棚橋 弘至(たなはし ひろし、1976年11月13日 - )は、日本の男性プロレスラー。岐阜県大垣市出身。新日本プロレス所属。遠縁として木瀬部屋所属の元幕下・稲葉丸がいる(本名は棚橋弘貴)。弟の影響でプロレスに目覚め、岐阜県立大垣西高等学校では野球を経験。1995年に卒業後、一般入試で立命館大学法学部に入学。弁護士の角田龍平とは同級生であった。大学時代は学生プロレスサークルであるプロレス同好会に在籍する一方、部員不足に悩む体育会レスリング部にも参加しインカレにも出場。大学時代は新日本プロレスのG1 CLIMAXの両国7連戦をすべて現地観戦したり、アメリカ在住の先輩が毎週録画して送ってくるWWEの映像を見たりしていた。当時の現場監督の長州力が学生プロレス嫌いを公言していたことから、棚橋自身は立命館大学レスリング部出身を名乗り、学生プロレス経験者であることを認めてこなかったが、2006年4月に東京スポーツ紙上でレイザーラモンHGと対談した際、自らが学生プロレス出身であることを認めた(サークルの先輩にユリオカ超特Q・レイザーラモンRGがいる)。学生プロレス時代のリングネームは、メイ牛山、ハメ浩を経て、ターナー・ザ・インサート。1996年春に行われた新日本プロレスの入門テストを受け、与えられたメニューを全てこなしたが不合格となる。同年秋に2度目の入門テストを受けるも、体調不良による脱水症状に陥りメニューをこなすことができず、不合格となった。1998年2月に行われた3度目の入門テストでようやく合格を果たすも、長州力より「大学は卒業はしておけ」と告げられ大学生生活を継続するようになる。大学卒業後の1999年4月に新日本に入門。入門後しばらく武藤敬司の付き人を務めた。同年10月10日、真壁伸也(現:真壁刀義)戦でデビュー。2001年5月18日、怪我から復帰した同期入門の鈴木健三(後に鈴木健想に改名)とタッグチーム、キング・オブ・ザ・ヒルズ("King Of The Hills"、略称 : KOTH)を結成。棚橋(タナハシ)と健三(ケンゾウ)で「タナケン」という愛称で親しまれ、ヘビー級のタッグ戦線を盛り上げる。2002年3月14日、健想が病気によって再び欠場に入ると、佐々木健介とタッグを結成。5月2日東京ドーム大会では、スタイナー・ブラザーズと対戦。6月20日に健介、復帰を果たした健想とブルー・ウルフを加えた4人で新チーム、スウィング・ロウズ("SWING-LOWS")を結成。健介がリーダーであるものの、KOTHの発展形と主張し、本隊と一線を画して新日本のトップ獲りを目指すこと宣言したが、10月に健介に新日本退団したため、11月3日、SWING-LOWSを解散。その後、健想とウルフと共に新生KOTHを結成し、このトリオで大会「トライアスロン・サバイバー」にエントリーしたが、大会前の公開練習で健想が高山善廣とタッグを組みたい意向を示し、年内での解散を宣言した。11月28日、別れ話のもつれから交際相手の女性に刃物で背中を刺され重傷を負う。棚橋は負傷したまま原動機付二輪車を運転し、最寄りの病院に駆け込み緊急治療を受けて一命を取り留めたものの、総血液量の約3分の1にあたる1.7リットルの血液を失い、一時は意識不明に陥るほどの大怪我を負った(なお、棚橋が加害者を宥恕し、示談が成立していたこともあり、執行猶予付きの判決となった)。刺傷事件から復帰後の2003年4月23日に自ら提唱したU-30王座(後にU-30無差別級王座に改称)を、6月13日に吉江豊とIWGPタッグ王座を、11月30日に永田裕志とプロレスリング・ノア(略称 : NOAH)の至宝GHCタッグ王座を続けざまに獲得し、12月14日にIWGPタッグ王座から転落するまでの約半月間、三冠王として君臨した。U-30無差別級王座長期防衛の最中の2004年初め頃から、中邑真輔、柴田勝頼と共に「新・闘魂三銃士」の一人とされ、G1 CLIMAXでは、その全員が決勝トーナメント(ベスト6)へ進出する中、3人中最高の準優勝という成績を残す。12月11日、中邑とのコンビで再びIWGPタッグ王座を獲得し、第47代王者組に君臨する。2005年1月4日、中邑とのU-30タイトル戦に敗戦。2年近く保持していた王座から転落する。