第20回ユーロビジョン・ソング・コンテスト(Eurovision Song Contest Sveriges Radio)は1975年3月22日(土曜日)にスウェーデンの首都ストックホルムの(4,000人収容)で開催された。製作はSRスウェーデン放送。プレゼンターのカリン・ファルクはスウェーデン語、英語とフランス語を使用。放送時間は2時間12分で、初めての2時間超えとなった。左派系市民が、国税を商業的な催事であるユーロビジョン・コンテストにつぎ込むことに反対。SRに抗議の声が寄せられた。SRは「開催費用を全参加国全で共同負担にすべきではないか」とEBU欧州放送連合に申し入れたが、協議は不調に終わった。西ドイツ各地で連続15件の爆破事件を起こしていたRAFドイツ赤軍(パレスチナ解放人民戦線と連動)が「西ドイツ大使館を襲撃する」との予告があり、イスラエル代表団への襲撃も懸念された。このため、テロ対策のセキュリティ強化をしなければならなかった。ポルトガル代表ドゥアルテ・メンデスは、前年のカーネーション革命で民主化されたことを祝う"Madrugada(夜明け)"を歌うにあたって、軍服に銃を携えてステージに立とうとしたため、主催者に咎められ、ひと悶着になった。尚、前年のポルトガル代表パウロ・デ・カルヴァーリョの"E depois do adeus"(別れの後で)は軍事クーデター開始の暗号だったとも言われている。フランス、マルタの復帰と同時にトルコが新規参入、ギリシャの欠場により、3増1減で19ヶ国となった。トルコの参加についてはギリシャが強く反発。これは、前年にトルコがキプロス侵攻していたためのボイコット行動となった。またしても、投票方式が変更された。各国10人の審査員(ヤングとシニアの半々)が気に入った他国の10曲に投票。最高が12、次が10、それに続くものが8-1点として採点。演目終了後出場国順に口頭発表。これを司会者が3ヶ国語で復唱の上、スコアボードに掲示するというもの。この方式は現在まで引き継がれている。各曲の歌詞については以下を参照のことDiggiloo Thrush英語版・フランス語版・スウェーデン語版
出典:wikipedia
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