カウンテスアップは日本の競走馬である。1980年代の地方競馬において東北・南関東・東海の3地区に渡り活躍を見せた。父フェートメーカーはアメリカ合衆国の名馬スワップス(ハイペリオン系)の仔で、当時としては珍しい外国産馬として南関東公営競馬で出走したが大成はしなかった。種牡馬としてはカウンテスアップの他にフェートノーザン、リバーストンキング、カズノタンポポなど地方競馬の活躍馬を出したが、芝コースを苦手としたため中央競馬の活躍馬はほとんどいなかった。半姉フドウゴールドはしらさぎ賞、戸塚記念の優勝馬で、その孫にオリオンザサンクスがいる。2000年以前の馬齢は旧表記を用いる。当初は岩手競馬の千葉忠一厩舎に所属。3歳の1983年8月、盛岡競馬場でのデビュー戦は2着だったが、その後は年を挟んで11連勝。1戦2着を挟んだのち特別戦を勝って上山競馬場の東北優駿へ駒を進めた。迎え撃った新潟県競馬のグレートローマンを1馬身半差の2着に退け、東北4歳馬の頂点に立った。その後も連勝を重ね、暮れの桐花賞も古馬相手に優勝、岩手ナンバーワンとなった。現在ならば地方競馬でも岩手に所属したまま南関東や中央競馬の大レースを狙えるが、当時は移籍しなければならなかったため賞金の高い南関東の大井に移籍することとなった。岩手競馬での戦績は18戦16勝(2着2回)。年が明けて5歳となり、1985年1月、大井競馬場の特別戦で転入緒戦を飾り、続く川崎記念ではテツノカチドキを下して優勝したが、当時の南関東は他にもロツキータイガーなどがおり、その後は3連敗したため、今度は東海の愛知に移籍することとなった。南関東での戦績は5戦2勝。愛知で待ち受けていたのはグレートローマンであった。彼も新潟から賞金の高い愛知に移籍していたのであった。転入緒戦のゴールド争覇は中京競馬場の芝コースということもあり、2頭揃って惨敗したものの、ダートに戻ってからは再びグレートローマンと名勝負を繰り広げた。東海菊花賞、名古屋大賞典を含む3連勝でこの年を終え、再び南関東に戻ることになった。愛知での戦績は4戦3勝。6歳となった1986年は前年と同じようなローテーションで3連勝するも、同年から中央地方全国交流競走となった帝王賞では南関東の伏兵トムカウントの3着同着(デッドヒート)に敗れた。次の大井記念も4着だったが、報知オールスターカップを勝って、中央競馬のオールカマーに駒を進めたが芝は苦手だったため7着に敗れた。その後は60kgを超える斤量となり、苦しいレースが続いたが、56kgで出走できた暮れの東京大賞典を優勝した。翌1987年も緒戦の川崎記念を優勝したが(3連覇)、2戦目の帝王賞はテツノカチドキの3着に終わり、引退した。2度目の南関東での戦績は14戦8勝。引退後は種牡馬となり、スプリングステークス3着のダッシュフドーなどを送り出した。ブルードメアサイアーとして南関東G2黒潮盃を優勝、ジャパンダートダービー3着と好走したキョウエイプライドがいる。この時に騎乗していたのはカウンテスアップの南関東時代の主戦騎手でもあった的場文男だった。
出典:wikipedia
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