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南湖院

南湖院(なんこいん)は、神奈川県茅ヶ崎市にあったサナトリウム(結核療養所)。医師高田畊安によって1899年9月に開院し、「東洋一」のサナトリウムと称せられたが、1945年5月に海軍に全面接収されて解散となった。盛時は東京の医学生のほとんどが卒業必修単位の如くに見学に訪れたという。名称は地名の南湖(ナンゴ)に拠るが、濁音を嫌った高田畊安によって「ナンコイン」と称された。場所は現在の茅ヶ崎市南湖6丁目の県立茅ヶ崎西浜高校や老人ホーム太陽の郷のあたりが比定される。敷地は当初は5,568坪、最盛期の昭和10年代には計5万坪余もあったという。建坪は4,500坪、病室は158室。南湖院ではクリスチャンの高田院長によってクリスマスが創立記念日も兼ねて医王祭と称して行われた。盛時には五千通もの招待状を出し、県知事も何度か出席している。医王は東方浄瑠璃世界の薬師如来をイメージさせるが、高田の煩悶は近代天皇制との間にあった。入院者の生活ガイドブックの『南湖院一覧』ではイエスに「医蘇」の字を当て、「正義武力を顕して治めたまふは神武なり」「父神と愛 顕して救ひ給ふぞ医蘇なる」とし、「南湖院憲法」には「基督に政治と宗教の二面ありて政治權力は神武皇室に在り、又宗教倫理はイエス基德に在りて発現せらる」として二度の発禁処分を受けている。処分理由は「皇室ニ対シ不敬」(「出版警察報」113号)であった。なお「神武」は神武天皇のことで、政治は天皇、神はイエスというぎりぎりの譲歩が高田の晩年の信仰の特徴である。平田篤胤の影響下にある近代天皇制神道は、政治は天皇、神は天皇家の祖霊という発想であったから、検閲を行う内務省(特別高等警察を所管)の忌諱に触れたのである。なお、「神武(じんむ)」には「しんむ」のふりがながあり、濁音を忌む思想には本居宣長の影響も認められる。1938年中退院結核患者在院日数…1939年刊、『南湖院一覧』より1939年刊、『南湖院一覧』より

出典:wikipedia

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