井岡 一翔(いおか かずと、1989年(平成元年)3月24日 - )は、日本のプロボクサー。第33代日本ライトフライ級王者。第13代WBC世界ミニマム級王者。第21代WBA世界ミニマム級王者。第27代WBA世界ライトフライ級王者。第46代WBA世界フライ級王者。世界最速での3階級制覇王者。元プロボクサーである父・井岡一法が会長を務める井岡ボクシングジム・プロフェッショナル所属。大阪府堺市出身。興國高等学校卒業・東京農業大学中退。メディア応対はマネジメント契約を結んでいるトラロックエンターテインメントが行なっている。弟が2人いる。井岡ボクシングジム初代会長で井岡弘樹ボクシングジム会長の元世界2階級制覇王者井岡弘樹は叔父(一法の弟)。中学1年時に叔父が所属していたグリーンツダジムでボクシングを始め、中学3年時に叔父の井岡弘樹が設立した井岡ジムへ移籍。興國高等学校在学中にはライトフライ級で2年時に選抜大会、インターハイ、晴れの国おかやま国体で優勝し、2005年度アマチュア部門新鋭賞を受賞。3年時も選抜大会、インターハイ、のじぎく兵庫国体の各大会で優勝して粟生隆寛・大迫亮らに次ぐ史上3人目の高校6冠を達成した。高校卒業後は東京農業大学に進学して北京オリンピック出場を目指したが、1年時の全日本アマチュアボクシング選手権大会決勝で大久保賢児に1ポイント差で敗れ出場を逃した。翌2008年のキングスカップでは、前年の世界選手権で銅メダルを獲得したタイのアムナット・ルエンロンに準決勝で敗れ、銅メダルを獲得。しかし、この時の井岡はオリンピックを視野に優勝を狙っていたため、「銅メダルもメダルなしも自分としては一緒」と感じていた。同年の全日本選手権の決勝では林田太郎(駒大1年)に1ポイント差で敗れ2年連続準優勝となった。大学では秋田わか杉国体・チャレンジ!おおいた国体で優勝したが、北京オリンピックという目標が消えたことを理由にプロ転向を決め、大学を2年途中で中退した。2009年1月18日、プロテストに合格してB級ライセンスを取得し、同年4月12日に大阪府立体育会館第1競技場でプロデビュー。メインイベントでタイ王国フライ級王者のトンタイレック・ポーウォラシンとライトフライ級ノンタイトル6回戦を行い、3R26秒TKO勝利を収めた。2009年7月26日、大阪府立体育会館第1競技場で日本ミニマム級7位の松本博志(角海老宝石)とライトフライ級ノンタイトル8回戦を行い、2R終了間際にノックダウンを奪ってから連打をまとめて2R2分59秒TKO勝利を収めた。この試合後、日本ミニマム級8位にランクインした。2009年12月29日、大阪府立体育会館第1競技場でWBA世界ライトフライ級9位・WBC世界ライトフライ級12位の國重隆(大阪帝拳)とライトフライ級ノンタイトル10回戦を行い、3-0の判定勝利を収めた。この勝利で世界ランク入りが確実と報道され、年明けにWBA、WBCともライトフライ級14位にランクされた。なお、この試合はメインイベントとして行われ、世界タイトルマッチである高校の先輩石田順裕(金沢)のWBA世界スーパーウェルター級暫定王座の防衛戦がノンタイトル戦の前座となる日本では異例の扱いだった。また、CS放送(スカイ・A sports+)ながら生中継もされた。2010年4月18日、大阪府立体育会館第1競技場でWBA世界ライトフライ級13位・WBC世界ライトフライ級13位としてOPBF東洋太平洋ミニマム級7位・インドネシアミニマム級王者のヘリ・アモルとライトフライ級ノンタイトル10回戦で対戦。9Rにアマチュア時代を含め109戦目で初めてダウンを奪われたが、6 - 7ポイント差の3-0で判定勝利を収めた。2010年7月25日、大阪府立体育会館でWBA世界ライトフライ級12位・WBC世界ライトフライ級10位としてフィリピンフライ級8位のアルバート・アルコイとライトフライ級ノンタイトル10回戦を行い、9RTKO勝利を収めた。この試合は同一興行内で行われた亀田興毅・大毅兄弟の試合と合わせ「トリプル世界前哨戦」としてTBSで中継され、以降の試合も同局が中継するようになる。