マイクロンメモリジャパン (MMJ) は、半導体メモリのDRAMの研究開発・設計・製造・販売を事業とする半導体メーカーで、日本における唯一のDRAM専業メーカーでもある。なお、同社は、マイクロンジャパン (MJP) と共にマイクロン·テクノロジ (MTI) の傘下であり、同一人物(木下嘉隆)が両社の代表取締役を務めているが、それぞれ別の法人である。マイクロンメモリジャパンの発祥は1999年12月20日の日本電気 (NEC) と日立製作所のDRAM事業部門の統合による設立されたNEC日立メモリである。設立当初は、母体となったその両社から経営者が交互に送り込まれるという役員人事もあって、業績も低迷した。2002年に、シャーマン反トラスト法関連の法整備が完了したアメリカ司法省はDRAMメーカーの活動の精査を開始した。1999年4月から2002年6月にかけて主要DRAMメーカーが国際的な価格ハードコア·カルテルを結んで不正に市場価格を操作することによって顧客である同国のコンピューターメーカーに損害を与えたとされる行為に対してこの訴訟が起こされた。サムスン電子・SKハイニクス・インフィニオン·テクノロジーズ・マイクロン·テクノロジ・NEC日立メモリの5社が対象であった。ただし、マイクロン·テクノロジは、司法取引に応じ、反トラスト法違反への調査に協力する代わりに訴訟の対象からは免れた。このため、捜査の対象となったのはサムスン電子・SKハイニクス・インフィニオン·テクノロジーズ・NEC日立メモリの4社及び関与したとされる17人である。4社は合計7億3100万ドルの罰金を支払うことでそれぞれ米国司法省と和解した。当時としては、この罰金額は特定産業を巡る米国司法省の反トラスト刑事捜査において科された罰金額として2番目に巨額な金額であった。2006年1月31日に、エルピーダメモリ(NEC日立メモリ)はアメリカ司法省から訴えられていたシャーマン反トラスト法違反について、和解金額8400万ドルで和解が成立したことを発表した。この和解金額は、同社の母体の日本電気と日立製作所の販売分を含めたものであり、エルピーダメモリ単独での負担は950万ドルである。三菱電機も同じく捜査対象であったが、同社からエルピーダメモリへのDRAM事業の譲渡は2003年3月であり、同社への影響は無かった。また、エルピーダメモリの当時の副社長であるジェームズ・ソガスが本件への関与を認め、25万ドルの罰金と7ヶ月の禁固刑を科せられた。この金額は2005年3月期にアメリカ司法省・欧州委員会・カナダ司法省による反トラスト法捜査関連の損失を想定し計上された引当金19億円の範囲内であった。エルピーダメモリの2005年3月期の業績は、この引当金計上のため減額修正せざるを得なくなり、赤字に転落した。アメリカ司法省による刑事訴訟とは別に、DRAMチップを購入していた同国のコンピューターメーカーであるデル・コンパック·コンピュータ・ヒューレット·パッカード・アップル・インターナショナル·ビジネス·マシンズ(IBM)・ゲートウェイの5社から反トラスト法違反による損害賠償請求の民事集団訴訟が起こった。訴訟の対象となっていた8社のうち、サムスン電子・SKハイニクス・キマンダの3社は2006年5月に合計1億6000万ドルを支払うことで和解しており、エルピーダメモリも2009年2月に和解が成立した。価格カルテルの背景には2000年から2001年に掛けてのパソコンの売上不振に伴う大幅なDRAM価格下落があった。特に2000年10月から2001年3月の間で、価格が75 %も下落して販売価格が製造原価を下回る事態になった。アメリカ連邦取引委員会が公表したマイクロン·テクノロジのキャシー·ラドフォードの2001年11月26日の電子メールには、同社がDDR SDRAMの価格を引き上げれば全サプライヤーが同調するとの旨が記されている。その後、2002年に入った頃から、低迷していた価格が底を打って上昇に転じていった。同社の商号がエルピーダメモリに改称された後の坂本幸雄を代表取締役とする経営陣の元では業績は上昇基調にあった。NEC日立メモリの設立当時には、同社の母体である日本電気と日立製作所のDRAM市場でのシェアはそれぞれ約11%と約6%であった。その後も業績低迷がしばらく続き、同社のシェアは2002年には4%台まで落ち込んだ。しかし、坂本幸雄が代表取締役に就任した後は、同社のDRAM市場シェアは持ち直して、東京証券取引所の市場第一部に株式公開した2004年には6%まで上昇し、2006年には10.2%と合併以前の日本電気の水準まで持ち直した。2008年時点のガートナーの調査に拠れば、サムスン電子・SKハイニクスに次ぐ14.2%のシェアを占めた。