高橋 和枝(たかはし かずえ、1929年3月20日 - 1999年3月23日)は、日本の女優、声優。血液型はAB型。本名:大泉 和枝(おおいずみ かずえ)。夫は歯科医師で開業医。栃木県大田原市出身。栃木県立大田原女子高等学校、東京家政学院(現・東京家政学院大学)本科卒業。東京家政学院を卒業後、劇団前進座に短期間在籍。その後、1949年にNHK東京放送劇団養成所の3期生となる(同期には俳優の名古屋章、声優の勝田久)。同年4月のNHKラジオドラマ「都会の幸福」の少女役でデビューした。1949年から放送のラジオ『とんち教室』や『さくらんぼ大将』でも活躍したが、1952年にNHK放送劇団を退職。ラジオ東京(現・TBS)の専属となり、さらに1956年にはフリーとなった。1950年代のラジオドラマの生放送時代、テレビ黎明期の吹き替えから声優として活躍した。1959年から吹き替えに挑戦し、TBSで放送したアメリカのコメディー『ルーシー・ショー』で人気を得る。1963年にはテレビアニメ『鉄人28号』に出演、以後はアニメ声優としても活躍した。また1966年には、『快獣ブースカ』でブースカの声と主題歌を担当。アニメのみならず、特撮にも出演することとなった。ブースカがOPの直前、壺の中から出現し「ぼく、ブースカれす」は1970年2月1日放送分からは、3ヶ月で自主降板した大山のぶ代に代わって『サザエさん』の磯野カツオ役を担当。自身の病気によって降板するまで、28年間務め続けた。2代目ではあるが登板時期が4ヶ月目と早いことや、在任期間が長く多くの人々に知られたため「高橋が初代カツオだった」と思っているファンも多い。所属プロダクションは、その後、河の会、テアトル・エコーに所属した後、再びフリーとなる。晩年は加藤みどり(『サザエさん』で共演)の「尊敬する大先輩」として、テレビ出演(コメンテーターなど)をしていた。2010年に第4回声優アワード特別功労賞を受賞。また、2011年からは新たに声優アワードで彼女の名前を冠した「高橋和枝賞」が設立され、その年に「声優という職業を各メディアを通じて多く広めた女性声優」に対して贈られることになった。初の受賞者は田中真弓。1998年5月14日、『サザエさん』収録中に、1990年以前から患っていた「治療が不可能な難病」といわれる骨髄異形成症候群による容態急変のために倒れ、そのまま東京都文京区の東大附属病院に搬送される。このため28年間務めたカツオ役を降板することになり、その日伊佐坂ウキエ役で収録に参加していた冨永み~なが、急遽代役としてカツオを演じ、当初は高橋が復帰するまでの一時的な処置のつもりだったが、そのまま3代目カツオとして正式に演じる事になった。国民的アニメである『サザエさん』のカツオの声が、高橋と声質の異なる富永に何の前触れもなく変わったことに視聴者から問い合わせが殺到したが、その後高橋の容態が知らされると励ましや回復、その後の番組復帰を願う声や手紙が沢山寄せられた。励ましの手紙の中にはサッカー日本代表の中田英寿や元F1レーサーの中野信治からの手紙もあり、高橋は病床で「私の宝物」と言って喜んでいた。しかし病状は重く事実上手遅れであった。復帰の願いもむなしく1999年3月23日午後5時、逝去。。誕生日を迎えた3日後のことであった。永井一郎によると、危篤状態の際、周囲が「高橋さん」と呼びかけても反応が無かったが、「カツオくん」と呼びかけると「はーい」と小さく返答したという。同様に花沢さん役の山本圭子も見舞いに行った際、「磯野くん」と呼び掛けたところ返事をしたとのことである。葬儀の席で弔辞を担当した波平役の永井は、実際は高橋の方が2年(学年では3年)年上であるにも関わらず、『サザエさん』での役と同じく、父親の波平が息子のカツオに話しかけるような口調で、「カツオ。親より先に逝く奴があるか」「カツオ、桜が咲いたよ。散歩に行かんか」等と呼びかけた。永井本人は冷静に語ろうとしたが感極まって涙声になり、弔問者の涙を誘った。高橋の死後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。※太字はメインキャラクター1963年1966年1967年1968年1969年1970年1972年1973年1975年1976年1977年1978年1979年1980年1981年1982年1983年1984年1988年1990年1994年1995年1970年1972年1974年1978年1980年1982年1966年1968年1969年1970年1971年1974年1978年1981年1984年1993年1995年1997年
出典:wikipedia
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