トヨタ車体クインシーズ(とよたしゃたいクインシーズ、TOYOTA AUTO BODY Queenseis)は、愛知県刈谷市を本拠地とするトヨタ車体の女子バレーボールチームである。現在V・プレミアリーグに所属。1951年に刈谷車体(現・トヨタ車体)社内にて9人制バレーボール部が設立されたのが始まりであり、後に6人制に移行。2006年に初のV・プレミアリーグ昇格を果たす。チーム名の『クインシーズ』とは、Queen(英語で「女王」)とSeis(スペイン語で「6」)を合わせた造語であり、「夢と感動を与えることの象徴として女王をモチーフにし、コート上でプレーする6人の選手がそれぞれのポジションで頂点を目指す」ことをイメージしている。練習場はホームタウンの刈谷市にある本社(富士松工場)内の体育館であり、ホームゲームは同市のウィングアリーナ刈谷など愛知県内で開催される。また、同じトヨタグループである男子バレーボールチームのジェイテクトSTINGS(2013年V・プレミアリーグ昇格)も同市をホームタウンとしている。1951年、9人制チームとして創部。その後6人制へ移行し、2000年にV1リーグ(現・チャレンジリーグ)昇格を果たす。同年、谷口倖雄を監督に招聘し、本格的なチーム強化を開始した。V1リーグでも少しずつ順位を上げる。第7回V1リーグ(2004/05シーズン)には準優勝を果たしVリーグ入替戦出場となるが、日立佐和リヴァーレ(現・日立リヴァーレ)に連敗してVリーグ昇格はならず。2005年、元全日本女子監督の葛和伸元を総監督として迎えた(当初はNECレッドロケッツから出向の形だった)。そして、第8回V1リーグ(2005/06シーズン)では初優勝を果たし、入替戦でも茂原アルカスに連勝して、ついにVリーグ昇格を果たした。2006年に高橋翠(現・羽根)が全日本に選出され、チーム史上初めての全日本メンバーとなった。初めてのシーズンとなった2006/07V・プレミアリーグ(Vリーグより呼称変更)では5勝(22敗)を挙げるものの最下位(10位)となり入替戦出場となる。しかし、入替戦では三洋電機大阪(後に三洋電機レッドソア)に2試合連続のストレート勝ちとし、プレミア残留を果たした。2007/08V・プレミアリーグは7位となり入替戦出場を回避。2008年、谷口監督が副部長に就任し、葛和総監督が監督に就任した。同年の皇后杯全日本選手権大会では都築有美子のジャンプサーブやセッター船崎恵視らの活躍で初優勝を果たし、初の全国タイトルを獲得した。V・プレミアリーグでも自己最高の5位に入り躍進した。しかし、2009/10V・プレミアリーグでは怪我人が多く、2009年6月で現役引退した羽根が12月に現役復帰したが、なかなか勝ち星に恵まれない苦しいシーズンとなる。最終的に7位(8チーム中)となってV・チャレンジマッチ(入替戦)出場。V・チャレンジマッチの相手は上尾メディックスとなり、第1戦は3-1で勝利。第2戦で2セット先取してセット率でプレミア残留を果たした(試合はその後逆転されてフルセット負け)。2010/11V・プレミアリーグは5位。2011/12シーズンは皇后杯で準優勝を果たすが、V・プレミアリーグでは終盤に失速して7位となりV・チャレンジマッチ出場となった(上尾にストレートで連勝して残留を果たす)。そのV・チャレンジマッチをもって葛和監督が退任した(黒鷲旗全日本大会は高橋悠コーチが監督代行)。2012年7月に、ジェイテクトSTINGSの監督を務めていた泉川正幸が監督に就任し、入団2年目の竹田沙希が主将になった。新たな体制で臨んだ2012/13V・プレミアリーグでは、中盤戦で調子を上げるも終盤に4連敗するなど失速し、初の4強入りとはならず5位となった。2013/14シーズンはレギュラーラウンドをチーム初となる4位で通過、セミファイナルに進出し最終順位4位となった。勢いを得たチームは同年5月の黒鷲旗大会で初優勝を果たした。2016年6月、泉川正幸の後任監督として多治見麻子を迎え、移籍の荒木絵里香、細川絢加を加えた新体制でスタートを切った。2016年10月版2016年10月版
出典:wikipedia
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