四日市港(よっかいちこう)は、三重県四日市市と三重郡川越町にまたがる港湾である。港湾管理者は三重県、四日市市が設立する特別地方公共団体(一部事務組合)の四日市港管理組合。貨物取扱量は日本国内15位(2012年)。港湾法上の国際拠点港湾(旧・特定重要港湾)、港則法上の特定港、関税法上の開港、出入国管理及び難民認定法上の出入国港に指定されている。伊勢湾北西部に位置する。四日市コンビナートが隣接するなど工業港としての性格が強い。近年の工場夜景ブームにおいては川崎港と並びその景観に人気のある臨海工業エリアであり、観光資源にもなりつつある。幕末以降、伊勢湾の商業港として発展していく。1870年(明治3年)には東京港までの定期貨客船が就航。1873年から廻船問屋の稲葉三右衛門が私財を投げ打って11年に及ぶ大規模な改修工事を行う。その後、ヨハニス・デ・レーケの設計による「潮吹き堤防」(重要文化財)が整備された(伊勢湾台風襲来時、港湾被害を軽減させた)、(設計者については懐疑的な見解もある)。1899年(明治32年)に開港場に指定され、当初は食料品・肥料などの、後に綿花の輸入港として栄えた。1936年(昭和11年)に四日市港の港湾施設完成の記念事業として、「国産振興四日市大博覧会」が開催され、50日の会期中に約124万人を集客した。戦後は綿花に代わり羊毛の取扱が増えたが、程なく原油輸入が伸び、1950年代に日本初の本格的石油化学コンビナートが立地すると、典型的な工業港となった。なお、四日市港は1968年(昭和43年)、シドニー港と姉妹港提携を結んでいる。これは当時四日市港が世界最大の羊毛輸入港であった一方、シドニー港が世界最大の羊毛輸出港であった縁による。霞ヶ浦地区には、大阪万博のオーストラリア記念館が移築された(2014年に解体)。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。