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岩淵三次

岩淵 三次(いわぶち さんじ、1895年(明治28年)3月2日 - 1945年(昭和20年)2月26日)は、日本の海軍軍人。海兵43期。最終階級は海軍中将。新潟県南蒲原郡三条町(現三条市)出身。旧制新潟県立三条中学校より海軍兵学校第43期入校。入校時成績順位は100名中第26位、卒業時成績順位は96名中第13位。海軍砲術学校高等科を卒業後は砲術畑を歩んだ。戦艦霧島の艦長として第2次ソロモン海戦、南太平洋海戦に参加し、第3次ソロモン海戦ではワシントン、サウスダコタの2隻の米戦艦等と乱戦状態になり、舵を損傷した霧島は自沈、岩淵は救出された。岩淵はその後、ムンダ基地で蛇やトカゲまで食べるという飢餓状態となるも内地に帰還、舞鶴鎮守府人事部長に補職された。戦地帰りの岩淵は嶋田繁太郎海軍大臣が視察に廻る様子を見て癇癪を起こし、同期生の高木惣吉舞鶴鎮守府参謀長と憤懣の日々を過ごしていた。次いで第31特別根拠地隊司令官となり、再び戦地へ向かった。同根拠地隊はフィリピンの首都マニラ防衛のために組織された部隊であった。第14方面軍司令官山下奉文陸軍大将は、マニラをオープンシティとする方針であったが岩淵は一歩も譲らず、このためマニラの戦いでは市民が巻き添えになり、マニラ大虐殺が発生する原因になった。岩淵も戦闘中に自決し、死後海軍中将に特別進級した。直情的性格だったという。

出典:wikipedia

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