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海賊

海賊(かいぞく)とは、島嶼や沿岸を根拠地として武装した船舶により海洋を横行し、武力を用いて航行中の船舶や沿岸の部落から収奪を行う組織のことである。典型的には、船舶や沿岸を襲撃することによって、国家権力からみて非合法な手段により金品や食料を強奪する盗賊を指すが、金品を代償に盗賊行為を取り締まる側に立つ場合もありうる。また、中には島嶼や港湾などの支配権を握り陸上では統治者である者が組織的に行う場合があり、海軍との境界が曖昧であることも多い。また、交易などの商売を目的としている者が交渉決裂や商売上の競争相手とのいざこざにより海賊と化す場合もある。海賊(Piracy)という単語は海賊版や海賊党など海や船舶とは直接関係の無い文脈で用いられる場合もある。また、船舶航行の出来ない内陸部に出現する武装勢力などを海賊と呼ぶ場合もあり、必ずしも海や船と関連づいた用法で用いられるとは限らない。歴史的に海賊の存在有無はある国家の統治権の有効性を示す指標として見なすことが可能である。すなわちある国家が覇権を握ったことを内外に示す場合、どれだけ海賊を根絶、取り締まれたかを示すことになる。例えば、パクス・ロマーナは、ローマ帝国海軍が地中海の覇権を掌握したとき成立し、それを維持できない段階で消滅した。日本においても、織田、豊臣、徳川政権は、海賊の取り締まりを重視し、これによって中世から近世への扉が開かれた。ヨーロッパでは、イーリアスやオデュッセイアなど古代伝説にも登場し、アリストテレスの『政治学』には、海賊は猟師などと同様に職業の一つとして数えられていた。8世紀には北欧のノルマン人ヴァイキングの活動があった。中世においてはヴェネツィア共和国・ジェノヴァ共和国といった通商国家の商船が、自国の商圏を防衛するために武装化して、競争相手の船舶を攻撃・略奪することがあった。中世日本の海賊の話としては、13世紀前半成立の『宇治拾遺物語』に、元海賊の老僧侶(海賊時代は「淡路の六郎追捕使」と称した)の話があり、瀬戸内海での無慈悲な行為が語られている(最終的には改心し出家した回顧話)。16世紀後半に始まるイギリスとスペインの抗争では、ヨーロッパやカリブ海では交戦相手国の船を略奪してもよい、という国王の私掠免許が出され、私掠船が横行した。また東アジアの倭寇や中国海賊、ペルシア湾のアラブ海賊、北アフリカ沿岸のバルバリア海賊など、海あるところには海賊の姿があった。「降伏すれば命は保証、抵抗すれば皆殺し」の印である海賊旗(ジョリー・ロジャー)は、18世紀になってから使われだしたものである。専門の海賊職以外にも、半商半賊とでもいうような、商売にやってきてそれが不調だったら海賊になって街を襲うというような形態、あるいは普段は商人だが、他の海賊に対抗するために武力を持ち、たまにそれを使って海賊をするといったような場合もあった。後者の例は、海禁が引かれ私貿易が制限された明後期の16世紀後半に横行し、清に抵抗運動を続けた事で有名な鄭成功の出た鄭一族などが活躍した。海賊はその出現場所・時代によりさまざまな呼称、形態がある。17世紀から18世紀にかけ、主にスペイン領カリブ海沿岸地域を中心に活動した海賊。後に「サー」の称号を得たヘンリー・モーガンや残虐行為で名を馳せたフランソワ・ロロネーなど著名人が多い。「西洋帆船、海賊旗、片手刀、旧式の先込め大砲」など、ポップカルチャーにおける海賊のイメージは、おおむねバッカニアのものである。名称は、西インド諸島の原住民が作る日干し肉(buccaning)を航海食として利用したことに由来する。主にイギリス・フランス・オランダなどからの逃亡者やスペイン入植者に追われた先住民が海賊となったもの。無法者ながら「女性や子どもの捕虜には乱暴しない」など独自の掟を持ち、また人種差別が当然だった時代に、黒人や混血にも白人と同等の権利を認める稀有な平等主義を実践していたことから、逃亡奴隷が転向するケースもあった。