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アムール川

アムール川(アムールがわ、、ラテン文字転写の例:Amur、黒竜江 こくりゅうこう)は、ユーラシア大陸の北東部を流れる川である。中国では別に黒河、黒水などとも呼ばれる。上流部の支流を含めた全長4,368kmは世界8位、流域面積は185万5500km²で世界10位である。アムール川はモンゴル高原東部のロシアと中国との国境にあるシルカ川とアルグン川の合流点から生じ、中流部は中国黒竜江省とロシア極東地方との間の境界となっている。ロシアのハバロフスク付近で北東に流れを変えロシア領内に入り、オホーツク海のアムール・リマン()に注ぐ。リマン()とは川の河口を指し、リマン海流は日本海を流れる海流である。オホーツク海の流氷は、アムール川からの流水により塩分濃度が薄くなったことによって凝固点が高くなった海水が氷結して形成される。アムール川はロシア側のアムール州・ユダヤ自治州・ハバロフスク地方と中国側の黒竜江省との国境を成しており、川沿いの主要な都市としてはロシアのブラゴヴェシチェンスク、ハバロフスク、コムソモリスク・ナ・アムーレ、ニコラエフスク・ナ・アムーレ、中国側の黒河市・同江市などがある。このアムール川は栄養が豊富であり、サケ類をはじめ豊かな水産資源に恵まれ、これにより道北沖合はよい漁場になっている。一方で2005年11月13日に起きた中国吉林省吉林市にある石油化学工場の爆発事故により、支流の松花江に流れ込んだ有毒な大量のベンゼン化合物による大規模な汚染をはじめ、近年は中国側の経済発展及び環境保全の概念がない計画等による開発のため、河川の汚染が深刻になりつつある。ロシア側アムール川周辺住人は河川汚染を憂慮しておりオホーツク海等の環境汚染により日本も警戒している。アムール川流域の文化と、北海道の東北部で遺跡が発掘されているオホーツク文化との関連性についての議論がある。古代の中国では「黒水」「弱水」「烏桓河」などと呼ばれていたが、13世紀の『遼史』においてはじめて「黒竜江」の名が出ている。満州語では「サハリャン・ウラ( 転写:Sahaliyan Ula、薩哈連烏拉、「黒い河」の意)」と呼ばれており、モンゴル語では「ハラムレン(Хар Мөрөн/Khar Mörön、哈拉穆連)」、ロシア語では「アムール」となりこれが世界的に共通する呼び名となっている。サハリン(樺太)という島の名は「サハリャン・ウラの河口の対岸」にあることからつけられたとされる。中国人や満州人はこの川を使い流域民族(ほか、アムール河口の対岸の樺太に住むアイヌ人など)と、毛皮などと中国産品を交換する取引(山丹交易)を行っていたが、次第に東へ進出してきたロシア人と取引や領土をめぐり争いが起こった。17世紀には、ヴァシーリー・ポヤルコフやエロフェイ・ハバロフなどロシア人の探検隊がアムール川流域に侵入し、中国の清と南下するロシア帝国との間の紛争(、、、)が起こった。ロシア人はアムール川上流にアルバジンの要塞を築いたが、清軍により何度も包囲され破壊された。ロシア側は和議を求め、1689年のネルチンスク条約において、上流の西側以外の流域が清国領土と定められた。しかしその後清は弱体化し、ロシアは再びアムール川沿いの領有を目指して探検隊を送るようになる()。1858年のアイグン条約(璦琿条約)、1860年の北京条約で、清国領土の割譲()を経て現在の国境線に定められた。その後、アムール川およびその支流の中にある多くの島や中州の領有権を巡って中ソ国境紛争が発生した。1969年にはウスリー川で大規模な軍事衝突が発生したが、2004年に中露両国は最後まで帰属が決まらなかったアムール・ウスリー合流点の黒瞎子島(大ウスリー島)をはじめとするすべての地域における東部国境の確定完了を宣言し、対立は鎮静化している。2011年現在、国境画定に伴い、ロシア軍により黒瞎子島内より強制退去させられた元ロシア人居住者が、補償を求めロシアに対し国家賠償訴訟を起こし係争中である。2013年7月からはアムール川の流域で多雨となったことによって、以降、中流域や下流域で洪水が発生した。なお、ハバロフスクでは、2013年9月3日から2013年9月4日にかけて、808cmの水位を観測した。これは、1897年に観測された最高水位の642cmを上回って、観測史上最高の水位であった。"下流より記載"下流から順に、次の場所に橋とトンネルがかかっている。

出典:wikipedia

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