古城 都(こしろ みやこ、1943年5月30日 - )は、元宝塚歌劇団・月組トップスター。本名は本郷 都(ほんごう みやこ)。夫は俳優の本郷功次郎。中国山西省大同市生まれ。大同は雲崗石窟で知られる古都で、芸名の古城は大同にちなむ。幼少のころ、中国山西省から引き揚げてきた。1958年、中学卒業時宝塚音楽学校受験・合格。1960年に『春の踊り/ビバ・ピノキオ』で初舞台。宝塚入団時の成績は59人中17位。1961年5月1日、月組配属。同期に山吹まゆみ、甲にしき(元女優・現東京宝塚劇場支配人)、上月晃(女優)、司このみ(振付師)らがおり、月組へ配属される。甲・上月とは3Kと呼ばれた。1967年2月に退団した内重のぼるの後任として同7月・星合同公演・歌劇団初のブロードウェイミュージカル『オクラホマ! 』を上演、古城の役は地味なジャッドだったが、共演の上月晃(星組、カーリー役)、初風諄(ローリー役)八汐路まり(アド・アニー役)ともども名作を大成功に導く大役を果たした。これ以降宝塚歌劇団は海外著名ミュージカルの上演に幾度となく取り組み成功させるが、この先鞭をつけたのが古城(と上月)であった。次の『アディオ・アモーレ』で月組主演男役を務める。1968年には月・雪合同公演『ウエストサイド物語』(初演、トニー役)も成功させ、翌1969年の3月公演(当時は本公演は一ヶ月間)でも月・雪合同公演で再演されたほど。同年11月公演では『嵐が丘』でヒースクリフ役を務める。以後も1970年の八汐路退団・新相手役初風就任を挟み、1971年『ドン・ホセの一生』『人魚姫』、1973年『霧深きエルベのほとり』の大作を次々成功させた。1973年11月29日に本郷功次郎との結婚のため退団。最終出演公演の演目は月組公演『秋の宝塚踊り/イフ…』である。『イフ』に「〜さよなら古城都〜」なるサブタイトルが冠された。本郷との結婚後は出産・育児などにより芸能活動から長く離れていた。その後宝塚音楽学校受験支援・OGイベントへ参加するようになったが、家庭、受験サポートスタジオの運営を第一としている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。