永川 玲二(ながかわ れいじ、1928年2月11日- 2000年4月22日)は日本の英文学者。ジェイムズ・ジョイスやシェイクスピア、ガルシア・ロルカの翻訳者として知られる。東京大学文学部英文科を卒業後、東京都立大学助教授などを経て、1970年からスペインに定住し、主に海洋文学史を研究。著書に「アンダルシーア風土記」岩波書店、「ことばの政治学」岩波書店、翻訳に、A.シリトー「土曜の夜と日曜の朝」新潮文庫、E.ブロンテ「嵐が丘」集英社文庫、J.ジョイス「ユリシーズ」丸谷才一、高松雄一共訳、集英社など。鳥取県米子市に生まれた。父は永川重幸。1945年2月、広島陸軍幼年学校を脱走。軍学校の脱走者は逮捕されたら銃殺刑に処されることが決まっていたため、日本全国を転々と逃亡して8月の敗戦を迎えた。このときの体験は、のちに丸谷才一の小説『笹まくら』の題材となった。その後、東京大学文学部英文科を卒業し、東京都立大学助教授となったが、逃亡生活の名残が消えず、新宿で飲み明かすと中央線の急行に乗って終点の長野県大町に向かい、黒部山中の「自分の専用の穴ぼこ」の中で一日中寝て英気を養っていたという。ベ平連と反戦米兵援助日本技術委員会(JATEC)による脱走兵援助に関与したこともある。ポルトガルの大詩人カモンイシュの伝記を書くための資料を探しにポルトガルを旅行したのがきっかけで都立大を辞職し、1970年からセビージャに定住。海洋文学史を研究すると共に、多国籍のヒッピーの指導者格となった。セビリア大学の教授を定年で辞してから日本に帰国。虚血性心不全で死去。墓所は郷里鳥取県米子市博労町「法城寺」にある「永川家累代之墓」、関東圏では御殿場市郊外、富士を望む「富士霊園」内、観光名所にもなっている「文学者の墓」に愛用の眼鏡が遺品として納められている。碑には「アンルダシーア風土記 永川玲二 七十二歳 西暦二千年四月二十二日」と記されている。なおNHKエンタープライズ製作の「世界ふれあい街歩き」セビリア編では永川がセビージャで住んでいた家が取り上げられている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。