しかし、後に中邑がU-30無差別級王座を封印するもののフロントの意向により返上と改められ空位に。この後、柴田の退団により新闘魂三銃士は消滅した。4月、新設されたトーナメント戦「春のG1」ことNEW JAPAN CUP(NJC)で優勝。さらに6月に行なわれた「U-30無差別級王座決定リーグ戦」を全勝優勝で突破し、第3代U-30無差別級王者に返り咲く。7月18日にはNOAH東京ドーム大会に参戦し、力皇猛の保持するGHCヘビー級王座に初挑戦したが敗戦した。2006年5月13日に行われた第1回WRESTLE LANDでは、黒のショートタイツで天性のナルシシストぶりとチャラ男ぶりを発揮。いつしかリングの中心で決め台詞である「愛してま〜す」と叫ぶようになり、特異なキャラを確立し今に至っている。7月17日、札幌でIWGPヘビー級王者ブロック・レスナーとのタイトルマッチを行う予定だったが、契約上のトラブルにより来日不可能となった。それに伴いレスナーから剥奪された王座を競うトーナメントでジャイアント・バーナードに勝利し、優勝。第45代IWGPヘビー級王者となり悲願の初戴冠を果たした。2007年1月4日、新日本プロレス、全日本プロレスの両団体の誕生35周年を記念した共同開催のレッスルキングダム IN 東京ドームではダブルメインイベントに出場し、太陽ケアと対戦。4月13日に永田裕志に敗れ、IWGP王座を手放し、試合後右膝内側靭帯損傷と診断され、欠場する。8月のG1 CLIMAXでは2勝1敗2分という成績でリーグ戦を2位で通過。準決勝の真壁、決勝の永田を打ち破り悲願のG1初制覇を遂げる。10月8日、永田とのタイトルマッチを制して第47代王者に返り咲いた。さらに、後日の記者会見で結婚していたことを告白した。2008年1月4日、レッスルキングダムIIで中邑との一騎討ちに敗れ、王座から陥落した。3月1日、全日本プロレスに参戦し元付き人だった武藤敬司とタッグを結成し、川田利明 & 太陽ケア組に勝利。メインイベントの三冠ヘビー級選手権試合終了後、チャンピオン・カーニバルに参戦を表明した。新日本では2度目のNJCを制覇し、中邑の保持するIWGP王座に挑戦するも、奪還には至らなかった。4月6日、全日本主催のチャンピオン・カーニバルに初出場し、公式初戦でケアと対戦し勝利を収めた。7日、武藤との師弟対決が実現するも、時間切れ引き分けという結末に終わり、翌8日の川田戦でも引き分けで終えた。9日の公式最終戦で小島聡から勝利を収め、優勝決定戦に進出。同日、決勝戦で諏訪魔と激突したが、最期はラストライドからピンフォールを奪われ、準優勝に終わった。さらに怪我が悪化し、「左膝前十字靭帯断裂」および「外側半月板断裂」と診断され長期欠場。8月のG1で復帰するが、精彩を欠き予選落ちに終わった。10月に無期限TNA遠征に出発したが、菅林直樹社長の要請を受けて12月に帰国した。2009年1月4日、レッスルキングダムIIIのメインイベントで武藤を下し、長らく流出していたIWGP王座を奪還。第50代王者となり、武藤越えを果たした。その後、中邑、カート・アングル、後藤洋央紀と対戦し3度の防衛に成功するが、5月6日、中西学を相手に敗戦し王座から陥落する。6月20日、DOMINION 6.20にて、中西に挑戦し再び王座を奪還し第52代王者に返り咲く。7月20日、NOAHの杉浦貴を相手にIWGP王座の初防衛に成功したが、この試合を観戦していたTAJIRIが試合後に乱入し、グリーンミストを浴びられたことから遺恨が生まれた。8月13日、G1公式戦でTAJIRIと対戦するも最後はグリーンミストからのバズソーキックでピンフォール負けを許してしまう。それでも決勝トーナメント進出に食らいつき、準決勝で中邑と対戦するも敗北を喫した。さらに試合中に中邑が放ったハイキックが原因で「眼窩内側壁骨折」と診断され欠場し、IWGP王座を返上した。その後はTAJIRIと抗争を繰り広げ、11月23日に後藤と組みTAJIRI、田中将斗組と対戦。G1参戦以降ピンフォール負けを許さなかったTAJIRIから勝利を収めた。その後のシリーズでは立て続けにTAJIRIにフォール負けを喫するも、12月5日、シングルマッチで再び激突し、実況席にいた山崎一夫や菅林社長を巻き込む形で最後はハイフライフローで勝利し、抗争に終止符を打った。