小若江(こわかえ)は、大阪府東大阪市の町名。一 - 四丁目が存在する。郵便番号は577-0818。小若江一 - 四丁目が存在し、近畿大学は地域の東の三丁目にあたる。学生街に多く見受けられる学生向けの低価格の飲食店や24時間営業のスーパーマーケット、コンビニエンスストアなどが多く、生活の利便性は高い。また、平地が多く、坂といえるような高低差はわずかに村の西端にある旧大和川(現在の長瀬川)の堤防跡の緩やかな坂のみであり、自転車などでの移動が容易である。ただし道は狭いため自動車での移動はしづらい。西に外れた、菱屋西一丁目に近鉄長瀬駅があり、最寄り駅となっている。また、地域東には旧大阪中央環状線が通っている。(日本 > 畿内 > 河内国 > 若江郡 > 小若江村)小若江村は、市町村制が施行される、明治22年(1889年)4月1日まで若江郡に存在した。明治22年(1889年)4月1日に近江堂村、友井村と合併し、弥刀村の一部となった。大正14年(1925年)に日本大学によって日本大学大阪専門学校がこの地に設置され、それが現在の近畿大学へと発展した。この日本大学大阪専門学校の誘致に取り組んだのが、小若江村の庄屋の家柄であった武村家当主であった武村亀二郎であった。中河内郡には「怖い小若江、恐ろし近江堂」という言葉が現在も伝わっており、他村から農事に励む両村の農民を指してそのように表現されるほど小若江村の農民は農事に励んだといわれている。現在は近畿大学の学生の町となり、それらの農家の多くが学生向けのワンルームマンションなどのオーナーに転進している。また、大阪電気軌道(現在の近畿日本鉄道)が上記の武村亀二郎の誘致により早くからひかれたことから、この地域は戦前(大正年間)から住宅地として開け、現在でも築年数が70年を越える住宅が多く見られる。そういった経緯から、地域内の状況は雑然としており、再開発の必要性が叫ばれているものの、借地権や借家権などの問題から再開発は遅れている。
出典:wikipedia
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