佐世保鎮守府(させぼちんじゅふ)は、長崎県佐世保市にあった日本海軍の鎮守府である。通称は佐鎮(さちん)。九州を始めとする西日本地域一帯の防衛と朝鮮・中国等東アジアへの進出の根拠地として九州の西岸に海軍の軍港を置くことになった。本命は長崎だったが、市民から商港機能を阻害されると猛反対され、土地買収費用の問題もあり断念。西松浦郡伊万里、北松浦郡平戸の江袋湾、東彼杵郡佐世保村が候補地に上げられた。海軍部内での検討の末、天然の良港であり、寒村ゆえ土地も安く手に入る佐世保村に軍港を開き鎮守府を置くことが決定し、1889年(明治22年)7月1日に正式に佐世保鎮守府が開庁した。初代鎮守府司令長官は赤松則良海軍中将である。現在、佐世保市では旧海軍及び佐世保鎮守府ゆかりの名物料理として、「ビーフシチュー」と「入港ぜんざい」を売り込んでいる。ただし、ビーフシチューは佐鎮第7代司令長官の東郷平八郎がイギリス留学中に親しんだといわれ、ぜんざいは佐世保を始めとした国内軍港への帰港前の艦内で将兵にふるわまれたものであり、実際にはいずれも佐世保に限らず旧海軍と関係する食べ物である。海軍部内で流行したヘル談(猥談)の中でも有名なものに「チンタツサセニコイ」がある。朝鮮の鎮海港から佐世保港に帰る乗組員が妻に「鎮海を出航するから佐世保に会いに来てくれ」という意味で打電しただけだが、電報を受け取った妻の親は旦那にあきれ返ったというのが当初の筋書きである(のちに、出航取り止めで「チンタタズサセニクルナ」…などの後日談が追加されている)。高級士官は上陸の際は街の料亭での遊興を楽しみにしていた。佐世保の料亭は「山」「川」の符丁で呼ばれた。山は谷郷町の「万松楼」、川は高砂町の「いろは楼」である。戦後、山は市内最大の旅館、川はこぢんまりした小料理屋にと、両極端に変貌した。
出典:wikipedia
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