12月のプロレス大賞では最優秀選手賞を受賞した。2010年2月14日の試合後、矢野通からハサミで髪を切られる被害を受けたことから、遺恨が勃発。6月19日、ルーザー・ボールド・ルールで完全決着を果たすべく矢野と対戦。最後は回転十字架固めで矢野からピンフォールを奪い取り、勝利を飾った。試合後、抵抗する矢野にTAJIRIが救援に駆けつけ、TAJIRIが矢野を羽交い絞めにする中、ようやく髪の毛を刈ることに成功。さらにTAJIRIと握手を交わしタッグを結成した。8月のG1 CLIMAXでは、決勝戦まで勝ちあがるも小島聡に敗れ、準優勝。G1 TAG LEAGUEではTAJIRIとタッグを組み出場するが、予選落ちに終わる。その後、G1を制し、IWGP王座に就いた小島に対して挑戦をアピール。12月11日に同じく挑戦を表明してきた後藤洋央紀とシングルマッチで激突。ハイフライフローで後藤を制し、熱望していたIWGP戦線へ一歩近づき、翌日行われた興行の全試合終了後、改めて小島に挑戦を表明した。2011年1月4日、小島の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦。これに勝利し、王座奪回に成功。自身5度目の戴冠となった。2月20日に挑戦者決定戦を制した小島と再戦。試合終盤で掟破りのラリアットで小島をなぎ倒し、最後はハイフライフローで初防衛を果たす。試合後のコメントでは「俺は、仙台のこの日を、生涯忘れません!」と涙ぐみながらファンのエールに答えた。以降は永田裕志、中邑、チャーリー・ハース、後藤、ジャイアント・バーナードを相手に防衛に成功。8月に行われたG1では、初戦こそ永田のバックドロップホールドで敗れるも、その後は勝ち星を積み重ねていく。しかし、9日目の矢野通戦ではヒールであるはずの矢野が歓声を浴び、棚橋にブーイングが起こる「逆転現象」が発生。初戦以来の敗北を喫し、最終日では内藤哲也のポルボ・デ・エストレージャに捕まり敗北、予選落ちとなった。その後、G1を制した中邑、内藤、矢野の挑戦を退け、12月4日にIWGPヘビー級王座連続防衛記録を持つ永田と再戦。これに勝利を収めて10度目の防衛に成功する。12月14日にはその功績が讃えられて、2009年以来2度目となるプロレス大賞最優秀選手賞を受賞した。試合内容のみならず、営業姿勢やファンサービスなど多方面から評価を受けた。2012年1月4日、レッスルキングダムVIの舞台で鈴木みのるを打ち破り、IWGPヘビー級王座の11度目の防衛に成功する。永田の連続防衛記録を塗り替える快挙を成し遂げた。2月12日、凱旋帰国して間もないオカダ・カズチカと対戦するも、オカダのレインメーカーで沈み防衛に失敗した。長らく保持していたIWGP王座を手放したが、6月16日、DOMINION6.16にて、リマッチ権を行使し再びオカダと対峙。最後はハイフライフローで勝利し、第58代王者に就いた。尚、同王座6回目の戴冠は藤波辰爾と並ぶタイ記録となる。7月1日、全日本プロレスとの創立40周年記念大会「サマーナイトフィーバー in 両国 WE ARE PRO-WRESTLING LOVE!」のトリプルメインイベントで大トリを飾り真壁とタイトルマッチで対戦。これに勝利を収め、防衛に成功。並びに橋本真也の同王座通算防衛記録20回を上回り、最多通算防衛記録者となった。7月22日には田中の挑戦を退けたのを皮切りに丸藤正道、鈴木、高橋裕二郎と立て続けに防衛に成功した。2013年1月4日、レッスルキングダム7のダブルメインイベントに登場し、IWGPヘビー級王座を賭けて、オカダと三度対戦。互いのフィニッシュ・ホールドを巡る攻防の末、ハイフライフローで勝利、6度目の防衛に成功した。その後、カール・アンダーソンを相手に7度目の防衛にも成功するが、4月7日のINVASION ATTACKにて、NJCを優勝したオカダを相手にピンフォール負けを喫し、IWGP王座から陥落した。7月5日、獣神サンダー・ライガーとのタッグでタマ・トンガ&テリブレ組が保持するCMLL世界タッグチーム王座に挑戦。テリブレからピンフォール勝ちを収め、同王座の第34代王者に戴冠。8月よりCMLLに遠征し、同団体が開催するカンペオン・ウニベルサルに出場。