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新宗教

新宗教(しんしゅうきょう、"New religious movement")とは、伝統宗教と比べて比較的成立時期が新しい宗教のこと。国ごとに言葉の意味や捉え方が異なる。新興宗教(しんこうしゅうきょう)とも呼ばれる。日本では、幕末・明治維新以後から近年にかけて創始された比較的新しい宗教のことをいう。実に多種多様な団体を包括した用語であり、すべての団体にあてはまる概念、背景等の共通点は、成立時期のほかには存在しない。また、伝統宗教と比べて比較的新しいというだけで、江戸時代に起源をもつところもあり、それなりの歴史と伝統を確立している団体も多い。現在、一定規模で持続的に宗教活動を行っている新宗教の教団は、350~400教団ほどと考えられ、新宗教の信者は、日本人のおよそ1割を占めると推定される。宗教が平和運動や福祉、ボランティア活動と関わる際に、新宗教は重要な役割を果たしてきた。カルト("cult")に代わる中立的な用語として使用されるようになった[ new religious movement]を、日本では新宗教と呼ぶ。西洋では19世紀末以降のものをいう場合が多い。ただし、歴史的、宗教的背景の相違から、意味内容や対象とする年代に若干のずれがある。日本の宗教学では、近現代に生まれた宗教を指す価値中立的な用語として新宗教を用いている。正確な範囲は論者によって異なるが、日本では、19世紀中頃の幕末維新期以降に成立した宗教のうち、既成の宗教組織を引き継いでいないもの、また新たな教義を掲げて伝統宗教から自立したものを新宗教と呼ぶ。宗教研究者が用いる新宗教という言葉には、とりわけ近代化との関係が考慮されている。都市化、産業化、家族形態の変化、マスメディアの登場、交通の発達、教育の普及といった近代化によって、はじめて可能となった教団の組織形態、布教形態を持つ点が特徴的とされ、新宗教は近代以前に生まれた各時代における「新しい宗教」とはそれらの点で異なると見られている。大正時代までは、新宗教の勢力は小さなものであり、多くの新宗教は1920年から1950年に成立し、1970年頃までに急成長した。1951年に立正佼成会やPL教団などが中心となって、他の新宗教団体と共に新日本宗教団体連合会(略称:新宗連)が結成されたが、新宗連では一般的に使用されてきた従来の「新興宗教」は悪いイメージがある用語として、「新宗教」という用語を使うよう各種関係団体などに働きかけてきた。現在使われている「新宗教」はここに端を発している。特に、1970年代以降に台頭してきた宗教を新新宗教と呼ぶ学者もいる。これは宗教社会学の西山茂、室生忠などが提唱した概念で、既存の教勢が停滞する一方で、幸福の科学や統一協会(統一教会)が急速に拡大した現象に注目したものである。しかし、新新宗教については、研究者によって多種多様な提唱があり、具体的にどの団体を指すのかも、何をもって新しいとするかの具体的基準も、明確に定まってはいない。どこまでを新新宗教に含めるか、他の新宗教と区別する意義は何か、といった議論があり、広辞苑や大辞泉にも独立単語として掲載されていない。ひとつの典型的な形態としては、ある人物の天啓や神がかりにより運動が創始され、既存の伝統的な宗教から影響を受けつつ、新たな宗教としての体裁をなし、組織的教団となっていく例があげられる。または、宗教的修行者のもとに病気治しや人生相談を求める人々が集まり、組織が拡大して教祖的な位置に至る場合もある。通常は、霊能祈祷師的人物の周りに定期的にお祓いなどを求める信者が集まっているだけでは、新宗教とは呼ばれない。この集団が教義を次第に整え、多くの人に布教を始め、近代的組織ができてくると、新宗教とみなされるようになる。伝統的宗教の開祖はもともと宗教者であることが多いが、新宗教では、教祖の経歴は多様であり、宗教家の家に生まれた人よりも、普通の生活をしていた人が宗教的回心によって教祖になる例が圧倒的に多い。信者たちにとって教祖は、尊敬されつつも、一般に考えられているよりも比較的身近な存在として受け止められていることが多い。他方で、既成宗教の再生運動とみられるもの、あるいは道徳・倫理・修養団体とさほど違いのないような運動・教団も数多く存在する。新宗教は、伝統宗教と比較すると、難しい教学をさほど重視せず、実生活に即した分かりやすい説明を大事としていることが多い。アイプス教団のように異なる宗教の教えを混合させた新宗教もある。伝統的な神仏等を崇拝対象としつつも、事実上は教祖が崇拝されており、伝統宗教の教えを踏まえた上で、教祖による独自の教えが付け加えられている。