日本の比較優位産業が揃って世界金融危機発生後の収益性悪化に喘いでいた2009年第3四半期には、サムスン電子(35.6%)・SKハイニクス(21.6%) に次ぐ16.8%のシェアであったが、第4四半期にはサムスン電子(31.7%)・SKハイニクス(21.6%) に次ぐ19.4%とシェアを上げていた。2007年のパリバ·ショックや2008年のリーマン·ショックとそれに続く2010年の欧州ソブリン危機のようなサブプライム住宅ローン危機に伴う世界金融危機が立て続けに起こる中で、日本のみが金融緩和政策を執らなかったことで、諸外国との予想実質金利差が拡大し、交易条件の動きと大幅に乖離した超円高が何年も持続した。これによって、実質生産性成長が著しく日本の比較優位産業である電機産業の中でも筆頭格の半導体事業を手掛けるエルピーダメモリは勿論のことながら、他の比較優位産業も含めて、その収益性が大幅に悪化し続けた。何故ならば、比較優位産業(輸出企業)の他国との相対的な収益性の変化は「交易条件指数/実質実効為替レート指数」に因るからである。経済学者で第2次安倍内閣及び第2次安倍改造内閣の内閣官房参与を務める浜田宏一が「日本銀行がエルピーダを潰したと言っていい」と発言した理論的背景はここに在る。なお、コモディティ製品では非常に高い実質生産性成長率が実現されていて、これは外国でも日本国内でも同様である。日本では、DRAMやフラッシュメモリを含む電機・電子産業を筆頭に特に顕著である。日本国内では、電機メーカーが経営悪化に陥るたびにその収益性の悪化原因をコモディティ化に求める風潮が頻繁に見られるが、事実は明らかに異なる。また、技術的な観点においてはコモディティであることは誰でも簡単に作れるということを決して意味しない。2009年2月4日にエルピーダメモリが日本政府が新たに作成中の改正産業活力再生法の適用申請を検討中であると報じられた。同年6月30日に経済産業省より産業活力再生法の適用が発表され、同社は一般企業に公的資金を注入する(日本政策投資銀行への第三者割当)第1号案件となった。なお、その後、事業再構築計画は幾度か変更されている。2012年2月14日に、エルピーダメモリは2012年3月期第3四半期報告書に「継続企業の前提に関する重要な不確実性が認められる」との注記を加えた。既述の通り、同社は2009年6月30日に経済産業省から産業活力再生法に基づいた事業再構築計画の認定を受けたが、これが2012年3月31日に終了することとなっていた。また、その際に日本政策投資銀行に発行した優先株式の金銭を対価とする取得請求権が2012年4月2日以降に行使可能であった。この計画に基づく主要取引銀行を中心とする金融機関からの借り入れも2012年4月2日で返済期限を迎える。その後の1年間に有利子負債の返済も予定されていた。つまり、産業活力再生法に基づく事業再構築計画の実施終了に伴い、日本政策投資銀行をはじめとする取引銀行からの借り入れについて返済期限が到来するが、未だ返済の目処が立っていないことに加えて返済猶予などの協議も進んでいないことから、継続企業の前提に重要な疑義が生じるような状況に陥っている、としてこの注記に至ったと見られる。エルピーダメモリは会社更生法適用申請の4日前である2012年2月23日に、2012年3月28日に臨時株主総会を開いて次の2点を決議に付す、との旨を発表していた。このうちの後者について、エルピーダメモリが会社更生申し立ての直前まで会社が従来通りの形で存続するかのような発表をしたとして、同社の元株主ら7人が2013年7月13日に坂本幸雄元代表取締役などの元経営陣8名を相手取り、2012年2月23日の株価終値である349円/株を基準額としたうえで保有株式数に応じた額をそれぞれの損害額として、合計約1億1500万円の損害賠償請求を起こした。なお、臨時株主総会の開催通知を出す9日前の2012年2月14日に、エルピーダメモリは会社存続に関する重大な疑義があることを発表していた。これに付随して、この2012年2月23日には次の2点の理由でエルピーダメモリの株式に思惑買いが集まり株価が急伸した、という経緯も有る。エルピーダメモリは、2007年以降の世界金融危機等の経済悪化に関係した過度な流動性選好による超円高にDRAM価格の暴落も重なり、数四半期続く巨額赤字から脱しきれず、それから約半月後の2012年2月27日に東京地方裁判所に会社更生法適用の申請して更生会社となった。これは近年運用が始まったDIP型会社更生手続きの申請であった。なお、当時の経営陣に重大な経営責任はないとの東京地方裁判所の判断の下で、DIP型会社更生手続申請が承認されている。