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レニングラード・カウボーイズ

レニングラード・カウボーイズ (The Leningrad Cowboys) は、フィンランド・ヘルシンキ出身のロックバンドである。独特の出で立ちや音楽性でカルト的な人気を持つ。メンバーは、極端なリーゼントの髪型(約25cm)、同じく極端に先の尖ったブーツを履き、旧ソ連の軍服を模した衣装にサングラス姿というスタイルがトレードマーク。バンド名からも分かる通り、ウォッカ・カチューシャ・コサックなどのロシアの風物を好んで曲のモチーフにしている。このためロシア出身のバンドという誤解を受けることもある。バンドの音楽性はポルカなどロシアの民族音楽や、プログレッシブ・ロックにも影響を受けているが、ギター・ベース・ドラムなど一般的なロックバンドの構成に加え、数名のブラスセクションを置いているため、賑やかでユーモラスな曲調である。また、この編成のため10人前後のメンバーを抱える大所帯バンドとなっている。オリジナル曲の他、欧米のバンド(ビートルズ、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリンなど)のヒット曲・スタンダード曲をカバーすることも多い。このバンドが広く知られるようになったのは、1989年のフィンランド映画『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』(アキ・カウリスマキ監督)によってである。ただし、「レニングラード・カウボーイズ」というバンドは、当初はカウリスマキ監督の創作に過ぎなかった。それまで「スリーピー・スリーパーズ」(Sleepy Sleepers) という名前で活動していたバンドが「レニングラード・カウボーイズ」という“架空”のバンド役で映画に出演することになったが、結果的に「レニングラード・カウボーイズ」は映画のおかげで話題となり、バンドは映画の枠を超えて活動を続けることになった。1993年、旧ソ連の「ロシア軍歌と踊りのアンサンブル」(, いわゆる「アレクサンドロフ・アンサンブル」「赤軍合唱団」)総勢170名とのジョイントコンサート「トータル・バラライカ・ショー」をヘルシンキで開催し、7万人の観客を集めた。この時の模様は、カウリスマキ監督により同名のドキュメンタリー映画にもなっている。さらに翌1994年、アレクサンドロフ・アンサンブルのメンバー70名を引き連れ、ニューヨークでMTVビデオ・ミュージック・アワードに出演。同年にはベルリンでもアレクサンドロフ・アンサンブルとのジョイントコンサートを行い、6万人を動員した。1994年には「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」の続編となる映画『レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う』に出演。その後2003年には、「グローバル・バラライカ・ショー」と題したコンサートを開き、アレクサンドロフ・アンサンブルの他にアメリカ・キューバ・セネガルなど海外からのアーティスト120名とともにステージに立った。2009年現在も精力的に演奏活動を展開している。バンドが主演する劇映画2作を撮ったアキ・カウリスマキ監督との縁は深く、「These Boots」「Thru the Wire」などの曲で、プロモビデオをカウリスマキが演出している。また、俳優業にも進出した元メンバーのサカリ・クオスマネンは、その後数々のカウリスマキ作品に出演した。先述の通り大編成のバンドであり、現在は11名のメンバーと2名の「レニングラード・レディース」(コーラス担当)が在籍する。メンバーの脱退などで数度の入れ替わりがあり、活動開始当時からのメンバーは数人しか残っていない。日本にも TV 出演などで数度訪れており、缶チューハイの CM に出演して日本語で歌ったこともある。日本テレビ系バラエティ番組「進め!電波少年」の企画にて、松村邦洋がメンバーのリーゼントヘアを鋏で切り取る企画を断行。失敗に終わる。バンド名の由来ともなったロシアの都市・レニングラードがサンクトペテルブルクと改称された際、その名も「Leningrad」という曲で「俺たちのレニングラードを返せ!」と歌った。「ジンギスカン」をカバーした際には、もともとドイツのジンギスカンの楽曲にもかかわらず、なぜか日本語で歌っている。注記のないものはすべてアキ・カウリスマキ監督。

出典:wikipedia

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