9月6日、決勝戦でルーシュから勝利を収め、日本人としては二人目となる優勝を飾った。10月14日、KING OF PRO-WRESTLINGにて、オカダの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦。棚橋はここで負けたらIWGP戦線から離脱を公言しており、リスクを背負った中での挑戦となったが、最後はオカダのレインメーカーでピンフォール負けを喫し、敗戦。試合後に「さらばだ、IWGP!!」とコメントを残し、公約通りIWGP戦線から撤退を表明した。11月9日、POWER STRUGGLEにて、同年のG1 CLIMAX公式戦で黒星を喫した石井智宏とシングルマッチで対戦。ハイフライフローでピンフォール勝ちを収め、リベンジを果たした。さらに、同大会のセミファイナル終了後、IWGPインターコンチネンタル王座の防衛に成功した中邑真輔が次期挑戦者として棚橋を指名し、棚橋も中邑の要求を受諾した。2014年1月4日、レッスルキングダム8のダブルメインイベントに登場。IWGPインターコンチネンタル王座(IC王座)を保持する中邑と対戦。ハイフライフローでピンフォール勝ちを収め、第7代王者に戴冠。その後、THE NEW BEGINNING in HIROSHIMAにて、リマッチを申し入れてきた中邑を相手にIC王座の防衛戦を行い、勝利を収めたが、次期シリーズのNEW JAPAN CUPで優勝した中邑が再びIC王座に挑戦することをアピール。4月6日、INVASION ATTACK 2014にて、再び中邑を相手にIC王座の二度目の防衛戦に挑んだが、ボマイェで敗戦。同王座から陥落した。4月19日後楽園ホール大会にて、真壁刀義とタッグを組み、IWGPタッグ王者組のカール・アンダーソン&ドク・ギャローズ組と対戦。ノンタイトルマッチながら、アンダーソンからピンフォール勝ちを収めると、5月3日のレスリングどんたく 2014では、真壁、内藤哲也、獣神サンダー・ライガーと組んで、イリミネーションマッチルール形式でBULLET CLUB(アンダーソン&ギャローズ&バッドラック・ファレ&タマ・トンガ組)と対戦。最後一人残ったギャローズからピンフォール勝ちを収め、真壁と共に二人残りで勝利した。試合後、真壁がマイクパフォーマンスを行い、棚橋とのタッグでIWGPタッグ王座への挑戦を表明したが、その直後に後藤洋央紀と柴田勝頼がリング上に現れ、後藤が自分たちこそがタッグ王座の次期挑戦者組だとアピール。その傍らで柴田は「ベルト・・・それよりも、棚橋。オマエと勝負だ」と棚橋を挑発したが、棚橋は「眼中に無ぇよ」と軽くあしらった。5月25日、横浜アリーナで開催されたBACK TO THE YOKOHAMA ARENAにて、真壁とのタッグで後藤&柴田組とIWGPタッグ王座ナンバーワン・コンテンダーマッチを行い、真壁が後藤から勝利を収め挑戦権を獲得した。6月21日、DOMINION6.21にて、アンダーソン&ギャローズ組に挑戦するも、真壁がピンフォール負けを喫し、敗戦した。8月、G1 CLIMAXに出場。着実に勝ち星を積み重ねていき、公式最終戦まで決勝進出の権利を保持し続けていたが、8日の横浜文化体育館大会でデイビーボーイ・スミス・ジュニアを相手に敗北を喫し、予選落ちとなった。10日、西武ドーム大会のセミファイナルに出場し、IWGPヘビー級王座を保持するBULLET CLUB(以降BC)のAJスタイルズとノンタイトルマッチで対戦。試合に勝利するも、試合後にBCの面々からリンチに遭い、さらに救出に駆け付けたかに思えたGFWの最高経営責任者ジェフ・ジャレットによってギターショットを浴びせられた。9月21日、DESTRUCTION in KOBEのセミファイナルに出場し、柴田とシングルマッチで対戦。最後はハイフライフローを二連発で放っていき、黒星を喫したG1公式戦の借りを返した。試合後、柴田と額を合わせて言葉を掛けあうと最後は握手を交わし、長らく続いた遺恨に終止符を打たせた。10月13日、KING OF PRO-WRESTLINGにて、IWGP王座を保持するAJから指名を受ける形で同王座に挑戦。試合終盤、レフェリーが場外でダウンしている隙にジャレットが試合に介入。