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土田國保

土田 國保(つちだ くにやす、1922年(大正11年)4月1日 - 1999年(平成11年)7月4日)は、日本の警察官僚(第70代警視総監)、第4代防衛大学校校長。愛称は「ミスター警視庁」。東京府生まれ。旧制東京高校を経て、1943年(昭和18年)、東京帝国大学法学部を卒業し、内務省に入省。第二次世界大戦中は海軍予備学生となり、戦艦武蔵にも乗り組み、主計大尉で終戦を迎えた。警視庁警務部長時代の1971年(昭和46年)12月18日、お歳暮に擬装された爆弾が自宅に郵送され、爆発により妻が即死、13歳だった四男は重傷を負った(土田・日石・ピース缶爆弾事件)。事件当日に記者会見に応じた土田は、「治安維持の一旦を担う者として、かねてからこんなことがあるかもしれないと思っていた。私は犯人に言う。君等は卑怯だ。家内に何の罪もない。家内の死が一線で働いている警察官の身代わりと思えば、二度とこんなことは起こしてほしくない。君等に一片の良心があるならば」と述べた。妻が犠牲となったこの事件以降、新左翼過激派に対して強硬な姿勢で臨むようになった。警視総監時代に連続企業爆破事件で主要メンバー7人を検挙した。1978年(昭和53年)2月、北沢警察署巡査による世田谷区内での制服警官女子大生殺人事件で国家公安委員会から戒告。引責辞任した。辞任後は防衛大学校校長(第4代)に就任し、1987年(昭和62年)まで務めた。剣道の達人としても有名で、警視総監時代に警視庁管内の全警察署、警察学校、機動隊の朝稽古に参加。全日本剣道連盟顧問も務め、生涯にわたって指導し続けた。縁戚に学者が多い。母方の祖父は元会津藩小姓で生物学者、教育学者の高嶺秀夫。父の土田誠一は秋田県由利地方の郷土史家で、東京の旧制成蹊高等学校校長を務めた。弟の土田直鎮は歴史学者・東京大学名誉教授・国立歴史民俗博物館館長、同じく弟の土田正顕は東京証券取引所社長。長男の土田龍太郎はインド文学研究者・東京大学名誉教授。次男の土田健次郎は儒教研究者・早稲田大学教授。三男の土田英三郎は音楽学者・東京藝術大学教授。前述のテロ事件の際に負傷した四男はその後回復し、大手企業に勤めている。

出典:wikipedia

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