2010年10月10日、大阪府立体育会館第2競技場で同門の宮崎亮が返上した日本ライトフライ級王座をかけ、WBAライトフライ級9位・WBC同級7位として日本同級1位の瀬川正義(横浜光)と王座決定戦10回戦を行い、10R1分57秒負傷TKO勝利で王座を獲得した。その後、12月15日に世界王座挑戦へ専念するため同王座を返上した。2011年2月11日、神戸ワールド記念ホールでWBC世界ミニマム級王者オーレイドン・シスサマーチャイ(タイ)に挑戦。2Rに左フックでダウンを奪い、5Rに左ボディブローで2度目のダウンを奪うとレフェリーがカウントを途中でストップ。5R1分7秒TKO勝利を収め、辰吉丈一郎と名城信男の当時として国内最速記録を更新する7戦目(2014年、井上尚弥により6戦に更新される)での世界王座獲得に成功すると共に平成生まれの選手としては初の世界王者となり、試合後のインタビューでは周囲への感謝を語った後に4階級制覇を宣言した。当時、『リング』誌の編集長だったナイジェル・コリンズは、「井岡の非凡な功績は3戦目でスーパーライト級世界王座を獲得したセンサク・ムアンスリンを彷彿させる」と言って、この戴冠劇を絶賛した。2011年8月10日、世界王座初防衛戦。東京・後楽園ホールで1位フアン・エルナンデス(メキシコ)と対戦。試合は1Rこそ挑戦者の勢いあるパンチを当てられていたが、徐々に自分のリズムで相手に的確なパンチを当て初め、中盤から終盤にかけてエルナンデスを圧倒した末に3-0(116-112、117-111、118-111)の判定勝利を収めて初防衛に成功した。2011年12月31日、2度目の防衛戦は大阪府立体育会館において、同級10位のユース王者ヨードグン・トーチャルンチャイ(タイ)と対戦。試合は開始直後から主導権を握った井岡が1R1分30秒、左フックでダウンを奪うと、挑戦者は立ち上がれずレフェリーが即座に試合をストップ。1R1分38秒TKO勝ちを収め、2度目の防衛に成功した。なお、この試合のKOタイムは1972年に輪島功一がマークした1R1分49秒を抜いて日本の選手による世界王座防衛戦としては最速であり、世界戦全体でも1992年に平仲明信が王座奪取したときの1R1分32秒に次ぐ記録である(日本開催では最短)。2012年6月20日、ボディメーカーコロシアムでWBA世界ミニマム級王者八重樫東(大橋ジム)と統一戦を行った。試合は序盤より両者の持ち味を発揮したが、八重樫の両まぶたを腫らすなど的確な有効打を集めた結果、3-0(115-114,115-113,115-113)の判定勝ち。WBC王座3度目の防衛ならびにWBA王座獲得に成功。日本人による初のWBA・WBCの(男子かつ同一階級の)世界王座統一を果たした。しかしながら、WBA・WBC両団体より今回の試合を王座統一戦として認定する条件として「この試合の勝者は10日以内にWBA・WBCいずれかの王座を返上する事」が義務付けられていたため、その条件に従う形で王座統一から9日後の6月29日、WBC王座を返上することを発表した。この試合後はライトフライ級での2階級制覇を目指すことになり、4か月後の10月5日にWBA王座も返上した。井岡は王座統一後、『リング』誌のランキングを2位から1位に上げた。元1位のヌコシナチ・ジョイは無敗ながら年に1度ペースでしか試合をしない一方で、井岡が楽な試合をせず、王座を統一したことが評価された。また、この選考過程で、同誌ランキング諮問委員の一人からは、「このようにチャンスを掴む行為は報われるべきだ。井岡はプロ10戦目にして王座を統一することで自分自身に挑戦している。これは(若くして実績を残した)ウィルフレド・ベニテスのような功績だ。井岡は非常に過小評価されたオーレイドン・シスサマーチャイを倒して王座を獲得したのであり、忘れてはならないのは、彼がこれらのことを階級を下げてやってきているということだ」という強い支持があった。この勝利により、トレーナーである父・一法は同年度のエディ・タウンゼント賞を受賞した。