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鶴見神社 (大阪市)

鶴見神社(つるみじんじゃ)は、大阪府大阪市鶴見区に鎮座する神社で旧社格は村社。滋賀県大津市坂本に鎮座する日吉大社を本社としている。ご祭神は日吉大社の牛尾宮(八王子山に祭祀されている)大山咋神荒魂を主祭神し、相殿に八方の各方位を司るとされた八王子を祀っている。社殿は明治23年(1890)桧皮葦流造に改造し、昭和44年(1969)に本殿、幣殿、拝殿を春日造の鉄筋コンクリート造に改築、平成23年(2011)10月、境内地、社殿、末社の大改修を行った。大山咋神荒魂(おおやまぐひのかみあらみたま)延暦7年(788年)、最澄は現在の根本中堂の位置に一乗止観院という草庵を建てたのが延暦寺の始まりであるが、最澄の没後、天台宗は円仁派と円珍派に分かれて激しく対立するようになった。正暦4年(993年)、円珍派の僧約千名は山を下りて園城寺(三井寺)に立てて、円仁派の延暦寺と対立し抗争を繰り返した。その影響は、比叡山の麓に鎮座する日吉大社にも及ぼした。平安時代末期、その抗争に嫌気をさした近江国下阪本村比叡辻の農民十七人が本村に開拓し移り住み、郷里の名前を取って辻村(後の下辻村)と呼んだ。「鶴見神社(八王子神社)縁起」や「小林家旧記」よると、そのときに郷里の日吉大社の東本宮(大山咋神・おおやまぐひのかみ)の元宮である牛尾山(八王子山)の八王子社を分霊を勧請したことにより鶴見神社の歴史が始まる。古来より八王子社と称したのであるが、鶴見神社と呼ばれるのは、建久元年(1190)、源頼朝が上洛の際、静岡県磐田市の鶴ケ池で千羽の鶴を捕らえ、すべての鶴の首に鎌倉幕府の証である金の短冊をつけ、いっせいに天に向かって放った。「放生会」と言う儀式である。平氏によって討たれた父や兄弟たちの弔いである。父義朝の果たせなかった武士による全国制覇という偉業の成し遂げた報告もあったのであろう。一斉に放された鶴は大空高く飛び、舞い降りたったところが辻村であった。これらの諸伝承は、当地が、源氏や北条氏にゆかりがあったことを物語っている。首につけた金の短冊をつけた鶴たちの舞い降りた様は見事で、たちまち噂は近郷近在に広まり、多くの人々が鶴を人目見ようと詰め掛けたことから「鶴見」というあだ名ができたのである。摂津の国の言葉で「八王子社」とは呼びにくく「鶴見の宮さん」と愛称を込めて呼ぶようになったために、昭和27年正式に鶴見神社と社名を変更した。古来より厄除・病気平癒・長寿の神として信仰を集めている。鶴見神社の境内末社に九鬼稲荷社があり、ご祭神は摂津三田藩主九鬼隆律(くきたかのり)である。大坂の幕領検地を担当された延宝年間(1673~1680)に、下辻村(鶴見)の見地があった。当時、石高は800石余りで、低地のため度々の水害にあい平年作10年に1度という状況であった。検地に立ち会った九鬼和泉守はこれを哀れみ、100石ほど減らしてのであった。九鬼和泉守貞享3年(1686年)6月6日、30歳の若さで死去するが、元禄年間に下辻村の農民はこのことを知り、九鬼和泉守をご祭神として祭祀するようになった。鶴見神社には東・西の2台の「地車」(だんじり)がある明治20年(1887)、有名な地車大工の「住吉・大佐事」川崎仙之助、宗吉氏に地車を発注し地車を購入した。秋祭の大祭には約130年の骨董的価値のある「だんじり」2台が氏子地域を曳行する。鶴見の「だんじり祭り」として有名である。大阪市鶴見区鶴見3-13-76

出典:wikipedia

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