獅山 向洋(ししやま こうよう、1940年(昭和15年)11月2日 - )は、日本の政治家、弁護士、検察官。滋賀県彦根市長(通算3期)、彦根市議会議員、聖泉大学・聖泉短期大学理事長を務めた。現在、彦根市議会議員を務めている。1964年3月、京都大学法学部卒業。司法試験に合格し、神戸地方検察庁検事を経て、1969年に弁護士登録した。日本弁護士連合会理事を務める。1979年、彦根市議会議員選挙に出馬し、初当選する。1985年、彦根市長選挙に出馬したが、現職の井伊直愛に敗れ、落選する。1989年の市長選に再出馬し、10期目を目指していた井伊を下して当選した。1993年の市長選では落選した。1997年の市長選にも出馬したが、再度落選した。2003年、彦根市議会議員選挙に出馬し、当選する。2005年に市議を任期途中で辞職して市長選に出馬し、12年ぶりに市長に復帰する。2009年の市長選では、次点の大久保貴にわずか39票差まで詰め寄られるも逃げ切る辛勝で再選する。2013年の市長選で、候補者調整を巡り自由民主党が分裂、またその自民系対立候補の出自を問題視することで自身が批判を浴びたこともあり、大久保に敗れ落選した(後述)。その後2015年の彦根市議会議員選挙に再び出馬し当選。10年ぶりに市議会議員に復帰した。『週刊新潮』2006年11月9日号に掲載された、獅山が「公務員の飲酒運転事故の報告義務は不利益な供述の強要禁止(自己負罪拒否特権)に違反する」との発言に対して「バカ市長」などと批判した記事について、名誉棄損として新潮社に対し名誉棄損2,200万円の慰謝料と謝罪文の掲載を求めて裁判を起こした。獅山は「私は京都大学法学部出身である。ゆえにバカではない。」と主張、一審は2007年7月19日に大津地裁にて、「表現に対して行きすぎた面はあるものの逸脱した内容ではない」として、獅山の請求を棄却した。二審は2007年12月27日に大阪高裁で下され、「前後の文脈を考えれば、表現は全人格を否定し、いわゆるバカ扱いした記載になっている」と指摘し、名誉棄損にあたると判断して新潮社側に22万円の賠償を命じ、最高裁では双方の上告を支持せず、市長勝訴が確定した。2007年11月、彦根城築城400年祭のイメージキャラクターとして公募し採用されたキャラクター「ひこにゃん」について、彦根市に申請し許可が出れば企業が商品を販売しても良いとして、作者のもへろんが意図しない性格付けや容姿の変更など管理の杜撰さが露見され、それに対して400年祭終了後にひこにゃん利用中止を求める著作者人格権(同一性保持権)の民事調停を申し立てた。これに対して、彦根市側は「著作権は400年祭実行委員会に帰属する契約となっているため、法的根拠がない」という見解を示し、獅山自ら答弁書を提出した。上述の2013年の選挙において獅山は、自民系対立候補の有村国知が桜田門外の変における大老・井伊直弼(彦根藩主)の暗殺に関与した薩摩藩浪士・有村次左衛門の弟の子孫であることを指摘し、そのような人物が彦根市長選挙に出馬することは容認出来ないと主張するビラを支持団体に配布させた上、争点として訴え続けた。これに対し、有村・大久保の両候補のみならず市民の間からも批判が上がった。騒動について獅山陣営の関係者からも「事前に知っていたら止めていた」「(騒動で)1000票減らした」と批判が上がる一方、「変な争点のおかげで(自民が民主に負けたという)政党選挙の色が薄まって良かった」と皮肉まじりの感想もあった。獅山は市長在任中に、自ら再選を阻止した前任の市長で直弼の曾孫の井伊直愛に名誉市民の称号を贈ったり、彦根市として直弼の功績をたたえる奉告祭を毎年開催し、2008年には「井伊直弼と開国150年祭」を開催するなどしており、井伊直弼に関連付けた彦根市政を行っていた。
出典:wikipedia
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