浦野 真彦(うらの まさひこ、1964年3月14日-)は、将棋棋士。棋士番号は162。大阪府出身。中井捨吉八段門下。初参加から3期目の順位戦第45期(1986年度)C級2組において10戦全勝し、C級1組へ昇級。第47期(1988年度)順位戦C級1組では8勝2敗の成績を収め、B級2組へ昇級。1989年度、婚約発表直後に、第1回「IBM杯順位戦昇級者激突戦」(非公式戦)で優勝(決勝の相手は森下卓)。1995年度のB級2組順位戦で9勝1敗の成績を収め、B級1組に初昇級した。しかし、明くる1996年度のB級1組順位戦では、有吉道夫、青野照市、小林健二、内藤國雄、田丸昇とともに6名で5勝7敗の成績に並んで終え、B級1組初参加のためリーグ表で下位の浦野は1期でB級2組へ降級してしまうという不運を味わった。その一方で、第9期(1996年度)竜王戦では3組で準優勝し、初の本戦出場を果たすとともに自己最高の2組へ昇級した。第29期(2003年度)棋王戦で、屋敷伸之、井上慶太らを破ってベスト4進出。準決勝で谷川浩司に敗れ、敗者復活戦では深浦康市に敗れて挑戦者決定戦進出はならなかった。次年度(第30期)はベスト16にシードされ、中川大輔から1勝を挙げてベスト8進出。しかし、準々決勝で森内俊之三冠王(竜王・名人・王将 = 当時)に敗れ、2年連続のシード権獲得を逸した。2013年度には、第26期竜王戦5組の残留決定戦で中村亮介に敗れ6組に降級。2014年度は体調をくずし入院したため、数か月にわたり不戦敗が続いた。2015年度のC級1組順位戦では2勝8敗に終わり、降級点2となりC級2組への降級が決まった。特定の得意戦法は持たない。攻め将棋。詰将棋の創作も手がけ、詰将棋の賞としては最高峰の看寿賞を1983年度に短編部門で受賞し、1994年度には同賞の特別賞を受賞している。プロ棋士で看寿賞を2度受賞したのは浦野が初である。煙詰の愛好家でもあり、詰将棋パラダイス誌で行われたコンクールで優勝したこともある。優勝作品である「春時雨」は看寿賞の特別賞(前述)を受賞したが、後に二通りの余詰を指摘されている。握り詰(無作為に選んだ駒だけを過不足なく使って作る詰将棋)の達人として知られている。NHK BS2で毎年1回放送される「大逆転将棋」では、指定された駒を使って3題の詰将棋をつくることを課せられたが、それに成功したのはもちろん、その3題すべてを1か一の字の形で詰むようにまとめた。さらに、3題の詰め手数の合計が111手になることも狙っていたが、これは目論見がはずれて107手だった。2004年2月に発売された5手詰ハンドブックは八重洲ブックセンター本店の趣味・娯楽・スポーツ部門において週間1位を記録。その後のシリーズ化された詰将棋ハンドブックシリーズはamazonの将棋部門において上位を占めており、ロングセラーとなっている。創作以外では、2006年まで将棋世界誌の詰将棋欄の担当を務めていた。2013年現在看寿賞の選考委員も務めている。また、2008年から詰将棋解答選手権の実行委員を務めている。関西奨励会所属の都成竜馬が四段への昇段を決めた時には即席でその名前に掛けた詰将棋を作り、祝福した。昇段規定は、"将棋の段級" を参照(ただし四段昇段は旧規定)。竜王戦と順位戦のクラスは、"将棋棋士の在籍クラス" を参照。
出典:wikipedia
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