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二所ノ関一門

二所ノ関一門(にしょのせきいちもん)は大相撲の一門のひとつ。長い大相撲の歴史の中でも新興勢力で、1960年代から勢力が急激に拡大していった一門である。二枚鑑札で6代二所ノ関を襲名した横綱・玉錦が35歳の若さで現役中に死去したが、その後を二枚鑑札で継承した7代二所ノ関こと関脇・玉ノ海や8代二所ノ関こと大関・佐賀ノ花が積極的に分家独立を推奨したこともあり、部屋の数は一番多く、ほぼすべての世代において横綱・大関を輩出している。一門は大別すると二系統に分かれ、部屋の立地から東京東部の両国と西部の阿佐ヶ谷系と呼び区別されている。両国系は本家の二所ノ関部屋の流れであるが、分家独立や本家の後継などを巡って対立が相次ぎ(片男波部屋、押尾川部屋、阿武松部屋など)、本家は10代二所ノ関(元関脇・金剛)の病気療養を理由に2013年に閉鎖、二所ノ関の名跡は阿佐ヶ谷系に移った。阿佐ヶ谷系は、1952年に二所ノ関部屋から最初に独立した8代芝田山(元幕内・大ノ海)を源流とする。大ノ海はアマチュア相撲の名門である日本大学相撲部員に稽古を付けたことがあり、その縁で日本大学相撲部練習所の一部を間借りし、現役時代に阿佐ヶ谷に自己の相撲道場を持った。このため、この流れの部屋の多くは阿佐ヶ谷に部屋を置いた。8代芝田山は独立直後に11代花籠を名乗り、花籠部屋が系統の中軸となる。1974年4月には一時「花籠一門」として独立した。花籠部屋は、後を継いだ12代花籠(元横綱・輪島)の不祥事で1985年に閉鎖され、以降は10代二子山(元横綱・若乃花)の創設した二子山部屋が中心となる。二子山部屋は横綱・大関を長年にわたって輩出し続け、その力士たちの多くが独立、合計で6部屋に達した。独立奨励によって一門の勢力は拡大したものの、他の一門と較べて結束力は弱い。2010年には、貴乃花が協会改革のために一門の反対を押し切って理事選に出馬し、貴乃花部屋(二子山部屋の後継)以下4部屋が破門された。二所ノ関一門からの選出理事は従来は3人であったが、貴乃花とその支持者が一門を離脱した2010年理事選挙からは2人に減り、2016年の理事候補選挙では8代尾車(元大関・琴風)と12代二所ノ関(元大関・若嶋津)が選出されている。副理事には2014年から14代芝田山(元横綱・大乃国)が選出されている。年寄会では9代高田川が副会長を務めている。

出典:wikipedia

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