3代目桂 圓枝(かつら えんし、1931年12月21日 - 2011年2月16日)は、日本の落語家。落語芸術協会に所属していた。出囃子は『デカンショ節』。本名は香川 伸雄(かがわ のぶお)。香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校卒業。政治家と親交があり、大平正芳とは同郷であった。もともと学校時代から演劇が好きで、当時なかった演劇部の設置に大運動を行い、もっぱら三枚目の役柄を演じた。1950年(昭和25年)観音寺第一高校卒業後、高松地方検察庁観音寺支部に1年余り勤務していたが、たまたま堺市で商売を営む実兄を訪ねて、初めて落語に連れて行ってもらった。その時の出し物が三遊亭圓生の“子かすがい”で、その芸術性に惹かれて一家親族に反対されるが、1952年(昭和27年)5月、3代目桂三木助に入門。桂三多蔵(かつら みたぞう)で初高座。落語の世界だけでなく芸能界というところは、修業の厳しさを覚悟して入ったが、そんなに苦しかったこともなかった。それでも内弟子の時は雑巾がけ、前座の時は太鼓を叩くのが役目で、間違うとバチで頭を叩かれた。1954年(昭和29年)9月、2代目桂枝太郎一門に移り枝三松(しさまつ)に改名。1955年(昭和30年)4月、二ツ目に昇進、桂好太郎と改名。覚えた演題は七十を数え、なかでも色物が得意であった。目つき、仕草など女の情感を出すのが旨く“おかまの好太郎”の異名がある。二つ目時代春風亭柏枝(後の7代目春風亭柳橋)、三遊亭金遊(後の4代目三遊亭小圓遊)と共に池袋三羽烏と言われた。1969年(昭和44年)4月17日、四国出身者で初めて真打に昇進、3代目圓枝を襲名。主に新作落語を演じた。2011年(平成23年)2月16日、腹膜炎のため東京都文京区の病院で死去。79歳没。
出典:wikipedia
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