これと平行して、米国デラウェア州破産裁判所に米国連邦倒産法15条に基づく更生計画の認可を申請した。また、同日に子会社の秋田エルピーダメモリも会社更生法適用の申請を行った。このために、自己株式を除く発行済株式の全ての無償取得及び発行済株式の全ての消却・資本金の額及び資本準備金の額の減少(所謂100%減資)・管財人を引受人として募集株式の発行が行われた。なお、超円高の解消と共に、マイクロン·テクノロジに買収される直前の(会社更生法適用申請から1年後余りが経過した)2013年3月時点でエルピーダメモリは単月ベースで黒字転換した。その後、同社は単独決算で1000億円以上の営業利益を挙げているとされる。同社の負債額は4480億3300万円で、同社が会社更生法適用の申請を行った2011年2月まででは製造業で負債額が最大の倒産の案件となる。なお、本件に伴って、2012年3月28日に東京証券取引所株式と台湾証券取引所で2011年2月に上場していた台湾預託証券(TDR)の上場が廃止された。2013年2月28日に、エルピーダメモリは債権者の書面投票による更生計画案の決議の結果として更生担保権の組と更生債権の組でそれぞれ99.54%と67.90%の同意を得て、東京地方裁判所から更生計画案の認可を受けている(官報公告2013年3月15日・即時抗告期間2013年3月15日~29日)。即時抗告期間中には一部の債権者から即時抗告がなされたが、東京高等裁判所は2013年5月13日に債権者による抗告には理由が無いものとして抗告を何れも棄却する決定を下している。さらに、2013年6月10日に東京地方裁判所による更生計画認可決定に対する債権者(2名)からの不服申立てが東京高等裁判所に却下され、更生計画認可決定が確定した。担保権付債権のうち、更生担保権として認められた部分の弁済率は100%で、一般更生債権の弁済率としては17.4%(+追加弁済)である。アメリカにおける更生計画の認可申請では投資ファンドなどの一部の債権者が、マイクロン·テクノロジ側に有利な取引である、などとして更生計画に反対していたが、2013年1月17日にデラウェア州破産裁判所は、マイクロン·テクノロジがエルピーダメモリを買収する計画に問題はない、との判断を下した。その後、債権者の異議申し立て期限である2013年6月7日16時までに申し立ては無く、2013年6月26日に東京地方裁判所による更生計画認可決定について米国デラウェア州破産裁判所の承認を得た。マイクロン·テクノロジはエルピーダメモリおよび秋田エルピーダメモリの取得および支援を目的に両社とスポンサー契約を締結し、2012年7月にマイクロン·テクノロジは契約時に現金600億円を支払いを行い、エルピーダメモリの全株式を取得すると発表した。この合意については2012年12月に公正取引委員会の独占禁止法に関する審査が終了している。また、2019年までを目処にファウンドリとしての生産契約により1400億円程度を支払うとしている。2013年7月31日にマイクロン・テクノロジとエルピーダメモリはスポンサー契約手続が完了したと発表した。これにより、マイクロン·テクノロジはエルピーダメモリ及び秋田エルピーダメモリの全株式を取得して完全子会社化した。さらに、力晶半導体(Powerchip)から 瑞晶電子(Rexchip)の株式を全株式の24%分を取得し、エルピーダメモリの保有分の約65%と合わせて出資比率を約89%として瑞晶電子を傘下に収めた。これらの手続の完了に伴い、坂本幸雄が代表取締役兼管財人の職を辞任し、木下嘉隆がその後任に就いた。エルピーダメモリは、このスポンサー契約で得た資金を第1回の弁済に充てて債務の3.5%を弁済し、その後は、マイクロン·テクノロジからの製造委託費として2019年までの7年間に計1400億円を受け取って残る13.9%を6回に分けて弁済する。実際の弁済としては第1回目の減増資として2013年5月27日の株式全ての無償取得・消却が行われ、同社はマイクロンメモリジャパンとして、マイクロン·テクノロジの完全子会社となっている。製品ブランドもマイクロン()に統一された。その後も、計画通りに弁済が行われている。マイクロン·テクノロジは2014年第1四半期を目処にエルピーダメモリとの事業統合を完了させ、その商号を統合完了まで維持すると発表していた。そして、2014年2月28日にその商号をマイクロンメモリジャパンに改称している。本件に関して、坂本幸雄は次のような旨を述べている。
出典:wikipedia
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