トルトゥーガ島に大本拠地があった。インド洋と太平洋を結ぶ貿易航路の要所のマラッカ海峡は、狭いうえ沿岸が複雑で隠れ家に適し、古くから海賊の名所として知られ、帆船時代の小説の「白鯨」にも描写がある。現在でも依然として海賊事件の多発する地帯として問題になっている(後述)。決定的な証拠が見つかり完全に海賊の船と確認されたものは海洋探検家が発見したサミュエル・ベラミーの船の1例のみである。ノースカロライナ州で発見されたエドワード・ティーチの船アン女王の復讐号は船を特定できる鐘などの決定的な証拠はないものの当局により本物と認定された。海賊船の上では、かなり民主的であり、「行動規範」があり、近代的な法を繁栄させてもいた。これら規則の幾つかは、服装規定、女人禁制が入っており、禁煙の船もあった。規則を破ったときの懲罰として、出発前に船に乗る皆の中で陸に残す処置が決定されることすらあり、イギリス海軍の権威主義に比べればかなり抽象的だった。イギリス植民地社会との対照として、海賊船上では人種の区別が通常不明だが、ある例ではアフリカ人の子孫が船の船長になったことすらあった。近年の日本国内では、第二次世界大戦後の連合国軍の占領下で治安が悪化していた混乱期に、イギリス軍とアメリカ軍の占領地域となった瀬戸内海で海賊事件が続発した事がある。例として1948年12月-1949年2月の3ヶ月間だけでも、1948年12月19日に香川県の高見島付近で、12月21日には岡山県の児島市で、1949年1月29日には香川県の粟島付近で、2月1日には岡山県の石島で、2月4日には岡山県の牛窓町付近で、それぞれ船舶が襲われるなど、この時期の瀬戸内海では海賊事件が続発していた。瀬戸内海同様、米軍占領下の横浜港でも海賊行為が横行していた。横浜では海賊行為は「荷抜き」あるいは「抜荷」と呼ばれた。これは船の荷のほんの一部だけを強奪するという手口に由来している。なぜ船ごと奪わずこうした方法をとったかといえば、横浜での海賊行為は港の検数員を抱き込んでいる場合が多く、積み荷全体の二割までであれば海上保険が適用されたため、大事に至らずに済んだためだと考えられる。横浜港の接収解除が進んだのが昭和30年頃だったせいもあり、「荷抜き」は昭和30年代初頭までつづいた。現代の海賊はハイテク武装をしており、通信機器や小型の高速艇やマシンガンを使い、航行するタンカーや商船・漁船を狙って出没する。これは、操船の自動化が進んだことにより石油タンカーなどの大型船舶の操縦が少人数でも可能となり、乗組員が少なくなったため襲撃と船内の制圧が行いやすくなったことも関係している。海賊事案の発生状況は、海上保安庁が発する「航行警報」により知ることができる。国土交通省の『海賊行為に関する調査結果』によればインドネシア周辺海域を中心とした海域での発生が多く、2003年に12件の被害が報告されている。また世界的には400件以上の被害が報告されている。海賊問題は国境を越えた麻薬や人身売買の問題などの組織犯罪として、ASEANなどで国際的な問題となっている。2005年3月に日本船籍のタグボート「韋駄天」がマレーシア付近のマラッカ海峡で襲撃を受け、船長を含む3名が人質に取られた。この事件は同年3月26日に人質が解放され解決している。これに対し日本は東南アジア各国へ海上警察組織の立ち上げを支援し、海上保安庁との合同訓練を行っている。また、小泉首相が提言し、2004年11月に採択され、2006年9月に発効したアジア海賊対策地域協力協定(ReCAAP、但しマレーシア・インドネシアは締結せず)により、シンガポールに情報共有センター(ISC, Information Sharing Centre)が設立され初代事務局長に日本人が選出されるなど、日本が深く関わった対策が進められている。スマトラ島沖地震 (2004年)の発生以降、マラッカ海峡の海賊事案は激減した。