第44回有馬記念(だい44かいありまきねん)は1999年12月26日に中山競馬場で施行された競馬競走である。グラスワンダーがスペシャルウィークの猛追を抑え、史上3頭目の有馬記念連覇を果たした。年齢は全て旧表記(数え年)にて表記。前年の有馬記念を優勝したグラスワンダーは、この年は宝塚記念を含む重賞3勝、安田記念2着と安定した成績で史上3頭目の連覇に臨んでいた。しかしファン投票では天皇賞の春秋連覇を成し遂げ、前走のジャパンカップを優勝していたスペシャルウィークに抑えられ2位での選出だった。だが当日の単勝人気ではグラスワンダーが1番人気、スペシャルウィークが2番人気に支持された。両馬は第40回宝塚記念で対戦しており、この時はグラスワンダーの完勝であったが、その後スペシャルウィークが後方待機に脚質転換しており、2頭の位置取りは宝塚記念と逆になるであろうことが予想されており、2頭の対決に注目が集まった。なお、インターフラッグが競走除外となった。レースはゴーイングスズカが引っ張り、1000m通過タイムが64〜65秒という極端なスローペースになった。そんな中、スペシャルウィークは最後方に控え、後方10,11番手に控えたグラスワンダーをマークする作戦を取る(この形は2頭が出走した宝塚記念とは逆の形である)。そして最後の直線残り250mでツルマルツヨシが早めに先頭に立つが、残り50m付近で同年の皐月賞優勝馬テイエムオペラオーに交わされる、しかしグラスワンダーとそれをマークしていたスペシャルウィークが外から追い上げる。3頭の意地がぶつかり合う叩き合いとなったが、テイエムオペラオーがわずかに交わされ、グラスワンダーとスペシャルウィークがほぼ並んだ状態でゴール板を駆け抜けるが、勢いでわずかにスペシャルウィークが差し切ったように見えた。結果は写真判定に持ち込まれ、ゴール後もなかなか結果は出なかったが、スペシャルウィークの鞍上の武豊が勝利を確信したためウイニングランを行い、一方、それを見たグラスワンダーと鞍上の的場は負けを確信したのか引き上げていき、躊躇しながらも2着馬の位置に馬を収めた。まだ電光掲示板に正確な着順が発表されないうちから、場内の雰囲気はスペシャルウィーク有利の見方に傾きつつあった。ところが、スペシャルウィークと武豊が枠場に戻ってきたとき、電光掲示板に着順名表示され場内が騒然とした。長い間の写真判定の結果、実際にはハナ差でグラスワンダーに軍配が挙がっていた。その差はわずか4cm。スペシャルウィークはあと一歩のところで秋GI3連勝を逃した。極めて微妙な決着であり、また追い込んできたスペシャルウィークの勢いが完全に勝っていたため、勝利ジョッキーインタビューでもグラスワンダーの鞍上だった的場均は「豊がウイニングランをしたので負けたと思った」と、この際どい勝負を物語っている。しかし、的場は勝利してもガッツポーズをしないジョッキーであったため、武が勝利したと思ったのではないかとも言われている。このことで負けていたにもかかわらずウイニングランを行うという珍事も起こった。グラスワンダー陣営は勝ったものの、運よくスペシャルウィークの猛追をしのぎ切っただけであり、明らかに不満の残るレースであったことは事実であった。一方レースには負けたスペシャルウィーク陣営ではあったが、レース内容はスペシャルウィークが上であったようにも思えただけにレース後、武は「競馬に勝って勝負に負けたという感じです」と答えた。なお、実は写真判定の結果はもっと早く出ていた。しかし、ウイニングランを行っている武の心情を日本中央競馬会(JRA)が配慮して武が帰ってくるまで遅らせたという。グラスワンダーはスピードシンボリ・シンボリルドルフに続く史上3頭目の本レース連覇を達成。また、宝塚記念とともに同一年グランプリ制覇を果たした(グレード制導入後ではイナリワン(1989年)、メジロパーマー(1992年)に続く3頭目)。このレースの5日前、大川慶次郎が高血圧性脳出血で死去した。大川はグラスワンダーを本命にしており、「生前最後の予想」が的中することになった。JRA50周年記念サイト 平成11年有馬記念 グラスワンダー
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。