旧暦2033年問題(きゅうれき2033ねんもんだい)とは、西暦2033年秋から2034年春にかけて、日本の旧暦の月名が天保暦の暦法で決定できなくなる問題のこと。1844年(天保15年)に天保暦が制定されて以来、このような不都合が生じるのは、2033年秋 - 2034年春が最初である。日本のカレンダーや暦書などでは、1873年(明治6年)1月1日にグレゴリオ暦が採用された後も、従来用いられた暦である天保暦による日付、いわゆる旧暦を収載することも多い。この天保暦による月名の決め方、特に閏月の置き方(置閏法、ちじゅんほう)は、平山清次によれば次の通り定められている(この規則は天保暦の規定ではなく、1912年(明治45年)に平山によって明文化されたものである)。天保暦では、太陽の運行を参照する定気法によって二十四節気の配置を決め、二十四節気のうちの中気を用いて月名を決めるため、通常はこの方法で問題は生じない。大部分の年では、「秋分を含む暦月」(8月)と「冬至を含む暦月」(11月)の間、および、「冬至を含む暦月」(11月)と「春分を含む暦月」(2月)の間は、2暦月または3暦月(3暦月となった場合には閏月を置く)となるため、月名の決定に問題は起きないからである。しかし、もしこれが1暦月となってしまった場合、月名の決定方法の1を満たすことができなくなり、月名の決定に不都合が生じる。また、1暦月に2つの中気が入った場合も、適用すべき規定がないため、これも月名の決定に不都合である。天保暦のように定気法を採用する太陰太陽暦(月の運行によって日を決め、太陽の運行を参照して調整する暦)の場合、ケプラーの第2法則により、近日点を通過する秋から春にかけて、中気から次の中気までの長さが暦月(朔日から次の朔日の前日まで)より短くなることがしばしば起こるため、このような不都合は実際に生じてしまう。なお、この不都合(1暦月に2つの中気が入る)は、あくまで暦上のものであって、2033年秋 - 2034年春の期間でいえば、1朔望月(朔から次の朔まで)の間に2つの中気が入る箇所は無く、2034年2月の雨水の後に到来する朔から次の朔の間に中気(春分)が入らないのが1回あるだけである。1朔望月の間に2つの中気が入っていなくても、1暦月の中に2つの中気が入ってしまうのは、中気の時刻が僅かに朔の時刻に先行しているときに、その中気が朔と同一日だったり日をまたいで中気が朔の前日だったりする場合に起こる。すなわち、実際には朔の前に中気が到来していても(その中気は1つ前の朔望月に属していても)、中気と朔が同一日であると暦上はその中気は「朔日」すなわち次の暦月に属するように扱われてしまうためである。これが、朔望月ベースでは中気が1つずつ含まれているのに、暦月ベースでは中気がなくなったり2つ入ったりする暦月を繰り返す要因となる。1844年(天保15年)に天保暦が制定されて以来、このような不都合が生じるのは、2033年秋 - 2034年春が最初である。さらに、これ以降も天保暦が修正なく使われた場合、2147年秋 - 2148年春(この時は定義2のみが問題となる)、2223年秋 - 2224年春(この時は定義1のみが問題となる)にも、同様の不都合が生じてしまう。グレゴリオ暦2033年秋から2034年春にかけての朔と中気の日付(日本時間による)は以下のようになる。便宜上、前後の暦月も記している。月名が決まらないのはB月〜H月の7ヶ月で、これらに2033年8月〜2034年1月(正月)の6暦月を割り当てるのだが、1つ足りないのでどこかに閏月が入ることになる。ここで天保暦の置閏法を使った場合、閏月が決まらないどころか、もっと深刻な問題が起こる。秋分を含むC月を8月、その次の冬至を含むE月を11月とすると、9月と10月のいずれかがなくなってしまう。また、中気を含まない暦月はB月、F月、H月の3つあるが、これらのうち閏月となるのは1暦月だけである(そうしないと、更に2つの月名がなくなってしまう)。