リンドシェーバー(1988年 - 2016年)は日本の元競走馬、元種牡馬。アメリカで産まれて日本に輸入された外国産馬である。主戦騎手は的場均。※馬齢は旧表記で統一する。リンドシェーバーがデビューしたのは1990年7月8日の新馬戦。圧倒的な1番人気に応え、8馬身差で圧勝した。続くクローバー賞では、不良馬場に苦しみながらも素質馬ノーザンドライバーを振り切り優勝。重賞初挑戦となった函館3歳ステークスでは、不良馬場と悪化し始めていたソエの影響もあってかミルフォードスルーの2着と初の敗北を喫する。その後はソエの治療に専念し、ぶっつけで朝日杯3歳ステークスで挑むことになった。朝日杯では本命馬が不在で混戦が予想される中、リンドシェーバーは1番人気に推された。レースでは4コーナー2番手から直線であっさりと抜け出して快勝。マルゼンスキーが樹立した1分34秒4のレコードタイムを14年振りにコンマ4秒上回った。この朝日杯での勝利が評価され、リンドシェーバーはこの年のJRA賞最優秀3歳牡馬(旧称。現在のJRA賞最優秀2歳牡馬)を受賞した。なお、この年の最優秀3歳牡馬の候補馬の中には阪神3歳ステークスを同じくレコード勝ちしたイブキマイカグラもいたが、得票数は圧倒的にリンドシェーバーが上であった。更に現役馬としては、異例の9億円のシンジケートが組まれることが早くも決まった。このことからも朝日杯のレコード勝ちがいかに競馬関係者に強烈なインパクトを与えたかが分かる。明け4歳となったリンドシェーバーは、ヒヤシンスステークスを4馬身差と楽勝した後、弥生賞に出走するが、直線でイブキマイカグラに差され、2着に敗れた。そして、次走へ向けての調教中に骨折が判明、既にシンジケートが組まれていたこともあって、このまま引退することになった。引退後、種牡馬になったリンドシェーバーはスワンステークス、ファルコンステークスを勝ったギャラントアロー、4歳牝馬特別を勝ったサイコーキララなどの重賞勝ち馬を輩出し、実績を残している。1992年から過ごしていた日高スタリオンステーションを2008年3月6日に退厩し、同年春からJBBA日本軽種馬協会十勝種馬場で種牡馬生活を送ることになった。2011年に種牡馬を引退し、森山智晃牧場で余生を過ごしていた。2016年10月14日、老衰のため死亡。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。