アルバート・ジョジュアン・ベル(Albert Jojuan Belle, 1966年8月25日 - )は、アメリカ合衆国・ルイジアナ州シュリーヴポート出身の元プロ野球選手(外野手)。メジャー昇格時の登録名はジョーイ・ベル(Joey Belle)。1987年のMLBドラフトでクリーブランド・インディアンズから2巡目に指名を受け入団。はAA級で20本塁打・69打点を記録してメジャーに昇格し、7月15日のテキサス・レンジャーズ戦でメジャーデビュー。7月19日のミネソタ・ツインズ戦でメジャー初本塁打、7月24日のニューヨーク・ヤンキース戦では満塁本塁打を放った。はレギュラーに定着し、28本塁打・95打点を記録。は9月6日のシアトル・マリナーズ戦でキャリア初の1試合3本塁打を放つなど34本塁打・112打点の好成績。は前半戦で打率.298・23本塁打・72打点を記録し、オールスターゲームに初選出される。打率.290・38本塁打・129打点・23盗塁の成績で最多打点のタイトルを獲得し、シルバースラッガー賞を初受賞した。 新本拠地ジェイコブス・フィールドが開場したは、5月に打率.416、6月に打率.364・10本塁打・29打点でプレイヤー・オブ・ザ・マンスを受賞するなど、前半戦で打率.357・25本塁打・76打点・32二塁打を記録。7月にも12本塁打・31打点と好調を維持した。ストライキでシーズンが打ち切られたが、共にリーグ2位の打率.357・長打率.714、共にリーグ3位の36本塁打・101打点と三冠王が射程圏内に入る活躍で、ホームでは打率.413・21本塁打を記録した。MVPの投票ではフランク・トーマス、ケン・グリフィー・ジュニアに次ぐ3位に入った。は3年連続でオールスターゲームに選出され初の先発出場を果たしたが、野茂英雄に三振を喫するなど3打数無安打に終わった。7月18日のカリフォルニア・エンゼルス戦でリー・スミスから逆転サヨナラ満塁本塁打、8月30日・8月31日のトロント・ブルージェイズ戦で2試合連続サヨナラ本塁打、9月19日のシカゴ・ホワイトソックス戦で3打席連続本塁打を放つなど後半戦で36本塁打・75打点を記録し、シーズン通算で打率.317、いずれもリーグトップの50本塁打・126打点・52二塁打・長打率.690・121得点・377塁打の成績で最多本塁打・最多打点の二冠を獲得。本塁打はアル・ローゼンの球団記録43を更新し、史上初の「50本塁打&50二塁打」を達成する大活躍で、100勝を挙げて独走で地区優勝を果たしたチームの原動力となった。ボストン・レッドソックスとのディヴィジョンシリーズでは第1戦で1点ビハインドの延長11回裏に同点本塁打を放ち、チームは延長13回にサヨナラ勝利。シアトル・マリナーズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦でボブ・ウォルコット(後近鉄)から本塁打を放つが、打率.222と振るわず。チームは4勝2敗で41年ぶりのリーグ優勝を果たした。アトランタ・ブレーヴスとのワールドシリーズでは、第5戦でグレッグ・マダックスから本塁打を放つなど2本塁打を記録したが、両チーム最多の7四球と勝負を避けられるケースが多く、チームは2勝4敗で敗退した。MVPの最有力候補と目されていたが、投票ではモー・ヴォーンと8ポイント差の2位に終わった。打点は同数だったが打率・本塁打・出塁率・長打率でヴォーンを上回る成績を残したにも関わらず受賞を逃したのは、周囲と度々衝突を起こすなど問題のある性格が原因だった。は前半戦で27本塁打・74打点の成績で、オールスターゲームに2年連続の先発出場を果たしたが3打席連続三振を喫した。7月31日のブルージェイズ戦で逆転サヨナラ満塁本塁打を放つ。打率.311・48本塁打・148打点・124得点を記録して2年連続の最多打点を獲得し、チームは地区連覇。ボルティモア・オリオールズとのディヴィジョンシリーズでは第3戦でアーマンド・ベニテスから決勝の満塁本塁打を放つが、チームは1勝3敗で敗退した。MVPの投票では3位。オフにフリーエージェントとなり、11月19日にホワイトソックスと契約。主砲トーマスとの最強の3・4番コンビが誕生した。移籍1年目のは後半戦で打率.247と不調に陥る。トーマスが首位打者を獲得する一方で打率.274・30本塁打・116打点とやや精彩を欠いたが、4本の満塁本塁打を放った。は開幕直後は不振もその後復調し、後半戦で打率.387・31本塁打・86打点を記録。自身初の全試合出場を果たし、打率.328、いずれも球団記録となる49本塁打・152打点・48二塁打・399塁打・99長打、自身初の200安打と好成績を挙げるが、今度はトーマスがキャリアワーストの打率.265に終わり、うまく噛み合わなかった。オフに再びフリーエージェントとなり、12月1日にオリオールズと5年契約を締結。トーマスとのコンビは僅か2年で解消された。は7月25日のエンゼルス戦で3度目の1試合3本塁打。後半戦で打率.326・19本塁打・64打点と調子を上げ、打率.297・37本塁打・117打点、キャリアハイの101四球を記録。は6月に打率.364・12本塁打・37打点の成績でプレイヤー・オブ・ザ・マンスを受賞するが、後半戦は欠場もあって5本塁打と振るわず、レギュラー定着以降最低の23本塁打に終わった。からの3年間は毎年1,200万ドル以上の年俸を貰いながら、故障のため1試合も出場出来ず引退。試合出場は2000年が最後だった為、事実上2000年に引退したも同然だった。からにかけて記録した8年連続30本塁打・100打点は、ベーブ・ルース、ジミー・フォックス、ルー・ゲーリッグに次ぐ史上4人目で、1950年以後の選手としては初めてであった。毎年のようにトラブルを起こし、引退後も続いた。
出典:wikipedia
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