アミ(Ami, 中国語:阿美族、別名:パンツァハ、パンツァ(Pangcah))は、台湾原住民のなかで一番多い14万8992人(2000年の調査による)の人口規模を持つ民族集団。台湾原住民の総人口の37.5% を占めている。居住地域は台湾の東部一帯、花蓮県・台東県・屏東県に亘る広い範囲である。主に平地に集落を構え、中央山脈と海岸山脈(東岸山脈)の間にある細長い渓谷地域(花東縦谷)、その両端の花蓮市や台東市周辺の平野部、海岸山脈の東側の太平洋沿いの平地、台湾南端の恒春半島に住んでいる。また台北市や高雄市など、台湾各地の大都市にも拡散しており、「大都市の原住民」の多くを占めている。アミ族からは多くの歌手、芸能人、スポーツ選手、その他学者、教育者、政治家などが輩出されている。アミ族はコメなどの農業やブタなどの畜産で生活し、海岸部では漁業を営んでいる。伝統的な集落は他の原住民の集落に比較して大きく、500人から1000人規模が典型的である。また花蓮や台東、あるいは遠く離れた台北や高雄で都市生活を送る者も多い。花蓮県瑞穂郷の舞鶴には石器時代の遺跡があり、その二本の石柱はアミ族の発祥神話に関連付けられておりアミ族発祥の地とされている。アミ語はオーストロネシア語族の一種であり、固有の文字は持たない。年配の世代は日本語も使う一方、若い世代は中国語(台湾国語)を使用している。アミ族の人々は一般的に自分たちのことを、「人間」「仲間」を意味するパンツァハと呼んでいるが、今日の台湾ではアミという呼び名がより一般的に使用されている。「アミ」とはアミ語で「北」を意味する。なぜ「アミ」という語がパンツァハの人々を指す言葉になったのか、学会でも定まった見解はない。一つの仮説は、台東付近に住むプユマ族が、自分たちより北に住んでいるパンツァハに対してこう呼ぶようになったというものである。別の仮説は、台東平野に住むパンツァハの人々が、祖先が北方から来たために「アミ」と自称していたことから来ているというものである(台東平野のアミ族に関するこの記述は、日本統治時代の1913年-1918年に編纂された『蕃族調査報告書』第8巻4ページに登場する)。この仮説は、アミという語が、人類学者が「卑南アミ群」(ファランガウ・アミ、Falangaw Amis)と分類している台東市から成功鎮にかけて住む集団から誕生したことを示している。また、太平洋戦争中に台湾原住民の伝統音楽のフィールド調査をした日本人音楽学者・黒澤隆朝は、アミ族の始祖伝説として以下の様な話を採録している。別の伝説では「ラガサン」は二人がもともと住んでいた土地の名ではなく、台湾に漂着したとき最初にたどり着いた山の名であるともいう。その山は、現在の鳳林駅から東南に望まれる、富士山に似た形の山・八里湾山を指すともいう。原住民の歴史によれば、アミ族は大きく5つの集団に分類される。それぞれの集団は、民族衣装や言葉も微妙に異なる。しかしこうした分類は、広く受け容れられているものの、地理的な区分や部族の移住の結果に基づいているに過ぎない。文化、言語、身体的特徴などの調査から分かったアミ族内部の相違とは一致していない。民族的に最も近いのはフィリピンの諸民族であると考えられる。アミ族は母系社会 で、家族の仕事は女性主体であり女性が責任を持つ。母系相続を行うため家業・財産は長女が受け継ぎ、以下優先順位は女性側にある。また姓も母方の姓が引き継がれる。家長は女性であるが、一方で集落をまとめ上げる村長「カキタアン」は男性であり、家長の夫である男性の長老「マトアサイ」が形成する長老会議が村を運営する。集落の男性は成年式を迎え、一人前と認められれば青年団「カッパー」に入団する。カッパーは細かい年齢階級「スラル」に分かれ、責任などもこの階級によって決められる。基本的に下の組は上の組に絶対服従する。それぞれの「スラル」の名は、結成された年代の流行、事件、組の動向にちなんで命名される。以下は、歌手郭英男を生んだ台東市馬蘭の19世紀後半から20世紀後半にかけてのスラル名一覧。アミ族の祭りには豊年祭、播種祭、捕魚祭、海祭などがある。豊年祭「イリシン」は最も重要な祭祀儀式で、毎年夏に行われる。期間は2週間ほどで、時期も日数も村によって異なるが、基本的に南部の台東県では太陽暦の7月、北部の花蓮県では8月に行われる、祭ではブタが殺され、皆で肉を分けて食べる事が行われる。祭では色彩豊かな衣装が着られ、歌や踊りが行われる。また、10月から11月にかけて、アミ語でシカワサイと呼ばれる女シャーマンが主催する祭りがおこなわれる。これには8~15歳の子供が集められ彼らは盛んに踊る。特に祭りの終りの半月ほどは激しく踊り、その間にトランス状態に陥った童女が次代のシャーマンに任命される。歌と踊りはアミ族の特徴でもある。集落ではリズミカルな歌が歌い継がれ、フォークダンスのような踊りが日頃より行われている。花蓮の「阿美文化村」のような観光施設では、恋愛や狩りなどアミ族の物語に基づいた歌や踊りを披露するアトラクションが行われている。また張震嶽のような歌手もアミ族から出ている。日本時代にも陽気な性格が知られており、高砂義勇隊にあってもその性格を存分に発揮していた。アミ族の歌はかつてエニグマの1993年のヒット曲、『Return to Innocence』にフィーチャーされ世界的に有名になったことがある。1996年のアトランタオリンピックのテーマソングともなったこの曲では、アミ族のパフォーマンスグループの一員郭英男(ディファン、Difang)および妻のイガイ(Igay、中国名郭 秀珠)が1988年のパリでの文化交流で披露した「老人飲酒歌」のコーラスが使われた。パリでのパフォーマンスはCDにされ、ここからエニグマのメンバーであるミヒャエル・クレトゥがコーラスをサンプリングして曲にしたが、後に夫妻から無断使用およびクレジットに名前を載せなかったことにより訴えられた。クレトゥは、この音源をパブリック・ドメインと勘違いしており著作権違反のつもりはなかったと述べたが、和解金の支払いと今後クレジットに夫妻の名を載せることを条件にして裁判は終了した。和解金はほぼアミ族文化振興のため寄付されている。
出典:wikipedia
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