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黒姫山古墳

黒姫山古墳(くろひめやまこふん)は、大阪府堺市美原区黒山にある5世紀中頃築造と考えられる前方後円墳。国の史跡に指定されている。百舌鳥古墳群と古市古墳群の中間に位置する前方後円墳で、前方部は西側を向いている。大きさは、全長114メートル、後円部は直径64メートル・高さ11メートル、前方部は幅65メートル、高さ11.5メートルである。北側くびれ部に造り出しがあり、墳丘の周囲には幅約15メートル前後、深さ約2メートルの濠がめぐっている。平坦部の古墳としては珍しい幅約5メートルの周庭(しゅうてい)が濠の外側を取り巻くように存在する。古墳時代の中期(5世紀中頃)に周辺を勢力圏としていた豪族の丹比(たじひ)氏によって築造されたと考えられている。発掘調査により、中世には砦として利用されていたことが判明している。1957年10月24日に国の史跡に指定されている(1978年5月6日に周庭帯部分が追加指定された)。1989年度から1992年度にかけて史跡黒姫山古墳歴史の広場として整備され、古墳の東側には前方部の竪穴式石室と墳丘上段部の埴輪列の一部が実物大で復元展示され、前方部の一部には円筒埴輪列が復元されている。なお、出土した甲冑は、保存処理のうえ、堺市立みはら歴史博物館(M・Cみはら)に展示されている。1946年に前方部中央から竪穴式石室が検出されたことから、末永雅雄、森浩一らにより、戦争直後の物資の乏しい中であったが、1947年12月から翌年1月にかけて第1次調査が、1948年12月から翌年1月にかけて第2次調査が実施された。発掘の結果は『河内黒姫山古墳の研究』として大阪府教育委員会から出版された。古墳の上段には円筒埴輪が359本並べられていた。円筒は高さ約80センチ、直径は上縁で約40センチ、下は少しすぼんでいる。また、円筒埴輪と段の縁との間に3,6メートル間隔に一つの割合で25個の以上の蓋(きぬがさ)形埴輪が置かれていた。前方部中央の竪穴式石室から24領の甲冑が正立で2領ずつ並列した状態で出土した。この24領という甲冑の数は、一つの古墳の単一埋納施設の出土数としては、2010年現在で日本最多である。この石室(内法長さ4メートル、幅約0.8メートル、高さ約1メートル余り)は副葬品を納めるために、砂岩の天井石8枚で覆われ、底には川原石が敷き詰められていた。また、付属具として頸甲(あかべよろい)11、肩甲(かたよろい)12、草摺(くさずり)4、鉄刀14、鉄剣10、鉄鉾9、石突6、鉄鏃56、刀子5が出土した。なお、古墳の被葬者が埋葬されたとみられる後円部墳頂は既に盗掘されており、埋葬施設は確認されなかった。造り出しや前方部の斜面などの発掘で、戦国時代には城砦に利用され、防御力を大きくするためにさらに盛り土して斜面を急にし段を高くしていることなどが分かった。

出典:wikipedia

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