陶邑窯跡群(すえむらようしぐん、または、すえむらかまあとぐん)は日本三大古窯の一つ。大阪府南部の丘陵地帯(堺市、和泉市、岸和田市、大阪狭山市)に多数の窯跡が分布する。上記の丘陵地一帯に広がることから大阪府南部窯址群(阪南窯址群)とも呼ばれる。古墳時代に朝鮮半島から導入された窯を使って1000度以上の高温で焼成する須恵器の生産の中心として最大規模であり、初期須恵器の段階から須恵器を継続的に生産した所として著名である。陶邑の名称は崇神天皇の時、倭迹迹日百襲媛命が神懸りして受けた託宣により茅渟県陶邑において大田田根子を探し出し、大和三輪山の神、大物主を祭る神主(三輪山の麓にある大神神社の始まりとされる。実は大田田根子は、大物主が人間の娘、生玉依媛のもとに通って産ませた隠し子であったとする。)とし、それまで続いていた疫病や災害を鎮めたとする日本書紀の記載がある。しかし、古代において、この窯業生産地全体を指す呼称であっかたかどうかは不明である。1991年(平成3年)、陶邑窯北部に位置する堺市大庭寺遺跡の発掘調査により、古墳時代の集落の遺構等とともに明らかにされたTG232号窯およびTG231号窯からは朝鮮半島の陶質土器の影響が色濃い初期須恵器が大量に出土している。また、そこから1キロ余り西の地点で先の2つの窯跡よりやや遅れる段階に操業を開始したと思われるON231号窯が発掘され、ここからも大量の初期須恵器が出土している。さらにここから2キロ西に離れた和泉市内において1966年(昭和41年)に調査されながら、1999年(平成11年)に正報告がなされた濁り池須恵器窯もTG232窯にすぐ後続する段階のものであり、須恵器生産の最古の段階(4世紀末 - 5世紀初頭)から陶邑で、かなりの規模の生産が継続的に行なわれていたことを示している。これらの初期の窯跡は陶邑でも北部の平野部に近い場所にあり、丘陵の入口部から須恵器窯としての開発が始められ、時期が下るとともに丘陵の奥に窯が設けられるようになっていったようである。なお、当古窯跡群の北方数キロには5世紀に造営された大仙陵古墳を始めとする百舌鳥古墳群が展開しており、陶邑窯の創設当初、巨大古墳群の造営主体である初期畿内政権(ヤマト王権)中枢と直接の関わりがあったことが想定されている。こうして、5世紀以降、時期ごとに営まれた窯の数の増減はあるものの平安時代まで日本最大級の窯業生産地として栄えた。我国の窯業生産発祥地の1つと言える。遺跡全体の規模としては、上記の丘陵地帯に1000ヶ所前後もの窯跡が点在したとされるが、その多くは、1960年代以降、泉北ニュータウン等の建設で破壊された。しかし、400ヶ所以上もの窯跡が発掘調査され、その出土資料は全国各地で出土する須恵器の年代を推定するための編年の基準となっている(陶邑編年)。専門書などではしばしば、TK73型式の須恵器が出土したとか、MT15型式とかあるいは、TG232号窯と同時期といった記述がみられる。これは陶邑窯の調査が始まった時期に窯跡群が分布する丘陵地が地形的に、いくつかの小河川によって区分されていることから、調査の便宜上、陶器山地区(略称MT)、高蔵寺地区(略称TK)、栂地区(略称TG)、光明池地区(略称KM)、大野池地区(略称ON)、谷山池地区(略称TN)という地区名を与えて、その地区ごとに窯址の番号を付け、TK73号窯、MT15号窯などと呼称し、この窯跡の略称が須恵器の時期ごとの型式名にも使用されたことに由来するものである(一般にはⅰ- ⅴ期の型式区分が用いられる事が多い)。例えばTG232号窯(この窯が発見された堺市大庭寺遺跡は地形的に陶邑窯の栂地区に属する)は現時点では陶邑窯最古段階または揺籃期(ⅰ期1段階前期)の4世紀末前後、TK73とTK216はそれに後続するⅰ期1段階後期とし、5世紀初頭、その後にTK208、TK23、TK47と5世紀末前後まで変遷し、ⅱ期ではMT15、TK10、TK43、TK209という順に6世紀代を推移して行ったと考えられている。ところで、窯址の呼名として、そのそれぞれに、高倉寺○号窯(TK○)、陶器山○号窯(MT○)といった正式名称があるのにもかかわらず、ローマ字表記の略称が優先して使用されていることには批判がある。こういったローマ字表記の略称は本来、研究機関内の出土遺物の整理作業などの効率をはかる便宜のためのものにすぎず、正式名称に取って代わって使用されるべきではないという意見である 。しかしながら、このローマ字表記の呼称は1966年刊行の平安高校(現龍谷大平安高校)考古学クラブによる陶邑窯の初期の調査報告書などに於いて既に使用されており、学界においてはこのローマ字表記の呼称はすっかり定着してしまった観はある(先述の陶邑窯出土の須恵器の編年の大筋もこの報告書のなかで既に示されており、高校のクラブ活動が残した偉業の1つと言える)。また、この際に行った発掘調査で出土した遺物は、現在も龍谷大平安高校が保管している。なお、陶邑窯の編年の基準となった出土資料の一部は同ニュータウン内にある堺市立泉北すえむら資料館(旧大阪府立泉北考古資料館)に収蔵、展示されている。収蔵されている遺物資料の内、5世紀から9世紀の須恵器2572点と窯道具3点、瓦塼10点は、2005年に国の重要文化財に指定されている。また高蔵寺73号窯と同74号窯は大阪府指定史跡に指定され現地に保存されている。
出典:wikipedia
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