海賊も被災したものと見られているが、震災の一年後には早くも海賊行為が復活していて、激減はしたものの、無くなったわけではない。アフリカの角といわれるアフリカ大陸北東端が面するアデン湾は紅海も含め以前から海賊行為の多発海域であった(マルコ・ポーロの東方見聞録にも海賊国家としてソマリアが解説されている)が、1990年代後半から、内戦の続くソマリアのインド洋側でも、豊富な武器を流用した海賊行為が増加した。IMB(国際商業会議所・国際海事局)の調査によれば、2007年の紅海・アデン湾での発生は13件、ソマリア沖では31件に達する。2005年6月26日には、国連の支援食糧(スマトラ島沖地震津波被災者支援)を積んだ貨物船(Semlow号)が海賊に拿捕、船と乗組員に対する身代金を要求される事件が起こったほか、同年11月エジプトからケニアに向かっていた豪華客船(Seabourn Spirit号)が襲撃を受ける事件も発生した。さらに、2006年3月にはアメリカ海軍の巡洋艦と駆逐艦が、たまたま発見した不審船との間で銃撃戦を展開。不審船の乗組員が1名死亡。乗員がロケットランチャーなどで武装していたことから、海賊船であったと見られている。日本が関係するものでは、2007年10月に日本の海運会社が運航するパナマ船籍ケミカルタンカーが乗っ取られ、2008年4月に日本郵船の大型原油タンカーがロケット弾によるものと思われる攻撃を受け被弾した。国連は、人道支援物資の輸送と通商航路の安全確保のため、海賊を掃討するための安全保障理事会決議第1816号を採択。この決議は、加盟国の軍艦に、海賊掃討の為、国連憲章第7章に基づき武力行使を含む「必要なあらゆる措置」をとる権限を認めている。2008年10月には戦車33台を積んだウクライナの貨物船が海賊に奪われ、これを重く見たアメリカ・ロシア・EUが共同し駆逐艦を派遣し海賊掃討を目指している。日本も海上自衛隊を派遣し、日本の商船を護衛している。護衛手段は威嚇射撃とLRADによる警告音などである。海賊対策に関する国際会議(ソウル市開催)においては、国際的な情報共有や連絡態勢の整備の必要性に言及している。海賊行為は、「人類共通の敵(hostis humani generis)」とされる国際犯罪であり、旗国主義の適用による保護をうけず、その処罰は公海上で海賊船舶を拿捕した国家に委ねられている。海賊行為については、公海条約及び国連海洋法条約が、すべての国が公海海上警察権や裁判権を行使できるという国際慣習法を法典化した。しかし、1990年代後半から海賊発生件数が増加し、特にアジア地域における被害が甚大であった。1998年には、貨物とともに船員も行方不明となった「テンユー号事件」が、1999年には日本の商船会社が運航するタンカー「アロンドラ・レインボー号」が武装集団に襲われ、船員が漂流を余儀なくされた「アロンドラ・レインボー号事件」が起きている。このような状況に鑑み、日本政府は、1999年のASEANにて、海賊対策のための協力強化を提言、これを契機に、2000年に開催された種々の国際会議において三つの宣言文書が作成された。その後、2001年、2002年のASEANにおいては、国際協力のための法的枠組みの作成が提案され、2003年末に「アジア海賊対策地域協力協定」が起草された。現在日本政府は、海上保安庁を中心に、東南アジア各国に海賊取締りのための警察組織の創設を働きかけ(軍隊よりも警察組織のほうが国際間の共同対処がやりやすく、日本の法律では、軍隊への装備品提供が出来ない為である)、巡視船の無償供与や特殊警備隊による船舶制圧訓練、捜査官をシンガポールなどに派遣して、海賊組織摘発のための国際共同捜査などを積極的に行っている。日本の海賊衆・水軍については水軍の同項を参照。※宇宙海賊も含む。

出典:wikipedia

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