アルカラ大学() は、スペインマドリード州アルカラ・デ・エナーレスにある公立大学である。大学には約26,000人の学生と1750人の教授が所属している。大学は1499年にシスネロス枢機卿によってコンプルテンセ大学(Universitas Complutensis)として設立された。コンプルテンセ(Complutensis)とは「2つの川の合流」(Complutum)を意味するアルカラ・デ・エナーレスのラテン語名である。大学の歴史は非常に古く、同じスペインのサラマンカ大学と共にヨーロッパ最古の部類に属している。1836年に「マドリード中央大学」(Universidad Central de Madrid)という名称に変わりアルカラ・デ・エナーレスからマドリードへと移転。マドリードコンプルセンテ大学の開学に伴い、アルカラ・デ・エナーレスにあった旧校舎は閉鎖されたが、1977年に旧校舎はアルカラ大学として再び開学し現在に至る。このようにアルカラ大学とマドリード・コンプルテンセ大学は元々は同じ大学であり、その沿革の歴史を共有している。故に単に「アルカラ大学」と呼んだ場合、現在のアルカラ大学を指す場合と、マドリードのマドリード・コンプルテンセ大学(コンプルテンセとはラテン語でアルカラ・デ・エナレースの地を指す)を指す場合がある。1293年にカスティーリャ王サンチョ4世によってアルカラ・デ・エナレースの地に中世大学“Studium Generale” (ストゥディウム・ゲネラーレ) の基礎が開かれ、その後 1499年、スペインの摂政であったフランシスコ・ヒメネス・デ・シスネーロスの請願に対して、ローマ教皇アレクサンデル6世が応じる形で大学は誕生した。当初は宗教や神学が中心で、教会関係者による教育が重要な役割を担っていたが、大学ではやがて人文学、法学、文学の研究が盛んとなり、フランシスコ・デ・ケベードや聖イグナシオ・デ・ロヨラ、聖トマス・デ・ビジャヌエバらを輩出した。 16世紀初頭(1509年 - 1510年)に、芸術哲学部、神学部、教会法学部、文献学部、医学部の5学部が編成される。シスネーロス枢機卿は学園の中心であるサン・イルデフォンソ学院を開講し、町の中に25のカレッジを設置。シスネーロス枢機卿は語学教育に力を入れ、1517年には印刷技術を用いて4か国語の言葉に翻訳したアルカラ・デ・エナレス版多言語対訳聖書(ヘブライ語、ギリシア語、ラテン語、アラム語)を完成させる。これによりアルカラ大学はヨーロッパの知的世界に大きな影響力を持つようになり、16、17世紀には、大学は学術的に優れた人材を輩出し学問の中心地として栄えることとなった。しかしその後、アルカラの大学はゆっくりと衰退し、1836 年、宰相メンディサバルによって永代所有財産解放令が出されると、大学は「マドリード中央大学」(Universidad Central de Madrid (Central University of Madrid))の名称でマドリードへ移転。これは現在のマドリード・コンプルテンセ大学にあたる。アルカラ市民は共同所有者組合を作り、大学の建物を購入して保持に努めた。1977年、大学の復活を求める声が高まり、アルカラ・デ・エナーレスの旧校舎においてアルカラ大学が開学。大学キャンパス内部には、サン・イルデフォンソ学院や礼拝堂、大講堂などがあり、町の観光名所ともなっている。サン・イルデフォンソ学院の正面ファサードはルネサンス様式の傑作で、サラマンカやセゴビアの大聖堂も設計したロドリゴ・ヒル・デ・オンタニョンの作品であり、1553年にペドロ・デ・ラ・コテラ監督のもとで完成。大窓や宗教彫刻、浮き彫りなどで装飾されたプラテレスコ様式のファサードは優雅な装飾と鉄格子で飾られ圧巻である。また、「哲学者のパティオ」や「三ヶ国語パティオ」などいくつかの中庭も残されており、礼拝堂には、シスネロス枢機卿が埋葬されている。大講堂は現在でも盛大な入学式や、スペイン語文学最大の賞であるセルバンテス賞の授賞式の会場として、重要な役割を担う。講堂。建物の中でもシスネロス枢機卿時代に作られた部分は、大学礼拝堂のほかこの講堂だけであり、ここでは学位授与やその他の主要な式典に用いられている。しっくいの装飾や、モリスコ風交差アーチ文様(規則的対位法モールディング)を施した天井の飾りが見事である。サン・イルデフォンソ礼拝堂。ペドロ・デ・グミアルやアントニオ・デ・ネブリハ、またシスネロス枢機卿といった、重要な大学関係者が埋葬されている場所である。カララから取り寄せた大理石で作られた枢機卿の墓はドミニコ・ファンチェリのデザインによるルネサンス様式のもので、軍事、知的世界、宗教界への引喩を表している。ゴシック、ムデハル、ルネッサンスの文様を用いたしっくいの装飾と、多色使いの交差アーチ天井飾りが、美しさに満ちた空間を作り出している。1998年、アルカラ・デ・エナレスの大学と歴史地区は、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。世界で最初の計画的な大学都市であること、都市計画がアメリカ大陸やヨーロッパでのモデルとなったことが評価された。また、登録基準の(6)として、この地で大学を中心として多言語対訳聖書など言語学の発展が見られたこと、セルバンテスを生んだことが人類の知的発展に貢献したとされた。世界遺産に登録されたアルカラ大学を中心とした区域は、スペインの歴史遺産ともなっており、マドリード州政府や市の自治体によっても保護されている。アルカラはカスティージャ語と関係の深く、スペインの各地を結ぶ、いわゆる「カスティージャ語の道」にも含まれている。これは学問においてカスティージャ語が不可欠であった大学の存在が大きく関係していると考えられている。大学はカスティージャ語の発展に貢献しており、カルデロン・デ・ラ・バルカ、アントニオ・ネブリハ、聖フアン・デ・ラ・クルスといった教授や学生たちを輩出した。またアルカラでは「カスティージャ語の聖書」とされることもある「ドン・キホーテ」の作者セルバンテスも輩出している。毎年4月23日にはアルカラ大学でスペイン語文学最大の賞であるセルバンテス賞の授賞式が、スペイン国王、首相出席のもと、アルカラ大学の大講堂内で行われている。その名の通り作家セルバンテスにちなんで創設された文学賞であり、スペイン語で書かれた文学作品に対して賞が送られる。スペイン政府設立で、スペイン語の振興と教育を中心に、スペイン語圏文化の普及に努めるセルバンテス文化センターの本拠地は、アルカラ大学キャンパスエリア内に設置されており、ここからもスペイン語およびスペイン文化の言語的な中心的大学である事をうかがい知ることができる。アルカラ大学教育学部カルデナル・シスネロスにおいてスペイン語が教えられている。マドリード・コンプルテンセ大学を参照。
出典:wikipedia
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