新宗教の信者は、自分の日常に起こる出来事に関して、教団の教えに沿った解釈をし、考え方や行動パターンに共通点が多くなり、伝統宗教に比べると、概して思考の統一性が非常に高い。また、布教方法は、伝統宗教と大きく異なり、積極的に布教を行わない姿勢の教団も少数あるが、布教師だけでなく一般信者も布教に努力する教団が多く、伝統宗教の地縁・血縁による単純再生産指向に対し、拡大再生産指向を持つ。新宗教は、現実的な問題解決に熱心であり、人生の様々な悩みについて、信者たちは教団の指導を仰いだり、信者同士で話し合いの機会を持つ。伝統宗教に比べ、専従者と非専従者の境界がそれほど重要とされないのも特徴である。現在の新宗教の信者の大半は、二世信者以降となっており、幼いころからその宗教に接しているため、特別な入信動機はないことが多い。初代の信者の入信動機で最も広くみられるのは、病気による苦しみである。また、家庭内のトラブルによるものも多い。新宗教では、苦難に遭遇した理由や原因を説明することも多く、もっとも広くみられるのは、苦難に遭うことは、正しい生き方や、心持ちをさせるための「神仏等の気付かせ」であり、心を磨く機会であるというものである。苦難を神仏からのメッセージとして説明するため教団独自の用語を持っていることもあり、その例として、金光教「お試し」、天理教「みちおせ」、PL教団「みしらせ」、立正佼成会「おさとし」、真光系諸教団「戒告」、真如苑「リブライ」等がある。新宗教では、こうした悩みに対し、特別な力を持つとされる教祖への信仰、唱題、手かざし、先祖供養等の方法により、悩みを直接的に解決できると打ち出すことも多いが、多くの場合、もっとも重要とされるのは本人の「心なおし」である。過去の心の在り方を反省し、心の持ち方を改め、他者に常に善意と感謝を持って接することが最も重要とされている点は、多くの新宗教教団に共通している。新宗教の教えとは「心なおし」の教えといってよいほど、多くの教団の教えの核心部分にこの「心なおし」が関わっている。最大の新宗教教団である創価学会が、謗法払いと称して、他の宗教・宗派の崇拝対象を撤去させたので、新宗教の信者は伝統宗教に対して攻撃的であるというイメージが形成されたが、ほとんどの新宗教教団では、伝統宗教へのかかわりは肯定的である。中には、積極的に社寺への参拝を行うように勧めていたり、地域の氏神や菩提寺を尊ぶことを奨励する教団もある。仏教系新宗教であれば、関係する仏教宗派と良好な関係を目指すのが一般的である。仏教系新宗教であっても、伊勢神宮や靖国神社への集団参拝を行っている例もある。戦前から戦後しばらくまで、伝統宗教の宗教家の間では、新宗教は人々を惑わす低級な宗教だという評価が一般的であった。しかし、新宗連が結成され、新宗教の側から宗教協力が推進されたことで、伝統宗教との摩擦は小さいものとなっていく。新宗教の信者は日常生活の悩みについては自分の入会している教団を訪れるが、葬儀や法事は伝統的な仏教宗派に依頼するのが一般的であり、一種の棲み分け、役割分担がなされている。ただし、日蓮宗系仏教では問題も生じ、日蓮正宗と創価学会の対立は最も激しいものとなった。島薗進は、新宗教を「隔離型」「個人参加型」「中間型」の3つに分類している。そのうち、隔離型の団体は、世俗の職業生活や家庭生活を放棄して強固な共同体を形成しようとするために、トラブルを起こしがちであり、「カルト」教団などと批判される団体の多くは隔離型であるとしている。隔離型教団の代表的な例として、オウム真理教、統一教会、エホバの証人などをあげている。「個人参加型」は、「隔離型」と対極の特徴を示し、共同体としての人間的結合は散漫である。「中間型」は、「隔離型」と「個人参加型」の両極端の間に位置する。かつては、「中間型」が圧倒的多数を占めていたが、情報化が進んで社会構造が複雑化・多様化し、個人主義的な考え方が広まるにつれ、「個人参加型」の傾向をもつ団体が徐々に増えているとしている。石井研士は「宗教団体が、いい意味でも悪い意味でも社会問題化するときには、あまりに実態を無視した、性急で、理念的な分析や意見が飛び交っているように思えてならない。」と主張している。島田裕巳は、ある新宗教が社会からカルトして糾弾されるのは、その教団が、世直しの思想や終末論を強調したときであるという。過度な世直し思想や終末論により危機感を煽ることで、過激な布教や多額の献金を集めている場合は、反社会的な行動に出る可能性が高まっているという。井上順孝は、新宗教教団の公称信者数は平均すると、実際の4~5倍程度と推測している。

出典:wikipedia

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