代田(だいた)は、東京都世田谷区の町名。現行行政地名は代田一丁目から代田六丁目。2007年11月1日現在の人口は21,616人(住民基本台帳による。世田谷区調べ)。郵便番号155-0033。世田谷区の北部に位置し、同区北沢地域に属する。北で大原、東で北沢・代沢、南で若林、西で松原 ・羽根木・梅丘と接する。北沢川が地区南部を西から東に流れるが暗渠化されている。地形は北沢川に向かって下る傾向があるが、北端の六丁目には南北に長い窪地があり、東西それぞれに上がる傾向も見られる。若林、世田谷との結びつきの強い一丁目、代田八幡宮、世田谷代田駅がある二丁目、三丁目、羽根木公園があり、梅丘、松原との結びつきの強い四丁目、北沢との結びつきの強い五丁目、六丁目と様々な側面をもち、区域内の一体としての印象は希薄さが見られる。環状7号線、梅丘通りに沿った路線商業地、下北沢駅に近い近隣商業地などの商業地の他に共同住宅地、戸建住宅地等が混在している。住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、代田2-23-16の地点で65万1000円/mとなっている。戦国時代末期に後北条氏の滅亡の際に、北条方の吉良氏の家臣であった者が、現在の一〜三丁目付近に土着し開墾したのが始まりともいわれ、その後も開墾を進め、範囲を広げていった。元々、荏原郡に属し、現在の代沢の一部、大原をも含む範囲を指す概念であり、下北沢村の元々の中心部(現在の代沢三丁目、五丁目付近)を東西から挟み込むような形であった。その後、甲州街道に接する大原が独自の発展をし、世田谷区への編入などを経て、住居表示の実施、飛地の整理で、羽根木の飛地(現在の羽根木公園付近)の編入、逆に飛地であった下代田等が代沢に編入されて現在の形となった。旧版地図等によると、小田急線、井の頭線、現在の環状7号線の開通を契機に世田谷代田駅、新代田駅周辺を中心に宅地化が進んでいった。宅地化の進む頃、世田谷代田-新代田に車両搬出入用の線路(代田連絡線)が一時敷設されたことがあるが、その痕跡が特段残っていないことからも宅地化の急速さが窺える。精神科医で詩人の斎藤茂吉は1947年(昭和22年)、代田に転入、3年後に新宿区大京町に移るまでをこの地で暮らした。地名は、巨人伝説に由来するという説がある。昔このあたりには大きな窪地があったが、それが想像上の巨人「ダイダラボッチ」の歩いた足跡だ、というものである。柳田國男は著書『ダイダラ坊の足跡』(1927年(昭和2年))の中で、「代田村」の名の由来について次のように考察している。鉄道の駅は、小田急小田原線世田谷代田駅、京王井の頭線新代田駅が設置され、道路は環七通りが南北に通り、梅丘通りが東西に通る。
出典:wikipedia
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