2012年12月18日、WBAがWBA世界ライトフライ級正規王者ローマン・ゴンサレスのスーパー王座認定に伴い井岡と元WBA世界ライトフライ級暫定王者でWBA世界ライトフライ級5位のホセ・アルフレド・ロドリゲスとの間で行われるWBA世界ライトフライ級王座決定戦の勝者は、同月31日の試合から90日以内にWBA世界ライトフライ級スーパー王者ローマン・ゴンサレスと対戦すること、興行権の入札に至った場合はファイトマネーの75%がゴンサレスに配分されること、井岡一翔 対 ホセ・アルフレド・ロドリゲス戦の勝者 対 ローマン・ゴンサレスの勝者(井岡一翔 対 ホセ・ロドリゲス戦が引分の場合はゴンサレス)は9ヵ月以内に王座統一戦を行い、その王座統一戦の勝者はその試合から18か月以内に指名試合を行うことなどを記載した2012年12月6日付の文書と共に発表した。2012年12月31日、ボディメーカーコロシアムで元WBA世界ライトフライ級暫定王者でWBA世界ライトフライ級5位のホセ・アルフレド・ロドリゲス(メキシコ)とWBA世界ライトフライ級王座決定戦で対戦し、井岡がロドリゲスから1回と6回の合計3度のダウンを奪い、6回2分50秒TKO勝ちを収め、日本人選手最短のプロ11戦目での2階級制覇を達成した。上述のWBAからの通達に基づき、勝者となった井岡がこの試合から90日以内にゴンサレスとの一戦に臨むことが決定した。2013年1月7日、2012年の年間表彰選手選考会で井岡が最優秀選手賞を受賞した。また「井岡一翔 対 八重樫東戦」が「年間最高試合」を受賞した。「年間最高試合」に選ばれた「井岡一翔 対 八重樫東戦」での勝利と上述のホセ・アルフレド・ロドリゲスとのWBA世界ライトフライ級王座決定戦を制して2階級制覇を達成したことが評価された結果である。2013年1月24日、同年2月23日までの30日間でローマン・ゴンサレス 対 井岡一翔戦が両者にとって次戦となるよう交渉して合意するようにとWBAより通達を受けたが、同年2月7日、WBAは同月18日に最低価格を米ドルで8万ドルとする入札を行うと発表した。この為ファイトマネーの配分がゴンサレスが75%、井岡が25%となることが確定した。しかし、2013年2月15日、ゴンサレス戦に消極的だった井岡陣営からの要望により入札は中止となり、ローマン・ゴンサレス 対 井岡一翔戦は延期されることとなった。一説には井岡陣営が12万5千ドル払って回避したとも言われている。また、父親でありプロモーターでもある一法氏は、ゴンサレス戦回避の理由について準備期間が短かったことと、統一戦はラスベガスで行うべきとゴンサレス陣営と意見が一致したことを挙げている。だが、その後ゴンサレス 対 井岡戦の実現に向けた動きは見られていない。2013年5月8日、ボディメーカーコロシアムで元PABAライトフライ級王者でWBA世界ライトフライ級3位のウィサヌ・ゴーキャットジム(タイ)と対戦し、ボディーアッパー悶絶KOで試合終了。9回2分51秒KO勝ちで初防衛に成功した。2013年6月1日、トレーナー兼プロモーターの父・一法氏が大阪市浪速区桜川にあった井岡ボクシングジムの名義を大阪市浪速区久保吉に移転し井岡ボクシングジム会長に就任し、念願を果たした。それに伴い元世界2階級制覇王者の叔父・井岡弘樹氏が大阪市浪速区桜川に2002年に開設した井岡ボクシングジムの名称を井岡弘樹ボクシングジムに変更を余儀なくされ会長に就任した。2013年9月11日、ボディメーカーコロシアムで元WBA世界ミニマム級王者でWBA世界ライトフライ級5位のクワンタイ・シッモーセン(タイ)と対戦し、7回2分17秒KO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。2013年12月31日、ボディメーカーコロシアムでWBA世界ライトフライ級4位のフェリックス・アルバラード(ニカラグア)と対戦し、12回3-0(115-113、119-110、119-109)の判定勝ちを収め3度目の防衛に成功した。2014年2月28日、前述のとおりローマン・ゴンサレスと戦うことなく、フライ級に転向する為にWBA世界ライトフライ級王座を返上した。2014年3月13日、WBAが最新ランキングを発表し、井岡はWBA世界フライ級3位にランクインした。2014年4月17日、IBFが最新ランキングを発表し、井岡はIBF世界フライ級8位にランクインした。