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葬送と勝利の大交響曲

『葬送と勝利の大交響曲』(そうそうとしょうりのだいこうきょうきょく、"Grand symphonie funèbre et triomphale")作品15は、エクトル・ベルリオーズが交響曲と銘打って作曲した4つの作品のうち最後のものである。ベルリオーズの交響曲はいずれも何らかの点で破格なものであるが、この交響曲も大編成の軍楽隊(吹奏楽)によって野外で演奏される作品として書かれた。後に任意として、弦楽器や合唱のパートが追加されたが、元の管楽器のパートはそのままであり、この点でもオーケストラ作品としては異例といえる。その破格さのために、日本では吹奏楽曲としてもオーケストラ曲としても演奏機会は少ない。しかし、フランスをはじめ欧米では、宗教的祭典や軍楽隊の大規模な演奏会などでしばしば演奏される。録音の数も少なくはない。広い意味でのベルリオーズの宗教的大作として、『レクイエム』『テ・デウム』『キリストの幼時』などと並ぶ作品と位置付けることができる。1840年、フランス政府は7月革命10周年を記念して、革命で命を落とした英雄的犠牲者をバスティーユ広場に建てられた記念碑に改葬し、その際に盛大な記念式典を催すことを決めた。そして、その式典のための音楽の作曲が政府からベルリオーズに依頼された。ベルリオーズはこの依頼に対し、野外での演奏ということを考慮して、管楽器の大合奏による交響曲がふさわしいと考えた。さらに構成を、葬列とともに演奏する葬送行進曲、遺体を記念碑に安置する際に演奏する追悼曲、そして式典を締めくくる栄光の讃歌(アポテオーズ)の3部からなるものと決めた。構想が決まるとベルリオーズはただちに作曲を行ったが、短期間で曲を書き上げることができたのは、未完の旧作を流用したためであるといわれる。少なくとも第2楽章「追悼」については、未完のオペラ『宗教裁判官』の中の歌を転用したことがわかっている。原曲の歌手のパートはテナー・トロンボーンのソロに置き換えられた。初演は1840年7月28日、パリの街頭で行われた。ベルリオーズは200人ほどの軍楽隊を自ら指揮し、「葬送行進曲」および「アポテオーズ」を演奏しながら、数時間にわたって葬列とともに行進した。バスティーユ広場に到着後、祈祷に続いて「追悼」が演奏された。予定では「アポテオーズ」の演奏で締めくくられるはずであったが、数万人規模の国民軍の行進がすぐ近くで行われたために台無しとなった。初演は意図した通りにはいかなかったものの、ベルリオーズはその2日前の7月26日に、大勢の友人、批評家、音楽家らを招いた上でホールを用いての総練習を行っていた。その際に好評だったこともあり、同年のうちに3度の再演を屋内(ホールやオペラ座)で行った。なお、この時には『軍隊交響曲』("Symphonie Militaire")と題され、第2楽章は「告別の讃歌」("Hymne d'Adieu")と名付けられていた。弦楽合奏などのパートを追加しての演奏は、2年後の1842年2月に行われた。アントニー・デシャンの詞による合唱が第3楽章に追加されたのは、同年9月にブリュッセルで行われた演奏会からである。現在の題名に改められたのもこの時である。以下はベルリオーズが総譜で指定した人数である。実際には重複しているパートもあるので、いくらか人数の削減は可能である。さらに任意として任意のパートを除いて101人、任意のパートを全て加えると389人となる。全曲は約35分である。

出典:wikipedia

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