移動。その人も不正解だった場合は、全員その問題の解答権を失う。4ポイント先取した人が優勝で、100萬獲得。 番組終了後から1998年春までは、『スーパークイズスペシャル』用の企画としてこのクイズが行われていた。1996年6月19日放送分から登場。天の声が問題を読み上げた後、物凄い速さでアトランダムに点灯するモグラを手持ちのハンマーで叩いていき、モグラが光っているときにモグラを叩くと解答権を得られる。番組終了後から1998年秋までは、『スーパークイズスペシャル』用の企画としてこのクイズが行われていた。番組タイトルの変更並びに放送時期によりオープニングのアニメーション映像が複数パターン存在する。いずれのアニメーションにもミリオンスロットの50萬、5萬の出目に使用されているキャラクターが登場する。上記の他に、番組内では視聴者プレゼント用の番組特製テレホンカード(『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』時代、『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』時代)や電卓(『新装開店!SHOW by ショーバイ2』時代)があった。
出典:wikipedia
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