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前鳥神社

前鳥神社(さきとりじんじゃ)は神奈川県平塚市四之宮に鎮座する神社。『延喜式神名帳』に小社と記載された相模国の延喜式内社十三社の内の一社で、旧社格では郷社に列している。毎年5月5日に大磯町国府本郷の神揃山(神集山)で行われる国府祭(こうのまち)に参加する相模五社の1社であり、相模国四宮とされている。所在地名の「四之宮」は当社が鎮座していることに拠っている。現在の祭神は以下の3柱である。菟道稚郎子命を祀る神社は極めてまれで、東日本では当社のみと言われている。『日本の神々 -神社と聖地- 11 関東』では、所縁の地から離れた東国で菟道稚郎子命が祀られている事に関し、兄に帝位を譲るため自殺したとされる菟道稚郎子命が実は死んでおらず、一族を率いて東国に下り曽祖父である日本武尊に所縁の地へ宮を建てた、あるいは当地が菟道稚郎子命の御名代であったことにより祀られたとする伝承があることを紹介した後、これら伝承には傍証が無く一切は不明だが、なぜ東国で祀られたのかについては興味あることとしなければなるまい、と述べている。明治の頃に村内日枝神社の祭神であった大山咋命を合祀、昭和61年(1986年)に日本武尊を合祀している。当社の創建年代は不明である。『前鳥神社 御由緒』では、平安時代に「四之宮」の地名が始まり、それ以前の奈良時代の諸文献に「さきとり」の地名が見えることから、この「さきとり」の地に住んでいた人々が清浄な場所を選んで奉祀したのが始まりではないかと述べている。当社は相模川の自然堤防の南端に鎮座するが、『日本の神々 -神社と聖地- 11 関東』では『特選神名牒』が当社の社名を「前島神社」と記載し、「前島神社」である理由を当社境域が馬入川(相模川の河口付近)の岸に突出して出水のたびに流損する崎であった地勢によるものだとしていること、また、これを支持する論者も多いこと紹介している。延長5年(927年)に『延喜式神名帳』により式内社、小社へ列格された。『前鳥神社 御由緒』によれば、この時より社号を「前鳥」「左喜登利」「前取」「埼取」など色々用いてきたが、現在は『延喜式神名帳』に基づく社名を用いているのだと言う。『中世諸国一宮制の基礎的研究』によれば、元暦2年(1185年)7月の『相模国前取社・安芸国開田荘注文案』に当地へ地頭が補任され年貢が未納になっているとの記述があり、安元2年(1176年)の八条院 暲子内親王の所領目録に安芸国開田荘があること、嘉元4年(1306年)には室町院領と見えることから、当社地が八条院周辺の人物の所領に編成されていた可能性を示唆している。『吾妻鏡』建久3年(1192年)8月9日の条に源頼朝が北条政子の安産を祈願した神社として「四宮前取大明神」の名が見え、この時に神馬が奉納されている。さらに建暦2年(1212年)には将軍家御祈祷所となった。天正19年(1591年)11月、徳川家康より朱印状が下され社領10石が寄進された。また、天保12年(1841年)成立の『新編相模国風土記稿 巻之43』の記述から、この当時に四之宮村の鎮守とされていたことがわかる。明治6年(1873年)に郷社へ列格。昭和43年(1968年)9月には元皇族を招いて創祀千六百年式年大祭が催され、その際に本殿の右に奨学神社が建立されている。

出典:wikipedia

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