2014年5月7日、ボディメーカーコロシアムでアマチュア時代に対戦経験のあるIBF世界フライ級王者アムナット・ルエンロン(タイ)と対戦したが、王者の執拗なクリンチに苦しみ12回1-2(114-113、108-119、112-115)の判定負けを喫し、世界最速のプロ15戦目での3階級制覇に失敗した。2014年9月16日、後楽園ホールでWBA世界フライ級14位のパブロ・カリージョ(コロンビア)と対戦し、10回3-0(98-92、99-93、99-91)の判定勝ちを収め再起に成功した。2014年12月31日、ボディメーカーコロシアムで元WBA世界フライ級暫定王者のジャン・ピエロ・ペレス(ベネズエラ)と対戦し、5回2分9秒KO勝ちを収めた。2015年4月10日、WBAは最新ランキングを発表し、井岡はWBA世界フライ級3位にランクインした。2015年4月22日、大阪府立体育会館でWBA世界フライ級王者のファン・カルロス・レベコ(アルゼンチン)と対戦し、序盤はレベコが手数で上回っていたが、終盤からは左ジャブでリズムをつかみ徐々に王者のパンチが当たらなくなり、12回2-0(114-114、116-113、115-113)の判定勝ちを収め悲願にしてジェフ・フェネックを上回る最速での3階級制覇を達成した。2015年5月16日、WBAは最新ランキングを発表し、井岡をWBA世界フライ級正規王者としてランクインした。2015年5月20日、WBAは井岡一翔とファン・カルロス・レベコに対し再戦するよう指令を出した。30日以内に対戦交渉が合意に至らなかった場合は入札となり、試合報酬は井岡に60%、レベコに40%の割合で分配されるとのこと。2015年9月27日、エディオンアリーナ大阪でWBA世界フライ級10位のロベルト・ドミンゴ・ソーサと対戦し、12回3-0(2者が119-109、120-108)の判定勝ちを収め初防衛に成功した。2015年12月31日、エディオンアリーナ大阪で元WBA世界フライ級王者でWBA世界フライ級2位の指名挑戦者ファン・カルロス・レベコとリマッチを行い11回1分57秒TKO勝ちで2度目の防衛に成功した。2016年1月19日、WBAは最新ランキングを発表し、上述のレベコ戦の勝利を評価し、井岡はWBAの12月度の月間優秀選手賞に選ばれた。2016年7月17日、WBAはWBA・WBO世界フライ級スーパー王者ファン・フランシスコ・エストラーダとWBA世界フライ級正規王者井岡一翔に対し、王座統一戦を行うよう指令を出した。同年8月20日までに合意に至らなければ入札になるとのこと。2016年7月20日、エディオンアリーナ大阪でWBA世界フライ級6位でWBCラテンアメリカフライ級王者のキービン・ララと対戦し、10回と11回にダウンを奪い11回1分11秒KO勝ちを収め3度目の防衛に成功した。2016年10月7日、WBAは2016年9月14日にエストラーダがWBA世界フライ級スーパー王座を返上したことで井岡との統一戦が消滅したことを受けて、WBA世界フライ級正規王者井岡一翔とWBA世界フライ級暫定王者スタンプ・キャットニワットに対し、王座統一戦を行うよう指令を出した。同年10月30日までに合意に至らなければ入札になるとのこと。ボクシング関係者からは距離感、左ジャブ、駆け引き、冷静さ、コンビネーションなどが評価されている。井岡一法の語る井岡の強みは、距離感と打ち終わりのポジショニングなどのディフェンス面。切れのある左ジャブからの多彩なコンビネーションパターンを持ち、鍛えられた下半身から振り子のようにパンチを放つ。得意のパンチにはアマチュアの国際試合で学んだ、拳の角度を変えて当てる左のロングフックなどが含まれる。オスカー・デ・ラ・ホーヤを理想とし、そのコンビネーションについては「(デラホーヤは)ここでパンチをまとめたらレフェリーが止めてくれるのを知っているかのように連打する」と表現する。幼少期からアマチュア時代のデラホーヤのビデオを繰り返し観ており、全ての動きを攻撃につなげる攻防一体の「超攻撃型」を目指している。若旦那 「俺が俺が〜世界中が敵になっても〜」(2012年4月25日)
出典:wikipedia
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