タツィオ・ジョルジョ・ヌヴォラーリ("Tazio Giorgio Nuvolari" 、1892年11月16日 - 1953年8月11日)は、イタリアのレーサー。故郷マントヴァにちなみ、「空飛ぶマントヴァ人」("Il Mantovano Volente" - "Flying Mantovan" )の異名をとった名ドライバーである。獲得した主要タイトルは、1925年度モーターサイクル350ccクラス・ヨーロッパチャンピオン、1932年度ヨーロッパ・ドライバーズチャンピオン。第一次世界大戦から復員した後、1920年にオートバイレースで競技生活を始める。成功を収めた後4輪レースに転向し、アルファロメオ、ランチア、スクーデリア・フェラーリなど、主に自国のレーシングチームで活躍した(一時期はフランスのブガッティやドイツのアウトウニオンにも在籍した)。1930年代に全盛期を迎え、タルガ・フローリオ、ミッレミリアなどの国内メジャーレースや、国際グランプリ、ル・マン24時間レースなどで数々の勝利を挙げ、国民的人気ドライバーとなった。走りは勇猛果敢で、常に全力疾走でサーキットを駆け抜けた。162cmと小柄な身体で重いステアリングを操るため、マシンの4輪を滑らせカウンターステアを当てながら走るドリフト走法を編み出したと言われる。そのドライビングテクニックは神懸りとも悪魔的とも評され、性能の劣るマシンや悪路など困難な条件であるほど冴え渡った。風貌も独特で、験担ぎに黄色のシャツと、詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオから贈られた金色の亀のブローチを身につけてレースに臨んだ。無骨な顔つきは「馬面」もしくは「皮面」と呼ばれた。当時アルファ・ロメオのセミワークスチームとして活動していたスクーデリア・フェラーリの創始者エンツォ・フェラーリは、ヌヴォラーリこそ史上最高のレーシングドライバーであると確信し、後年も度々その名を挙げてドライバーの理想像を語っていた。ヌヴォラーリが記録した勝利の中でも、1935年にニュルブルクリンクで行われたドイツグランプリでの勝利は、モータースポーツ史に残る快挙として語られている。当時のレース界はファシズム国家の国威発揚に利用されており、とりわけドイツは自国の工業技術の優秀さを誇示するため、メルセデス・ベンツとアウトウニオンのワークスチームを強力に支援していた。イタリアもムッソリーニ政権の威信を賭けアルファロメオの正規チームスクーデリア・フェラーリが対抗したが、名車P3を持ってしてもドイツ勢にまったく歯が立たず、連敗を喫していた。レース決勝当日の7月28日、山間のニュルブルクリンクには自国車の快勝劇を見ようと、40万人ものドイツ人観衆が集まった。ヌヴォラーリはイタリアのエースとして孤軍奮闘したが、ピットイン中の燃料補給に手間取り6位に転落した。しかしヌヴォラーリは諦めることなく、1周22.8kmの難コースで鬼神のごとき追走を開始する。1分以上あったトップとの差を最終周には30秒差まで詰め、焦ったトップのメルセデス・ベンツは無理なペースアップを図るも、タイヤの破裂で後退。ついにヌヴォラーリが敵地で大逆転勝利を達成した。大観衆は静まり返ったが、やがて勇敢な勝者を讃える拍手がサーキットに広がった。大会役員は表彰台でかける国歌のレコードを自国のものしか用意しておらず、ヌヴォラーリが持参したレコードでイタリア国歌が流れることになった。この逆転劇は、1957年のF1ドイツグランプリでのファン・マヌエル・ファンジオの勝利とともに、ニュルブルクリンク旧コースの名勝負として語られている。ただし、数多い伝説の中には、ヌヴォラーリの走りに興奮したイタリアのマスコミが誇張して伝えたものもある。1930年ミッレミリアの真相として、夜明け間近でヘッドライトが必要なかったとも言われる。晩年は健康状態が悪化し、正式な引退は表明しなかったものの、1950年4月以降、レースに参加していない状態だった。1952年には、脳梗塞を起こし、一命は取り留めたものの片麻痺状態となった。そして1年後の1953年8月、再び脳梗塞を起こし死去。60歳だった。葬儀には25000人(55000人とも)以上が参加し、その葬列が数キロに及んだとも言われる。またファン・マヌエル・ファンジオ、アルベルト・アスカーリ、ルイージ・ヴィッロレージが護衛車に同乗した。自身は黄色いセーターに茶色の革ベスト、そして青いズボンという、レースの際に着用していたスタイルで埋葬された。ヌヴォラーリの死後、その功績を讃えてミッレミリアの走行ルートが生地マントヴァを通過するよう変更された。クレモナを出発しマントヴァを経て最終地点のブレシアに到着するこの区間で最速タイムを記録したドライバーには、グラン・プレミオ・ヌヴォラーリ("Gran Premio Nuvolari" )が授与された。この賞はミッレミリアが廃止される1957年まで4年間続いた。1991年より、グラン・プレミオ・ヌヴォラーリはヒストリックカーレースとして復活した。マントヴァをスタート/ゴール地点としてヴィアレッジョ、リミニなどの都市を巡るルートで行われている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。