また、1暦月内に2つの中気を含むE月を「冬至を含む暦月」として機械的に11月を当てはめてよいのかという問題もある(これについては1851年に日本において、小雪と冬至の2つの中気を含んだ暦月を11月とした先例がある。また1870年と1984年には冬至と大寒の2つの中気を含んだ暦月がやはり11月とされている。下記も参照)。これらを解決する方法はいくつか考えられる。そのひとつの方法として、天保暦の月名の決定方法の1.及び2.の内容に優先順位を付けることが考えられる。天保暦と同様の定気法を採用し、天保暦改暦時に重要参考資料(手本)になった中国(清)の時憲暦においては当初次のような月名決定法(含、置閏法)が以下の方法で設定されていた。(『清史稿』「時憲志」康煕甲子元法より)1が破綻する場合は、1'を参考にして二至二分のうち冬至を含む暦月を他の3つを含む暦月よりも優先させ、他の3つを含む暦月の月名をずらす。これは古来、平気法の時代から一貫して中国・日本いずれでも太陰太陽暦においては冬至は作暦の基点とされ(天正冬至)、いかなる場合でも冬至を含む暦月は必ず11月(建子月)とされてきたことにもよる。具体的に言うと、冬至を含むE月を11月に固定し、それに伴ってその前のB月、C月、D月は月名に不連続が起きないように、それぞれ8月、9月、10月とする。秋分を含むC月は1によれば本来8月になる必要があるが、冬至を含むE月を11月にすることを優先するため、この場合例外的に9月となる(また、E月が11月に固定されれば、前回の冬至を含む暦月からE月(=冬至を含む)の前まで12暦月であるため、中気を含まない暦月(B月)があってもこの間には閏月は存在しないことになる)。これによって、B月からE月までの問題は解決する。次に2の定義では、閏月の候補が複数あるF月からH月までの問題であるが、この2'を参考にすれば、まず、冬至を含むE月から次の冬至を含む暦月の前まで13暦月であるため、閏月がこの間に存在することとなる。また閏月の候補となる中気を含まない暦月が複数存在する場合(F月、H月)は(1の定義によって冬至を含む暦月(E月)と春分を含む暦月(I月)を、それぞれ11月、2月と確定してもなおその間に閏月の候補となる中気を含まない暦月が複数あるような場合)、冬至を含む暦月(=E月)から数えていって最初の暦月すなわちF月が閏月となる。以上によって、B月からH月まで順に8月、9月、10月、11月、閏11月、12月、正月となり、すべての暦月の問題が解決することになる(下記1851年〜1852年の中国(清)での問題の処理方法も先例として参考になる)。他の方法として、1暦月に2つの中気を含むときは、冬至から遠い方の中気を前後の暦月にずらし、中気を2つ含む暦月がなくなるまで順次ずらしていくことが考えられる。これによっても上記の方法と同じ結論になる。また他の方法として、1暦月に2つの中気を含むときは、2つの中気のうち最初にくる中気を前の暦月にずらし、中気を2つ含む暦月がなくなるまで順次ずらしていくこと(その場合2033年には閏月がなく、2034年の旧暦は1月20日から始まり正月の後に閏月が置かれる)や、あるいは後ろの中気を後ろの暦月にずらし中気を2つ含む暦月がなくなるまで順次ずらしていくこと(その場合2033年には閏7月が置かれる)も考えられる。また、このような問題が起こる原因は天保暦で採用された定気法にあるため、旧暦の計算に使用する二十四節気については以前の平気法に戻すという解決法もある。ちなみに、2033年 - 2034年の問題の期間について、二十四節気を平気法で配置した場合は、次のようになる。もちろんこれ以外の方法も考えられ、コンピュータで旧暦を計算する各種のソフトウェアではいろいろな方法が採られているようである(外部リンク参照)。国立天文台の元天文台長や「暦計算室」員、国立民族学博物館名誉教授、カレンダー出版物の業界団体の長などを理事長・理事・学術顧問などに迎えている社団法人・日本カレンダー暦文化振興協会では、平成26年7月以来、この問題に関する学術シンポジウムを開催し、問題の所在についての啓蒙と周知、対策案についての検討などを行っている。