シンボリインディはアメリカ合衆国で生産され、日本で調教された競走馬。NHKマイルカップ、京成杯オータムハンデキャップなどを制した。※現役中に馬齢の表記方法が変更されたため、2000年までは旧表記で記載日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターの藤沢和雄厩舎に入厩。1998年11月7日、東京芝1600mの新馬戦でデビューしたが、ここはクビ差でスリリングサンデーの2着に敗れる。2週後の11月21日の新馬戦で初勝利を挙げ、続く中山競馬場のひいらぎ賞でも1番人気で1着となった。明けて1999年、京都競馬場のマーガレットステークスでは2番人気であったが、ビッグバイキングにクビ差競り勝ち1着。5月16日、横山典弘を背にNHKマイルカップに出走。重賞初挑戦ということもあってか6番人気であった。道中は後方を追走。直線に入ってインから伸び、ザカリヤの猛追を振り切って1着。ここまでマイル戦ばかりを使われて4連勝。そして馬主であるシンボリ牧場は、シンボリルドルフの有馬記念(1985年)以来14年ぶりのGI制覇であった。その後シンボリ牧場に放牧に出された。休養の間、秋にアメリカのブリーダーズカップ・マイルへ挑戦することも検討されたが、馬房内で暴れてケガをしたため計画を白紙に戻し、12月の有馬記念に向けて調整することとなった。12月26日、有馬記念に出走。しかし道中は折り合いがつかず出走14頭中14着と惨敗に終わる。2000年1月30日、東京新聞杯に出走。得意のマイル戦ということで1番人気に支持されたが、直線で伸びず9着。次に初のダート戦となったフェブラリーステークスに出走するも9着に終わる。短期放牧の後、京王杯スプリングカップ、安田記念、札幌記念に出走するが、不振が続いた。9月10日の京成杯オータムハンデキャップに出走。鞍上は1998年のひいらぎ賞以来となる岡部幸雄。道中は5、6番手に付け、直線で先に抜け出したトロットスターをかわして1着。1年4ヶ月ぶりの勝利を挙げるとともに、岡部に重賞150勝目をプレゼントした。スプリンターズステークスに出走しダイタクヤマトの14着となった後、スワンステークスに出走。好位から直線で伸びたが、ダイタクヤマトに3/4馬身差の2着。続くマイルチャンピオンシップでは得意のマイルということで3番人気に支持されたが、11着に終わった。2001年4月1日、ダービー卿チャレンジトロフィーの発走直前にゲートに入ったところ突然暴れだし、ゲートをくぐって出てしまった。その際に右下腿骨開放骨折を発症。完全に折れ、脚を地面に着くことができないほどの重症で、予後不良と診断され、安楽死の処置が取られた。よしだみほの漫画作品「馬なり1ハロン劇場」では京王杯の後に執筆した作品でシンボリインディを「シンボリの馬」「岡部騎乗」「3歳春は活躍したがその後苦戦が続く」「そして京成杯(旧・京王杯)AHで久々の勝利」という共通項からマティリアルに重ね合わせて描いた(単行本15巻に収録)。しかしその後、レースこそ違うもののインディはマティリアル同様に「レース中のアクシデントが原因で安楽死処置となる」となってしまった。コーエーテクモゲームスのゲーム「ウイニングポストシリーズ」ではゲームの仕様上、「馬なり1ハロン劇場」同様レース中の競走中止になっている(これはシンボリインディ以外も同様(1987年の有馬記念で競走中止になったサクラスターオーなど))。プレイヤーが所有している場合、予後不良を回避できる場合がある。また、スペシャル種牡馬として種牡馬のシンボリインディも存在する。
出典:wikipedia
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