チヤンピオンスター(読みは「チャンピオンスター」。1984年6月27日 - 不明)とは、大井競馬場に所属していた競走馬である。史上初めて帝王賞を2勝した馬である。1986年12月9日(当時数え3歳)、新馬戦に単勝2番人気でデビューし1着。あくる1987年(同4歳)も順調に勝ちあがっていくものの、東京ダービーでは4着、東京王冠賞で2着、東京大賞典4着と大レースでは勝ち切れない競馬が続いた。1988年(同5歳)になるとウィンターカップ、金盃、帝王賞、大井記念と4連勝し本格化の気配を見せる。9月にはGIIIオールカマー(新潟競馬場)で中央競馬に初参戦するも14着と振るわなかった。このあと競走馬としては致命傷となる屈腱炎を患い、1989年から2年間の長期休養に入る。1991年(同8歳)2月の金盃で復帰し2着と好走。続いて4月の帝王賞で復活優勝を果たした。7月の報知オールスターカップ(川崎競馬場)にも優勝。9月のオールカマー(中山競馬場)でふたたび中央競馬に参戦もレース中に屈腱炎が再発、結果12着と大敗し、これが現役最後のレースとなった。引退後は種牡馬入りした。当時で1株300万円、50株計1億5000万円という、地方競馬所属馬としてはめったに見られない規模の種牡馬シンジケートが組まれたが、ここで悲運が襲いかかる。試験種付け時の検査では異常がなかったものの、シーズン後に不受胎が続き、調査したところ精虫に異常が見つかり、事実上生殖能力がないとの診断が下ったのである。このため、わずか2か月で種牡馬登録を抹消、シンジケートも解散という事態になった。この事態ゆえチヤンピオンスターの産駒は絶望視されたが、ただ一頭だけ、同じ馬主が所有していた牝馬チヤンピオンハートがチヤンピオンスターの仔を受胎していた。そして翌年、チヤンピオンスターと同じ栗毛の牝馬が産まれる。これがチヤンピオンスターの一粒種の産駒となった。この牝馬は「アレチャンピオン」と名付けられ、父と同じく大井競馬場の厩舎に入り父と同じく高橋三郎を鞍上に特別戦で勝利、南関東公営競馬の牝馬クラシックでも善戦した。アレチャンピオンはチヤンピオンスターの血脈を残すために5歳早々に引退、繁殖入りしている。しかし現在ではアレチャンピオンの産んだ牝馬3頭が廃用となっており、血脈は絶えている。チヤンピオンスターは用途変更後、栃木県内で余生を送ったがすでに死亡している。
出典:wikipedia
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