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瞳と光央の爆発ラジオ

『瞳と光央の爆発ラジオ』(ひとみとみつおのばくはつらじお)は、1996年10月~2001年3月に放送されていたラジオ番組。パーソナリティーは三重野瞳と岩田光央。1996年10月~1997年3月1997年4月~1998年3月1998年4月~1998年9月1998年10月~1999年9月1999年10月~2000年3月2000年4月~2001年3月(最終回)2000年春の改編時にスタートした「Mの確率」。ルールは前述の通り、ビクターの社員と三重野瞳、岩田光央がサイコロの目をそれぞれ2つずつ予想し、サイコロを振って見事当てた者が曲紹介・宣伝の権利を得るというものであった。ところがビクターの社員はどういうわけかサイコロ運が信じられないほど悪く、初めて目を当て曲紹介の権利を手にしたのはコーナー開始から半年もたってからの事であった。当時からリスナーより「サイコロ以外で勝負をした方がいいのでは」という案が多数取り寄せられていた事もあってか、ビクターの社員が勝利した次の回からタイトル名が「Vの確執」となり、クイズやミニゲームに勝った者が曲紹介・宣伝の権利を得られるようにルールが変更された。しかしその途端にビクターの社員側に勝ち運が流れるようになり、「悪いけどちょっと相手にならない・・・」と、パーソナリティーに対して見下す態度が見られた時もあった。(以下コーナー名は「みえまん・いわちん」と記す)初期の頃は「主に食用 だ!」「ちょっとさわるとはじけて痛い だ!」など、独自に考えた衝撃的なワード(一言ギャグ)が多かったが、回を追うごとに「整列! 前にならえ! 直れ! おしめ(休め)! だ!」「可愛さ余って実は百歳(憎さ百倍) だ!」など、格言・名言・ことわざ等の一部を弄ってネタとして出すケースが多く見られるようになり、かつてフジテレビ系列で放送されていたバラエティ番組『タモリのボキャブラ天国』に準ずる形になっていった。「みえまん・いわちん」で、3週連続でこんなんキングに表彰される(2度の防衛に成功する事。以下3連勝と記す)と、爆ネームという称号が得られ、男性リスナーの場合は「チン」、女性リスナーの場合は「マン」がペンネームに付けられた。圧倒的に男性リスナーの投稿が多かったため、たいてい爆ネームには「チン」が使われ、最後まで「マン」がペンネームについた女性リスナーは、たった1人しかいなかった。1997年3月頃、当時番組は夕方から宵のうちに放送されていたため、4月以降に野球中継が入ると番組が終了してしまうのでは、との不安から、岩田光央の爆ネーム大放出と銘打って、1度こんなんキングに表彰されただけで爆ネームをつけるというサービスがあったが、番組存続が決定されてからは3連勝の場合のみに戻された。1999年1月以降、ネタが多様化したためか3連勝するリスナーがほとんどいなくなったため、2連勝で爆ネームを付けるようになり、この体制が最後まで続いた。2000年夏頃から三重野瞳が飯塚雅弓のものまねを好んでするようになったことから「みえまん・いわちん」にもそれに関するネタが集中するようになった。しかし当時、飯塚雅弓がパーソナリティーを務める番組「飯塚雅弓のMEGA-TONスマイル」がラジオ大阪などで放送されていた(特にラジオ大阪では1番組を挟んだ次の時間帯にプログラムされていた)為、彼女のファンや一部リスナーからは、飯塚雅弓のキャラを出すネタを慎むようにクレームが出た。一方でハガキ職人と呼ばれるリスナーからは逆に飯塚雅弓ネタ出しをもっと煽るようなネタが投稿されたりもした。そこで騒ぎを収めるべく、2000年12月に開催された「Vステ冬の陣2000」では「ごめんなさい」というテーマに則り「みえまん・いわちん」の特別編として、飯塚雅弓関連のネタを出し切ってやり納め、その回のエンディング時に飯塚雅弓本人に直接謝るという形をとった。これで完全に騒ぎは収まったかと思いきや、翌週の「みえまん・いわちん」では三重野瞳がうっかり飯塚雅弓ネタを採用して、岩田光央に叱られてしまう。その後は完全に飯塚雅弓関連のネタは採用されなくなり騒ぎは収束となった。瞳と光央の爆発ラジオ30!(ひとみとみつおのばくはつらじお サーティー)は、1998年4月から10月までKBCラジオで放送されていたラジオ番組。本編「瞳と光央の爆発ラジオ」の30分バージョンともいえる。

出典:wikipedia

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