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ヒシアトラス

ヒシアトラスは日本の競走馬。ダート戦線で活躍し、平安ステークス、マーチステークス、エルムステークスなどを制した。当歳時(2000年)、セレクトセールにおいて2150万円で購買された。デビューは3歳になってからの2003年2月8日、中山ダート1800mの新馬戦であった。1番人気に支持され、2着馬に5馬身差をつけて圧勝した。3歳500万下を2戦目で通過。その後芝のレースにも出走するが結果が出ず、9戦目となった新潟の両津湾特別で3勝目を挙げる。2004年1月10日、準オープンのアレキサンドライトステークスで勝利。重賞初挑戦の根岸ステークスでは9着に敗れたが、次走の仁川ステークスでは好位から直線で抜け出し、5勝目を挙げた。再び重賞に挑戦したマーチステークスでは4着、アンタレスステークスと東海ステークスではともに3着と善戦。次にオープンクラスのレースに3戦連続で出走したが、ここでも連続で2着と惜しい競馬が続いた。そして12月11日の師走ステークスで6勝目を挙げる。2005年1月23日に京都の平安ステークスに出走。道中は好位につけて内々を回り、直線で鋭く抜け出し、2着馬に3馬身半差をつけて快勝。重賞初勝利を挙げた。続いてGI初挑戦のフェブラリーステークスに出走。上がり3ハロン35秒9の末脚で勝利を狙うも、ダート重賞2連勝で勢いに乗ったメイショウボーラーと川崎記念2着のシーキングザダイヤには及ばず3着となった。交流重賞のダイオライト記念で3着となった後、4着、6着、4着、3着と善戦するものの勝てず。ジャパンカップダートでは12番人気で15着と大敗してしまった。しかし次のベテルギウスステークスでは一転して1番人気に支持され、斤量58kgのトップハンデをものともせず、アンドゥオールを降して11ヶ月ぶりに1着となった。2006年1月22日、前年に制覇している平安ステークスに連覇をかけて出走。しかしスタートがあまり良くなく、道中はいつもよりも後ろの8番手から9番手となり、結果5着にとどまった。仁川ステークスではトップハンデで初の59kgとなったのが響いたのか、惜しくも2着。3月26日のマーチステークスでは再びトップハンデの59kgとなったが、出走馬中最速の上がり37秒1でプライドキムを降して勝利。重賞2勝目を挙げた。アンタレスステークスでは前走の勝ちっぷりから1番人気に支持されたが、ダート4連勝の勢いに乗ったフィフティーワナーに逃げ切られ、2着に終わった。東海ステークスでは出遅れてしまい5着となったが、9月18日のエルムステークスではスタートを決め、4コーナーから鋭く伸びて、外から迫ったジンクライシスをしのいで1着となった。10月9日、盛岡のマイルチャンピオンシップ南部杯に出走。道中はいつものように2番手追走。3コーナーを回ってから徐々に進出、4コーナーで先頭に立った。内から伸びるシーキングザダイヤをしのいでそのまま押し切れるかと思いきや、ゴール直前で外から伸びてきたブルーコンコルドに差され、惜しくも2着となった。ジャパンカップダートを目指して調教されていたところ、血管肉腫という病気を発症していることが判明。美浦の競走馬診療所で治療が続けられていたが、この病気は有効な治療法が確立されていない難病であったことから、馬体は回復せずに徐々に衰弱し、2006年12月6日に安楽死の措置がとられた。半妹に阪神ジュベナイルフィリーズ3着のルミナスハーバー。

出典:wikipedia

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