ダヴィド・トレゼゲ(David Trézéguet, 1977年10月15日 - )は、フランス共和国ルーアン出身の元サッカー選手。元フランス代表。現役時代のポジションはフォワード出生地はフランスだが両親は共にアルゼンチン人で、2歳の時にアルゼンチンに移住。フランスとアルゼンチンの国籍を所有している。17歳でアルゼンチンプロサッカーリーグのCAプラテンセにてプロデビュー。出場機会は少なかったが、ASモナコのスカウトの目に留まり、自らの出生地であるフランスの地を再び踏むこととなった。モナコでは移籍当初は苦労したものの、徐々に頭角を表し、1999-2000シーズンに22得点を挙げてリーグ優勝に貢献。ビッグクラブから注目される存在になっていった。2000年、イタリアの名門、ユヴェントスFCへ移籍。移籍金は2800万ユーロ。1年目に14得点を挙げ、翌年には24得点で得点王に輝いた。このタイトルは全て流れの中から決めた(PKなしの)得点であることから、大いに賞賛を浴びた。以降、怪我が多くフルシーズン出場する機会は多くないものの、出場すれば抜群の決定力を見せている。2005-06シーズンにはルカ・トーニの31得点に次ぐ23得点を挙げ、スクデットに貢献した(その後カルチョ・スキャンダルにより取消)。2006年、ユヴェントスのセリエB降格に当たり、移籍は確実かと思われていたが、結局残留している。セリエAに復帰した2007-08シーズンは開幕戦でのハットトリックなど、序盤から絶好調でチームを牽引、中盤以降調子を落としたが結局20得点を記録。また、第4節のローマ戦でセリエA通算100得点を達成した。2010年8月にユヴェントスとの契約を解除し、スペインのエルクレスCFへ2年契約で移籍した。2桁得点をあげたが、2部に降格したことで契約は1年で解除された。2011年8月、UAEリーグのバニーヤースSCへ移籍したが、11月に契約解除。12月にアルゼンチン・プリメーラB・ナシオナルのCAリーベル・プレートに移籍。2014年7月にインドのFCプネー・シティに移籍した。2015年1月20日、現役を引退することを発表した。また、合わせて古巣ユヴェントスの幹部入りを予定しているとも述べている。代表デビューは20歳、1998年1月28日に行われたスペイン戦。同年に行われたフランスW杯のメンバー入りも果たし、見事優勝を飾る。2年後のEURO2000では控えの立場だったが、イタリアとの決勝戦の延長でゴールデンゴールを決め優勝に導いた。この活躍が認められ、大会後にユヴェントスと契約を結んでいる。このゴールデンゴールを決めたことで移籍当初はイタリア国内では民衆に目の敵にされたことがあるという。しかしその後の代表歴は思わしいものではない。セリエA得点王として臨んだ日韓W杯ではセネガル戦ではシュートがバー直撃、そしてEURO2004にはクロアチア戦において疑惑のゴールを決めたものの、ブレイクすることはなかった。自身3度目となるドイツW杯では、1トップを布くドメネク監督の戦術方針からベンチに座る機会も多く、決勝のPK戦ではPKを失敗する等、失意のうちに大会は終了した。代表ゴール数34は歴代3位(2008年7月現在)だが、W杯後は招集すらされないことが多く、EURO2008のメンバーからも落選した。2008年7月9日、ドメネク監督の続投を受けて代表引退を発表している。
出典:wikipedia
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