ギターを棚橋に向かって振りかざした時、元新日本プロレスのヨシタツが現れ、ジャレットを蹴散らした。このアシストを受け、最後はハイフライフローでAJから勝利し、自身7度目のIWGP王座戴冠となった。12月8日、東京スポーツ主催のプロレス大賞で最優秀選手賞(MVP)を受賞した。2015年1月4日、レッスルキングダム9のメインイベントに登場。IWGPヘビー級王座の初防衛戦として昨年度G1優勝者にして挑戦権利証を守りきったオカダ・カズチカと対戦。死闘の末、最後はハイフライフローでオカダから勝利し、初防衛に成功した。2月11日、THE NEW BEGINNING in OSAKAにて、AJスタイルズを相手に2度目の防衛戦に臨んだが、ピンフォール負けを喫し、IWGPヘビー級王座から陥落した。3月5日、大田区総合体育館にて開催されたNEW JAPAN CUPに3年ぶりにエントリーされ、一回戦で矢野通と対戦するも、わずか2分47秒でピンフォール負けを喫し、早々にトーナメントから脱落した。以降、矢野との因縁が再発し抗争を展開。7月5日、DOMINION 7.5 in OSAKA-JO HALLにて、再び矢野とシングルマッチで対戦。ハイフライフローで勝利を収め、NJCの借りを返した。8月、G1に出場。途中2勝2敗とつまずいたが、その後は巻き返してAブロック1位通過。決勝戦で中邑真輔を倒し、8年ぶり2度目のG1優勝を果たした。9月27日、DESTRUCTION in KOBEではバッドラック・ファレを、10月13日、KING OF PRO-WRESTLINGでは内藤哲也を相手に、東京ドームIWGPヘビー級王座挑戦権利書を賭けて対戦しいずれも勝利を収めた。2016年1月4日、レッスルキングダム10のメインイベントで、オカダ・カズチカの持つIWGPヘビー級王座に挑戦。35分を超える激闘の末、最後は敗北を喫した。また、過去5年連続で東京ドーム大会のメインイベントで勝利していたが、その記録も途絶えてしまった。1月30日、中邑真輔の退団により空位となったIWGPインターコンチネンタル王座の王座決定戦として、ケニー・オメガと対戦することを発表した。2月14日、THE NEW BEGINNING in NIIGATAにてオメガと対戦。敵チームのセコンド介入に苦しまされるも、パートナーであるマイケル・エルガンの救出を受ける。しかし最後は片翼の天使で敗れた。5月21日、後楽園ホールでの試合後に対戦相手のオメガに襲撃され、肩を負傷。検査の結果、左肩剥離骨折、二頭筋断裂と診断され欠場することとなった。8月 G1 CLIMAX26最終日にオカダ・カズチカに勝利すれば決勝進出となったが引き分けとなり決勝進出を逃した。師である藤波のドラゴン殺法や武藤から影響を受けた技が多いが、これら以外にもクイック技を好んで使う。ナルシシストキャラの確立後は要所で手を広げながらファンに歓声を求めるといった行動や自身も大ファンである仮面ライダーから影響を受けたアピールなどが目立ち始めている。また、新日本の創設者であるアントニオ猪木が提唱したストロングスタイルについては、2009年9月27日神戸大会において、「猪木~! 初代IWGP(ベルト)は俺が取り戻す」と発言した中邑に対して「ストロングスタイルの呪い」と表するなど脱ストロングスタイル・反ストロングスタイルの立場にあり、「オールドスタイルのアメリカンスタイルが好き」と公言している。そのほかにも棚橋はここぞという場面でスクールボーイやスモールパッケージボールドなどの基本的な丸め込みで相手を丸め込むことがあるが、自身の著書で『一時期丸め込みを使いすぎた時期があり、ブーイングの元凶となった』と記しているが対照的に『丸め込みの3カウントを狙い続けたことは今でもいい経験だと思う』とも記しているまた、セリフではないが代表的なものとしてほかにもタレント活動も行っており秘密のケンミンSHOWに岐阜代表として出演したことがある。また、2016年のテレビアニメ『タイガーマスクW』では劇中のキャラクターとして「棚橋弘至」が登場している。(声は鈴村健一)
出典:wikipedia
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