


ダビド・ホスエ・ヒメネス・シルバ(David Josué Jiménez Silva, 1986年1月8日 - )はスペイン、カナリア諸島出身のサッカー選手。プレミアリーグのマンチェスター・シティFC所属。ポジションは主にMF(オフェンシブハーフ、サイドハーフ)。父はテルセーラ・ディビシオン(4部)でのプレー経験があるサッカー選手で、ダビドがバレンシアCFに在籍していたときには同クラブの警備責任者をしていたが、ダビドのマンチェスター・シティFC移籍と同時期に退職した。母が日系人である。15歳のときに地元カナリア諸島のクラブからバレンシアCFの下部組織に加入した。2004年夏にセグンダ・ディビシオン(2部)のSDエイバルにレンタル移籍してプロデビューを果たし、2004-05シーズンは35試合に出場して5得点を決めて注目を集めた。2005-06シーズンはプリメーラ・ディビシオン(1部)に昇格したばかりのセルタ・デ・ビーゴにレンタル移籍する。シーズン開幕から2試合は途中出場だったが、2005年8月28日のマラガCF戦(ホーム)以降はレギュラーとしてプレーするようになり、34試合に出場して4得点を挙げた。イングランドのトッテナム・ホットスパーFCが彼のプレーに着目してオファーを出したが、その報道が出ると、すぐにバレンシアと長期のプロ契約を結んだ。2006年夏にバレンシアに復帰し、レアル・サラゴサへ移籍したパブロ・アイマールが着けていた背番号21を引き継ぐように直接指名された。FCバルセロナ戦ではゴールを挙げた。2007年、UEFAチャンピオンズリーグではベスト16のインテル・ミラノ戦と準々決勝のチェルシーFC戦においてミドルシュートを決めた。2006-07シーズンと2007-08シーズンを合わせてリーグ戦の6試合しか欠場せず、2006年11月5日のRCDエスパニョール戦でバレンシアCF復帰後初ゴールを決めて以降、2シーズン合わせて14得点を記録した。UEFA EURO 2008後は、クラブの財政難からFWダビド・ビジャ、MFホアキン・サンチェスらと共に移籍の噂が絶えなかった。FCバルセロナがACミランへ移籍したロナウジーニョの後釜として、マンチェスター・ユナイテッドFCが獲得を試み、リヴァプールFCもシルバ獲得を試みていた。こうした各クラブの獲得の動きがあったものの、2007-08シーズン終了後に就任したビセンテ・ソリアーノ () 会長は、断固として彼を売却しない意思を表明してこれらのオファーを拒否し、2008年8月には契約を5年間延長した。2008-09シーズンの開幕から3ヶ月間は慢性的な足首の怪我により招集メンバーから外れ、2008年12月中旬に復帰したが、シーズンを通して19試合出場4得点に終わった。2009年1月3日、ホームでのアトレティコ・マドリード戦では2ゴールを挙げた。2009-10シーズンは自己最多のシーズン8ゴールを記録し、チームもUEFAチャンピオンズリーグ出場圏内の3位でシーズンを終えた。2010年4月15日のアスレティック・ビルバオ戦(ホーム)では2得点を決め、UEFAヨーロッパリーグラウンド16のヴェルダー・ブレーメン戦セカンドレグでは1試合に3アシストを決め、試合は4-4の引き分けという結果となった。2010年6月30日に、イングランド・プレミアリーグのマンチェスター・シティFCへの移籍が内定し、2010年7月14日に4年契約を交わした。移籍金は推定で2500万ポンド(約33億円)で、背番号は21に決定した。8月14日のトッテナム・ホットスパーFC戦(アウェー)でプレミアリーグデビューし、9月16日のUEFAヨーロッパリーグ・レッドブル・ザルツブルク戦(アウェー)で8分に移籍後初得点を決めた。2014年12月20日、プレミアリーグ第17節のクリスタル・パレス戦でマンチェスター・シティでの公式戦通算200試合目の出場を飾った。スペインの世代別代表に初めて選ばれたのは、U-15代表である。2002年にはUEFA U-17欧州選手権で4位に入り、2003年にフィンランドで行われたFIFA U-17ワールドカップでは3ゴールを決めた。2005年のFIFAワールドユース選手権ではチーム2位の4ゴールを決めて得点ランキング4位に入り、チームは優勝したアルゼンチンに準々決勝で敗れてベスト8で大会を終えた。2006年11月15日、ホームでのルーマニアとの親善試合でスペインA代表デビューし、その試合で好印象を残したためにその後も継続して招集を受けた。2007年8月22日、ギリシャとの親善試合で、初得点を含む2得点を記録した。UEFA EURO 2008予選において シャビ、セスク・ファブレガス、アンドレス・イニエスタと組む中盤は「クアトロ・フゴーネス」(Cuatro Jugones、4人の創造者たち)と呼ばれた。本大会のメンバーにも順当に選ばれ、準決勝のロシア戦では、ショートコーナーから試合を決定付ける3点目を決めた。決勝のドイツ戦では、ルーカス・ポドルスキを小突いたとしてドイツ代表選手たちがシルバににじり寄って口論となる出来事があり、試合の緊張状態を緩和するためにサンティ・カソルラと交代させられたが、チームは1-0で勝利して44年ぶり2度目の欧州制覇を果たした。2010 FIFAワールドカップ欧州予選にもレギュラーとして出場し、予選記録となる10連勝で本大会進出を決めた。バレンシアCFの同僚3人とともに本大会出場メンバーに選ばれたが、南アフリカで開催された本大会では自身のコンディションが万全でなかったため、グループリーグ初戦のスイス戦(0-1で敗北)には先発出場したが、先発出場はこの1試合だけに終わった。大会後初の親善試合となった2010年8月11日のメキシコ戦ではロスタイムに同点弾を決め、9月3日に行われたUEFA EURO 2012予選のリヒテンシュタイン戦では62分に得点した。UEFA EURO 2016のグループリーグ・チェコ戦に出場し、代表通算100試合出場を達成した。2014-15シーズン終了時点
出典:wikipedia
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