また同協会は2015年8月にこの問題についての見解を発表し、その中で閏11月(F月)案を推奨している。ただし「置閏ルールについてはさらに検討を継続する」ともしている。『理科年表』には時節の話題などを扱うページが毎年各部に数ページ程度あるが、2014年(平成26年)版でこの問題を取り上げている。国立天文台のwebサイトでもこの問題が取り上げられている。中国・台湾・韓国で使われている時憲暦は、このような問題が起こらない置閏法(上記1'及び2')を採用していた。こちらの方が合理的であり破綻は生じない。しかし、1811年(嘉慶16年)に、宮廷の祭祀の都合で、冬至を含む暦月を必ず11月、春分を含む暦月を必ず2月にするために置閏法が「修正」されたと考えられた。天保暦はその「修正」された時憲暦の置閏法を参考にして置閏法を定めたとされている。しかし、1851年(咸豊元年) - 1852年(咸豊2年)では冬至を含む暦月と春分を含む暦月の間に1暦月しかなかったため、冬至を含む暦月は11月であったが、春分を含む暦月が正月となった。時憲暦では1851年(咸豊元年)の冬至から1852年(咸豊2年)の冬至までの間は12暦月しかないためこの間に閏月はなく、春分を含む暦月が正月となっても置閏法には一切影響しない。つまり、冬至から次の冬至までの間に13暦月ある場合に限り、1と2を適用するのである。その場合、清の欽天監(暦を管理する役人)によって1811年(嘉慶16年)から200年間にわたって置閏法が破綻しないことが確認されており、最近の研究では置閏法が「修正」されたのではなく、もとの置閏法でも冬至が11月、春分が2月になることを「再確認」しただけではないかと考えられている。日本では時間帯の違い(時差1時間)のため、この時には2つ中気を含む暦月や中気のない暦月が複数発生したものの、上記1.及び2.の定義だけで作暦上の問題は起きなかった(正確には1873年(明治6年)の太陽暦への改暦までは、現在の東経135度(明石)における地方平均太陽時=現在の日本中央標準時ではなく、京都における地方真太陽時を使用していたため中国との時差はさらに数分長くなるが、そのことを考慮してもこの違いは発生する)。2033年問題と同様の問題は、天保暦に似た置閏法を持つ他の太陰太陽暦でも起こりうる。ただし、それがいつ起こるかは、朔や中気がどの日に属するか、つまり、時間帯に依存するので、同一時期でも国によってこのような問題が発生する国としない国に分かれる可能性もある。日本と中国には1時間の時差があるので、日本において0時台に朔や中気の瞬間があれば、中国においては前日の23時台にこれらがあることになり、1日のずれを生ずる(太陰太陽暦における時差による暦日(まれには暦月)のずれは、このような問題の発生する時以外でも時々発生する)。上記1851年 - 1852年の中国と日本の違いは、このことによって現れた。しかし、2033年 - 2034年の問題に関連する時期には、日本時間0時台に朔や中気の瞬間が入ることはなく、両国とも朔や中気の日付は全く同一で問題を処理することとなる。なお、中国においては現在の公式な暦は世界共通のグレゴリオ暦であるが、春節(日本で言う旧正月に相当)が公式の祝日であるため、それの決定のために旧暦(時憲暦)も公的なメンテナンスのもとにある。日本の太陰太陽暦は古来(貞享暦からは日本独自に作られたものの)中国の暦から大きな影響を受け、それを手本・参考にして作られてきたという歴史からすると、(公的ではないものの)今回のこの件でも重要な参考先とされるものと考えられる。インドの太陰太陽暦では、このような場合は月を飛ばす欠月(けつげつ)を認めている。たとえば、1982年は9番目の月の翌月が11番目の月であり、10番目に相当する月が飛ばされて欠月となった。
出典:wikipedia
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